二 見えてはいけない人
昔からこういう勘だけはよく働いた。
そして、大抵この勘は外れない。わかってはいるものの、目が吸い付くように男の人から離れない。
老人のようにも見えるけれど、痩身ながらにしっかりとした立ち姿は、まだ若いようにも思える。
墨染めの衣は、お坊様のものとよく似ているけれど、布地はすっかり色褪せて裾や袖元はボロボロになっていた。
髪はわたしのよりずっと長い。
背中を覆うほど長い髪。
もちろん手入れなどされていないだろう。
黒い髪はもつれて、絡まった糸玉のようだ。
擦り切れた袖から伸びた細い腕は、蝋のように白い。
ふわりと吹いた風が、男の人の重たげな髪を揺らす。一瞬だけ露になった横顔を目にした。思っていたよりも若い。
青年の視線が何かを捜し求めるかのように、遠くに向けた視線を漂わせ……何気なくこちらを向いて、そして止まった。
青年と視線が重なった途端、ざわりと肌に粟立つような感触を覚えた。
どうしよう。
額に冷たい汗が一筋流れる。
知らん振りをしていればよかったと、今更ながら後悔する。
しばらくの間、青年との睨めっこが続いた。でも、先に勝負を降りたのは、青年の方だった。急に何かを思い出したかのように辺りをぐるりと見渡した。
「あそこか」
静かな、そして確信に満ちた声。青年は口の端を引き上げた。まるで狙いを定めた獣のようだ。
「……しにびとは、あそこか」
もうわたしの存在など、すっかり忘れてしまったようだ。青年は、お通夜が行われている母屋へと、ゆっくりと歩き出した。
……今のは何?
今更になってがくがくと手が震えてきた。今すぐ逃げ出したいのに、足が思うように動かない。
しにびとのにおい。
しにびと? しにびとって?
耳にまだ残る青年の言葉を頭の中でくり返す。
「あ……」
唐突に理解した。
しにびととは、死に人。
つまり死んだ人のことだ。
この家で死んだのは、恐らくわたしの祖母にあたる人。
あの人は……一体何だろう?
間違いなく、あの人は生きた人間ではないはずだ。けれど、死んだ人間だとも言いがたい。
生きた人間にしてはあまりにも虚ろすぎるが、死んだ人間にしては少々生々しい。
下町に住んでいた頃も、ときどき不思議な人たちを見たことがあるけれど、そういう人たちともまた違うような気がする。
とんでもないところに来ちゃったな……。
気持ちが静まるまでと思っていたら、わたしはいつの間にか眠ってしまったらしい。
寒さに身を震わせて目覚めた頃には、お通夜はとっくに終わっていた。
お通夜が終わった日の夜は、今までの腹の探りあいをするような雰囲気とは一変していた。
まるで宴会のような賑やかさで、一瞬戻る家を間違えてしまったのかと、本気で思ったくらいだ。
大人たちはお酒を飲み、次々と出されるご馳走をつまみながら楽しそうに談笑している。
さっきまで大泣きしていた女の人たちも、今は何事も無かったように、実に美味しそうにお煮しめやお刺身を頬張っているではないか。
まだ小さな親戚の子供達も、大人たちの間を縫うように走り回って、本当にお祭りのようだ。
さっきの白々しいお通夜の空気も苦手だが、大人たちが莫迦みたいに騒いでいる酒の席も苦手だ。
だからと言って、子供達の輪にも入れるわけもない。
同じ年頃の親戚もいるようだけれども、わたしの素性を知っているのだろう。
遠くからわたしを値踏みするような目を向けて、聞こえているとわかっていて内緒話を始める。
そんな人たちと仲良くだなんて無理に決まっている。
わたしだって、人を莫迦にするような人たちと、と仲良くなんてできそうにないし、したいとも思わない。
結局、この家でわたしはひとり。
他の人たちも、最初のうちはわたしを珍獣のように眺めていたけれど、飽きてしまったのか、すぐに談笑とお料理に夢中になっていた。
さっさとこの宴会から逃げ出したかった。
……だからと言って、その後どこへ行けばわからない。
ここへ来てまだ間もないせいもあって、わたしは客間で寝泊りしていた。
でも今日はたくさんの親戚がやって来るから、今夜は違う部屋に移ってもらうかもしれないと言われていたからだ。
誰かに聞こうにも、家の人は皆忙しそうで、とても相手になどしてくれなさそうだ。
仕方がない。
宴会の片隅に身を置くと、わたしは雨が叩きつける硝子戸を見つめていた。
昼間はあれほど良いお天気だったのに、日が暮れる頃になると急に雨が降り出してきた。
そのうち止むだろうと思っていたけれど、雨は一向に止む気配はない。
(今夜は寺に運ぶのは難しそうだな)
ふいに誰かが低く囁いた。
(これだけの雨では敵わない)
(とは言え仏さんをここに置いておくのは)
(莫迦らしい、ただの迷信だ)
(いや……だがしかし)
代わる代わる大人たちが口にする。一体何の話をしているのだろう。
じっと聞き耳を立てていると。
「大人たちの話が気になるのか?」
背後からの声に惹かれて振り返ると、若いの男の人が背後から覗き込むように立っていた。




