ベストポジション、ゲットだぜ
転校生がやってきた。
「フランスから来た、ルカ・イエレイくんです。日本語がわからないけど、仲良くしてあげてね」
サァ、と気持ちよく吹く風に乗って、淡いピンクの花弁が空を舞う。
春。出会いと別れの季節であり、始まりと終わりの季節。
高校二年生に上がった初日、その紅色はやってきた。
今年の担任だという教師が紹介したのは、怯えたようにオドオドと視線を忙しなく動かしている子だった。
繊細だがふわふわとした柔らかそうな銀髪に、優しげな光を湛えた、鮮やかな紅色の美しい瞳。
男子生徒のようだが、華奢な体躯と中性的でどこか儚げな容姿は、一見すると女子のようにも見える。
ゆる、と頼りなく弧を描く紅唇が気弱そうだった。
『Enchanté… Je viens de France, je m’appelle Luca Ierei.(初めまして……フランスから来た、ルカ・イエレイです)』
スッと耳に入ってくるような、軽やかな声だった。
綺麗だなぁ、と頬杖を突きながらその声を聞く。
フランス語は、数ある言語の中でも特段綺麗だと私は思う。その上で彼の発音は、透明な水が流れるような滑らかさがあり、うっとりと聞き惚れてしまうほど美しい。
思わずカパリと開いた口を閉じる前に、再びその流水のような声が、しかし今度は辿々しく発せられる。
「……よ、ろおしぃ、く、おねがあぃ、し、まあすっ」
まるで小さな幼児みたいな発音だ。いや、幼児でももっと流暢か。
あまりに拙くて、思わず喉がクツリと笑った。
「ヘッタクソな発音だね」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた言葉だけど、たとえ聞こえていたとしても、ルカという名の彼にはわからなかっただろう。
「イエレイくんは、そこの窓際の席ね。ほら、あそこ」
指差された先の席をキョト、と見たルカは、言葉を理解できないなりに心得たように頷いた。
指定された席―――私の隣の席に座った彼は、おずおずとこちらを窺ってくる。なんだか、初めての場所に来た仔猫みたいだ。
声をかけようかと少し迷ったが、やめた。
私はフランス語が話せるけど、そんな能力をひけらかすような真似はしない。
それに今の時代、スマホという素晴らしい文明の機器があるんだ。彼もなんとかするだろう。多分。
ふいと窓の方にそっぽを向けば、視界の端で綺麗な紅眼がしゅんと目尻を落としたような気がした。
「よお、フランスから来たってマジ? 向こうじゃどんな挨拶すんの?」
「ルカくんっていうんだよね、彼女いる?」
「日本語わかんない? 聞くのも無理?」
放課後になると、大勢のクラスメイトがルカを囲んで質問攻めにした。
しかも廊下にまで他クラスの生徒たちが張り付き、どうやらなんらかの噂が回っているらしい。
大方、『フランスから儚げプリンスがやってきた!』とかそんなところだろう。
隣の席で行われているので、喧しいったらありゃしない。
しかしぶつかったりとかはないんだよね。どうしてかみんなさりげな〜〜く私を避けているみたいだ。なんで?
……そういえば一年の頃も、どうしてもって用事の時以外は話しかけられてなかった気がする。今気づいたや。
嫌われてるわけじゃないけど、いつもこう、眩しいものでも見るかのように半目になって距離を取られてる感じ。
率直に寂しい……と思わんでもないが、いざこざが生まれるよりマシかと思っている。楽ちん楽ちん。
『あ、え、えぇっとぉ……?』
あたふたしながらなんとか質問を読み解こうとしているルカを横から優雅に眺めつつ、授業後のお茶をいただく。
チラリと隣を覗くと、なんだかちょっと涙目だ。それに口元も引き攣っている。
『えっと、ごめんなさい……日本語、わかんなくって……うぅ〜〜』
ついに泣きかけ寸前のように唸り出したルカに、思わず喉がゴキュッと変な音を鳴らした。
いや、面白かわよかよ。
苺を思わせる大きな瞳が少しずつ涙に濡れていって、艶々と輝いている。美味しそう、可愛い。
助け舟を出してあげようか。そうしたら彼はどんな顔をするんだろう? あぁ、見てみたいな。
……いや、やっぱり助け舟は出さないようにしよう。せっかく超きゃわい顔してんのに、見れなくなるのは勿体無い。
隣の席でよかったよ。役得だ。
しばらくすると、まともに返ってこない答えに飽きた面々が徐々に自分の席に帰っていく。でもチラチラ見てるから、観賞用認定された感じか。
結局誰とも話せなかったルカは、真っ赤にした顔を俯けてぷるぷるしている。可愛い。
ブツブツとフランス語の呟きが聞こえてくる。
『うわぁ、うわぁ、何にも答えられなかった……どうしよう、僕これやっていけるかなぁ……うぅぅ。とりあえず、帰る時の挨拶の練習しよう。挨拶、挨拶……あれ、なななんて言えばいいんだっけ……!?』
「……へぇー?」
ワタワタと頭を抱える姿に、思わずニヤリと口角が上がったのを感じる。
思った以上に面白い。それに根気があるな。これでもめげないなんて。なんだか可愛いな。
「……さて、帰るか」
今日の学校は半日だけだから、もう授業はない。部活動のある人は別だけど、私は帰宅部だし。
鞄を閉じて立ち上がる。その拍子に少しズレたバレッタの位置を調整して、乱れた髪をするりと解いた。
そのまま帰ろうかと思ったけど、ふと悪戯心が首をもたげて、教室を出る直前にルカに向かって振り向いた。
「ルカ」
名前を呼ばれて、あの紅色の瞳が私を見た。私と彼、二つの視線が絡み合う。
なんとも言えない愉悦にニィ、と唇の両端を吊り上げて、軽い調子で言ってやる。
「また明日」
ほら、これが帰りの時の挨拶だよ、ルカ。
何を言われたかわからずキョトンとしている彼にひらりと手を振って、私は教室を後にした。
◇◆◇◆◇◆
翌日。
どうやらルカの噂は学校中に広まっているようだった。
耳を澄まさなくとも、あちらこちらで噂する声が聞こえてくる。
「なぁ、聞いたか、フランスの転校生の話」
「ああ、日本語が話せないってやつだろ?」
「そいつ、卯月さんの隣の席らしいぜ!」
「は!? なんだそれ、ずっりぃ!」
三年生らしき先輩方が下駄箱の前でワイワイやっていて通れなかったので、ヒョコと横から割り込んで声をかける。
「あの、すみません。靴を履き替えたくて」
「アッ、たたたた高嶺様!!」
「申し訳ありませんすぐに退きます!!」
「良い一日を高嶺様!!」
高嶺様とは??
私の本名に一文字も掠らない呼び名に首を傾げたが、とりあえず上履きはゲットした。やったぜ。
「お、お前ら、大丈夫か……?」
「あぁ……なんとかな。くっ、まさか高嶺様にこうして話しかけていただける日が来るとは……っ!!」
「俺もう死んでもいい……」
「我が人生に一片の悔いなし……さあ飛び立とうあの大空へ……」
「来世は高嶺様の髪の毛がいい……」
教室に入ると、もうすでにルカはいた。お行儀よく席に座って、楽しそうにお喋りしているクラスメイトたちに物言いたげな視線をチラチラ、チラリ。
どうやら話しかけたいらしい。くそきゃわ。
わざとカタンと音を立てて椅子を引くと、パッと弾かれるようにこちらを見た。
真っ直ぐに視線を向けて促すように首を軽く傾けると、真っ赤な顔で決意を固めた目をしたルカが立ち上がる。
さぁどう来るとワクワクしながら待ち構える私に、あの流水のような声がかかった。
「お、お、おはぁあ、よぉっ」
辿々しくて音程もめちゃくちゃな、幼児よりも拙い発音。
自分でも上手くいかなかった自覚があるのか、涙目だ。
その様子につい、クッと噴き出してしまった。
クツクツと笑い続ける私を見て、ルカがおろおろしている。アテレコするなら、「僕何か間違えたかな?」である。
きっと昨日、たくさん練習したんだろう。鏡の前で挨拶の練習でもしたのかもしれない。
そして私に言ったのは、昨日私が帰りに挨拶をしたからかな? だから今日は自分から、って?
何それ、超かわよ。健気な良い子なんだなあ。
ああ、ふふ、でもやっぱり。
『ヘッタクソな発言だね』
彼の努力を労う気持ちで、フランス語で言ってあげた。
彼のことは傍観する予定だったけど、やめだ。
こんなに可愛くて面白い存在を、放っておくなんて勿体無い!
『へ……え、フランス語喋れるの!?』
大声で、目をキラキラさせながら叫ぶルカ。突然大声でフランス語を喋り出した彼に視線が集まる。
しかし彼はそんなことには気づいていない様子だった。
『ええ、そうだ。驚いた?』
『う、うん。凄く、びっくり……』
凄くびっくりって。言い方可愛いな。
『でも、そっか、嬉しい……あ、あの、君の名前は?』
『私か? 私は卯月漓音だよ。漓音と呼んで?』
『リオン! 綺麗な名前だねぇ。日本人ってみんなそうなの?』
『さあ? どうだろうな』
ルカがハイテンションだ。よっぽど日本語の生活に苦労していたらしい。
全力で尻尾を振っている仔犬みたいだ。
『ん〜、よし。決めた』
『え?』
『私、今日からルカのお世話係兼翻訳係になったげる』
『え!? いいのっ?』
『もちろん。それとも私じゃ不満か?』
『そ、そんなこと……じゃあ、お願いしますっ』
よし、ベストポジション確保。
これでルカのそばにいて観察していても、なんの問題もない。
嬉しそうにふくふく笑っているルカの手をとって、出来るだけ優しく、にっこり笑みを作った。
『これからよろしくね? ルカ』
『うん、よろしくリオン!』
元気いっぱいな笑顔がクソきゃわだ。
これを特等席で見られるなんて、我ながら運がいいなあと思った。




