ビハインド
彼の名前はJ、そして向かい側に座るのはS。お互いをよく知る家族だ。
Jは深呼吸をしてSを見る。Sもまた同じく彼を見る。
「なんだよ、世界が暗転したみたいな顔してるぜ?」
Sはうんざりした顔で口にした。
「そんなことない。僕はこうして君と話をしにきたんだから」
Jは潰されそうな気持ちをこらえて彼を睨みつける。
「ふうん、そう。俺はどうだっていいけどな?お前はいつも楽しそうにしてるし俺に会いにくる回数もなんだか減ってるような気がする」
「そんなことないよ。僕は毎日こうして君に会ってる」
「そうか?お前はいい子ちゃんだからな。俺なんかとは違って汚いことなんて考えたりもしないし誰かを殺したいほど憎むこともないんだろ」
Sは椅子にもたれると足を組んだ。
「いい子ちゃんにはわかんねえよな?」
Jは俯いて首を横に振る。
「わからないわけじゃない。僕はいい子なわけじゃない。君だって知ってるだろ?」
Sは爆発したように笑い声をあげた。
「ああ、そうだ。知ってるさ、お前はいい子ちゃんなわけじゃない。くっだらねえことで嫉妬して狂ってベットで柔らかい毛布に包まって泣いてる愚か者だ。なんて言ったっけ?あの子。可愛い子だったな?友達のアイツに取られてお前は何も言えなかったし奪い返せもしなかった。幸せになってね?だって?本心ではそんなことお前は微塵も思っちゃいないのにな」
「やめろよ!」
「いいや、やめないね。お前はいい子ちゃんのフリをしてみんなを騙そうとしてる。本当は何もかもどうだっていいのに、期待される答ばかり言い当てて安心してる。違うか?」
Jは目を閉じて俯く。
「わかってるんだろ?お前だって。俺にはわかるよ、みんな腐ってるのに綺麗なフリをしてるって。お前の好きなあの子だって、本当はお友達のアイツとずっと仲良くヤッてたのにお前が気付かないフリをしてただけさ」
「やめろよ……」
Jが泣き声に変わってSはため息をついた。
「お前は優しすぎるんだ。俺は忠告したはずだ、あの子はやめとけってな」
Sが話すのをやめて部屋にJの嗚咽が響く。
「僕だってわかっていたさ。それでも一緒にいたかったんだ……悪いかよ」
Sは少し声のトーンを下げて優しげに言う。
「悪かないさ。だから言ってるだろ?お前は優しすぎるって。俺ならくっだらねえことに巻き込まれる前にオサラバするってのに、お前は付き合っちまう。心配してんだよ、俺は」
Jが顔を上げて小さくうなづくとSは眉を下げて微笑んだ。
「あ~、割りにあわねえよ。お前が望むなら俺がヤッてやるのにな」
「僕はそんなこと望んでないよ」
「わかってるさ、そんなことは。でもお前は本当にわかってないんだ。お前が望むなら世界は手に入るし、お前が指を一振りするだけで望むとおりになるだろ。頭のイカレタ連中はお前に熱狂し、列をなす。お前が望めば女だっていくらでも手に入る。カリスマってのはそういうもんだ。ちゃんと使わなきゃ意味がないぜ?」
SはJのうなだれた頭を見ながらため息をつく。
「壊してやればいいんだ。自分で作ったものも全部壊してしまえばいいんだ。お前が作り上げてきたものを他のやつらが壊そうとするのなら、壊される前に壊してしまうそういう選択肢だってあるだろ?」
Jは首を横にふる。
「僕は自分が作り上げたものを壊したりはしない。皆が愛してくれて大切にしてくれることを知ってる。君はいつもそうやって僕を元気付けるくせに悪いほうへ誘導するんだね?」
Sは両手を挙げると鼻で笑った。
「あーそうかい。お前にはそう聞こえるわけだな?まあいいさ。それで今日はなんだよ。俺に文句でもあってきたのか?」
Jは顔を上げて両手を組んだ。
「なんでそんな意地悪な言い方ばかりするんだ、君は。僕はただ君と話をしたくて毎日こうしてきてるのに」
「じゃあ言えよ、ちゃんと聞いてやるから」
Sは椅子にもたれかかると片眉をくいっとあげた。
意地悪そうな顔だなとJは思う、でもこの顔をしたときはちゃんと話を聞いてくれるときだと知っている。
「うん、僕は新しいことへチャレンジしたいと思ってる。でも怖いし勇気もない。君に背中を押して欲しいんだよ」
「チャレンジか……本当は誰もそんなこと望んでないってわかってるんだろ?」
「え?」
「お前は今までのままで十分だし、そのままキープできればベストだって言われたんじゃないのか?新しいことなんて誰も歓迎しない、そう言われたんだろ?お前は今まででもちゃんと成功したし今だってちゃんとやるべきことをなしている。今になってどっかの国の兵士みたいに銃をもって駆けずり回りたいのか?それこそお前は殺される。一撃でバーンってね」
Sは顔色を変えず続けた。
「知ってるよ。お前が今まで一生懸命築いてきたものの全て。素晴らしいものばかりだった。命をかけて成功を成し遂げて、次はそれ以上の新しいこと?怖いだって?だから言ってるだろ、俺と代わればいい。俺がお前なら全部成し遂げて全部燃やしてやる。お前を泣かせるもの全部だ。怖いものなんかありゃしない世界を俺が作ってやる」
Sは腕組みをして歯を見せて笑う。
「お前なら簡単なんだよ。わかってるだろ?なあ、わかってるだろ?どれだけの人間がお前に狂ってて、お前のためなら死ねるかって。世界はお前のためにあるように、全てがお前のために動いてる。この一瞬も何万、何千、何億という金が動いてお前のためにお前のいる場所が作られる。この星は俺たちの星よりも随分とリッチで愚か者が多いのさ。お前の姿を見ただけで狂乱してゆく姿をお前は怖いと思ったんだろ?」
「S、やめてよ」
Jの言葉にSは止まる。視線をそらして足を組みなおした。
「僕はこの星が好きなんだよ。確かに狂っていく姿は怖い……でも彼らは……」
「愛してくれている?それこそ戯言だな、お前はその愛の前ではいつも無防備じゃないか。奇声をあげながら飛びついてくるやつらに耐えてキズまで作って、どういうつもりだよ?あいつらになら殺されてもいいってのか?いいか?あいつらはお前を殺したってどうってことはない。死んだお前を見て、泣きながらお前にすがりついてまた全部欲しがるんだ。お前はまた何もかも奪われて泣くことになるんだぞ?」
「わかってる。わかってるんだ」
「ああ、わかってるだろうな。お前は優しいからな。美しいものを作り喜ばせることができてお前は幸せなんだろう。なあ、それでもJ……お前は俺の大事な家族なんだぞ」
Jが顔を上げるとSは俯いていた。
「ねえ、S。僕に何かあったら君は助けてくれるでしょう?」
「ああ、助けるさ。お前に何かあったら必ずな。でも新しいチャレンジだけはやめておけ。新しい好奇心を与えれば、あいつらはまた刺激されて燃え始める。お前にも飛び火して火傷することになる」
「……背中を押してはくれない?」
SはJから視線をそらしたまま首を振る。
「お前がやりたいのならやればいいさ。俺が守ってやる。でも命の灯はいくつもあるわけじゃない。前はここからでてお前を直接助けてやれたが、今はお前の力も足りない。あと一度できるかできないか……お前が消えれば俺も消える。覚えておいてくれよ」
「うん、わかった」
Jは椅子から立ち上がるとSを見た。
Sは視線をそらしたままで腕組みをして鼻をすする。
「泣かないでよ、僕は大丈夫だ、見ていてよ」
Jはそう言って立ち去った。Sは彼のあとを追うように視線を向ける。
「何もわかっちゃいない、この星があと数秒の命だとしてもお前は行くんだろうな。俺はここでお前の目を通して美しくて儚いものをみるんだろうな。俺たちの星にはなかった愛というものが形になって現れるとき、星は限界を超えるんだ。お前が好きな流れ星も愛を知って落ちてきた。幸福だというように。ああ……お前が見る世界はなんて美しいんだろうな」
Sは目を閉じてそこにあるものを見る。宇宙の彼方で小さな星の光が生まれて、青い星へ惹かれて落ちていく。
「俺たちは星を壊すために生まれたわけじゃない。お前は愛を美しいものだと思うから与え続けている、でもそれが人を狂わせ星を殺している。やつらは真実を知ったとき、お前を殺すよ。お前を崇めていたやつらですら手のひらを返してな。お前がやるチャレンジはそういうことだろ?バカだなあ……J」
じんと両手が熱くSは視線をおろした。両手が燃えている。
「ああ、始まったんだな」
瞼を閉じてJの世界へ降りる。Jの前には沢山の人が溢れ涙を流している。
世界が終わる前にと口々にJを求めているようだ。抜け殻のように弄ばれてJはその場に倒れこんだ。
遠い空で雲が広がり光が差し込んでいる。赤い煌めきとともに海へと落ちる機械の固まり。
地面が割れて悲鳴を上げながら落ちていく人々。SはJの体から小さな光を取り出してその場を離れた。
「助けてくれるって思ってた」
黄色い光がSの手のひらで踊っている。
「ああ、助けるさ。お前だけはな」
「知ってたよ。ありがとうS。僕はね、Sみたいに優しくはないんだよ。君が一生懸命僕を止めようとしてくれたのにね」
星が落ちてゆくのを見つめながらJの光はゆっくりと形になって微笑みが見えた。
「彼らが僕を奪いつくすのは運命なんだって言っていたからね……僕は彼らが見た未来を見せてあげたんだ。美しい星は汚されて愛をむさぼって……」




