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神頼み

 風が強い。

 今日は雲が早く走って黒く重なって向こう側ではきっと雨になるだろう。

 山の上に建てられたこの場所は下界もよく見渡せる。田園と美しい町並みがそこにある。

 朱色の鳥居を見上げて薄暗くなっていく空に踵を返し社務所のほうへ向かう。

 鳥も飛ばなくなってやがて雨が降り出した。

 ざあっと草木を濡らして乾いていた土の色を変えていく。

 雨宿りのできる軒下に立っていた私は雨で濡れている鳥居の傍に人の姿を見た。

 息を切らして階段を上がってきたんだろう、白い手を胸に当ててうつむいていた。

 その人は呼吸を整えたのか顔を上げて私のほうを見た。雨で視界が歪んでいるが目があったに違いない。

 私に気付いたように頭を下げた。それに応じるように軽く会釈をすると、「そちらへ行ってもいいですか」と女性の声がした。「ええ」と頷くと彼女は小走りに軒下に滑り込む。


「雨が降ると聞いていたけど、こんなに早く降ってくるなんて」彼女は少し困ったように笑った。

 雨で張り付いた紺色のシャツが少し透けて鎖骨が浮いている。ぽたりぽたりと長い髪から雨が滴り、真っ白い肌が目について私は目をそらした。

「天気予報は雨でしたね、でも山の天気だから変わりやすい」と持っていたハンカチを差し出すと彼女は白い手でそれを受け取り顔のしずくをそっとぬぐう。

「そう、天気予報は雨で傘が必要ですなんて聞いていたのに」

 横目に彼女を見ると長い睫毛が伏せられてこちらに気付いたように目が開いた。「そうですね」と私は目をそらしうつむくと隣で彼女が微笑んだ。


 雨は少し勢いをまし足元ではねている。軒下の二人はちらりと空をみやった。

「困りましたね。ええ、こんなに降ってくるなんて。もう一度空を見て、やみそうにないわ。今日はお礼にきたんです。こちらでお願いしたことが叶ったから。今日しか時間が取れなくて、だからきたんですけど間が悪かったのかしら」

 彼女は私のほうを見て微笑んだ。

「いや、きっとあなたに長くここにいて欲しかったのかもしれません。雨を理由にしてあなたがここに留まってもらえるようにと……むかしそんな風に聞きました」

「じゃあ、きっとあなたも同じね」

 ざあざあと降り続く雨が私の沈黙を消してゆく。彼女は独り言のように続けた。

「ずいぶんと待ってやっと結論が出たの」両手を胸の前に重ねて左手の指輪を回している。

「恋愛といえるような上等なものでなかったけど……こうして形になって、ずっとこうして安心したかったのだけど一人で答が出せるわけじゃなかった」

 私は彼女の話を聞き何度か頷いて雨を見ていた。何かいえないのではなく、口を挟む必要がなかった。

 どこか独白のようなそんな雰囲気に押されてしまったのかもしれない。


「命は大事だもの、あの人は無自覚だったけどお互いにわかっていたはずだわ」

 そこまで言って彼女が言葉を止めた。そして私のほうへ向き頭を下げた。

「ごめんなさい、聞いてくれたからってこんな話をしてしまって」

 まだ濡れたままの髪がもったりと肩から落ちてくる。

「いいえ、かまいません」私は首を振った。

「どうしてかしら、ごめんなさい」

 彼女は頬に手の甲を当ててうつむいた。

「いいえ、見ず知らずだから言えることだってあるんですよ、きっと」

 辺りが少し静かになり小雨になってきた。相変わらず空は泣きべそをかいたままだ。

 彼女は「あっ」と軒下から出て貸したままのハンカチを差し出した。

「ありがとうございました、汚してしまってごめんなさい」

 頭を深く下げてからにっこりと笑い神社のほうへと向かっていった。

 私はハンカチを受け取ったままでしばらく彼女を見つめていた。


 人気がなくなり私だけが残された。雨は上がり雨雲の向こう側で夜がやってくる。

 星の見えそうにない空を眺めながら私は鳥居の傍に歩いてゆく。階段の下は闇に包まれ始めている。

 社務所にぽっと火がともり、ほんのりと明るくなった。目を閉じてさっきまで一緒だった彼女の姿を思い出す。あの日聞いた願いは「好きな人と一緒になれますように……」そんなものだった。

 両手の中にあるハンカチを広げて眺めてみる。

 恋とは人を愚かにするのか、人のものほど欲しくなるのか。

 ハンカチを綺麗に折りたたみ懐へしまいこんだ。

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