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命のうた

 満月を待って夜の闇がじわじわと地を這ってくる。

 真向かいから噴出した風は小さな花を揺らし、その花びらをもぎ取ると空高く舞い上がった。

 満月の光はただ闇を照らしている。

 夜露に濡れた小さな植物は、ぽたりぽたりと涙のように雫を一定のリズムで繰り返し落とし続け、涙が枯れるとまた風に吹かれるのを待っている。

 この楽園は生き物の声が秘かに囁かれ、大きな音といえば風が起こした石ころのぶつかる音で獣は眠りについている。


 朝が来るまではまだ遠く、時間という縛りはない。美しい世界の中で風に遊ばれて花びらが舞っている。

 この光景を見つけることができれば誰もが美しいと言葉にできるだろう。

 けれど楽園に人というものは存在せず、ただ生き物たちが時を刻んでいる。

 私はただそれを見つめてはそれを触ることが出来ず手を宙で遊ばせている。

 指先で触れればその美しさは一瞬で壊れ、形を崩してしまう。

 小さな獣の造詣も植物すら、私の欲望の糧になり今まで保たれていた美しさをなくしてしまう。


 箱庭に触れてはいけない。これが私と神の約束事でただ見つめることを許されている。

 管理者として箱庭を見続けることは始めは楽しかったものの、美しい光景を見るたびにそれを感じてみたいと欲にかられてしまう。手を伸ばしその柔らかさに触れてみたいと。

 獣たちが新しい命を生み出すとき、その小さな声に、その暖かそうな胸の動きにどれほど恋焦がれただろう。

 管理者は私一人きり、誰かと話すことはなく箱庭の前にいる。

 神はきまぐれに私を管理者としたわけではない。管理者としてここへ作られた。

 寂しさという胸のざわめきを知り、私は箱庭の中にある命の輝きに心引かれ続けた。


 満月の夜は小さな命が生まれる。海が満ち海の生き物たちが喜びに飛び上がり、その波が大きな山を作り砂を押し流し、音を立てて引き込んで戻っていく。

 小さな命は砂の上でごろんと寝転んだまま胸を上下させ、何もない場所を小さな指を開いては閉じと繰り返す。

 獣のようで獣でない命はつるりとして私はそれをじっと見つめた。

 木々の向こうから獣が目を覚まし、小さな命の傍に近づくとそこへ座り、それが一つ一つと増えた。

 小さな命を囲んだ獣たちは小さな命に優しい眼差しを向けて、大きな手で小さな生き物を撫でる。

 私はその時、目の前が滲んで涙の意味を知った。


 箱庭は新しい命を向かえ、やがて来る朝を待っている。

 暖かな風の中で花びらは舞い続け、新しい命の祝福に月の光はキラキラと輝きだす。

 やがて朝の暖かさに包まれ、小さな命はその目をぱちりと開いた。

 他の獣たちとは違い二本足で立ち上がり、遠くから見つめている私のほうへと視線を向けた。

 私に気付いたのかと箱庭を覗くのをやめて、胸のざわめきに気がついた。

 あれは何?神は何を作ったのだろう?

 何故他の獣たちとは違うのだろう?あれは見たことがない。

 箱庭に嵐が来たように感じて私はもう一度箱庭を覗き込んだ。

 さきほどまでいたはずのあの生き物がおらず、森を海を覗き込んでは目を動かした。

 時期にあの生き物が箱庭の中の一番高い場所で私を見つめているのに気がついた。


 触れてはならないこの箱庭の中で、生き物が自ら私に気がついた。

 私はただ黙って生き物を見つめて、生き物もまた私を見つめていた。

 そして生き物は立ち上がると私に向かって腕を伸ばし指差した。

 お前は私、その口がそう動いて私は手を伸ばした。

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