身体を選べるということ
「あれっ、アルカ『二次元』やめたんだ」
或香は首のモーターを駆動させて振り返った。
友人の朱莉がシリコンの顔でこちらを見ている。
「夏休みデビュー?」
「うん。せっかくだし」
「そっちのほうがいいよ。絶対。うん。記念写真撮ろ」
シリコンの唇を広げて、朱莉が笑う。
待ち合わせ場所の犬の銅像の前に、シリコンと合金でできた二人の女子高生が立つ。
「ただいま」
或香が帰宅した時、母親のモニターには作業中を示すポーズが表示されていた。夕食の画像を描いている。
中身はプラントで合成された栄養点滴でしかないが、或香の母は視覚情報を大事にしていた。
幼い頃の或香が好きだったハンバーグと、サラダと、お茶碗に盛られた白ご飯と味噌汁。
食卓に投影されたそれを見ながら栄養点滴を腕の補給口に繋ぐ。父と母も本体から伸びたアームで栄養点滴を掴んで繋ぐ。快楽物質が含まれたそれは或香たちに香りの記憶と満腹感を与える。
「どうしてバーチャルをやめたの」
箸を手に取った瞬間、母が画像の口を開いた。
「バーチャルのほうがメンテナンスも楽だし、耐久年数を考えれば」
「うるさいなぁ、やめたかったの。ずっと」
或香はうっとおしそうに答えた。
母が登録された表情を表示した。悲しみの最大級。
「ううううううううう、ううう、うううううううう」
合成声帯が抑揚のない唸り声を上げる。
父親のモニターが動いて或香のほうを向いた。無表情に見えるが、怒りの表情だ。
「母さんを悲しませるな」
「お父さんまで何? 私のバイト代で買ったんだからいいじゃん」
或香は席を立った。栄養点滴を外す。
「私のこと何もわかってないくせに」
実体のない家族を視界から外して、シリコンの或香は部屋へ籠った。
メンテナンスポッドに入る。
活動中にできた傷や汚れが磨かれ、劣化し始めていた内部ケーブルの交換が行われる。
翌日。
或香は教室に入る。IPによって個人が識別され出席日数が数えられると同時に、宿題データの提出が行われる。
教室を見渡すと、『三次元』の生徒の方が圧倒的に多い。
かつて投げかけられた言葉を或香は思い出す。
学校の外でも『二次元』で来てるのあんただけだよ。
オタクにエロい目で見られるしさ、気が気じゃないんだよね。
モニター連れてるこっちの気持ちも考えてほしいっていうか。
或香は気を取り直して、教材を視界に表示する。
「皇后様がバーチャルのお身体をお召しになりました」
街頭テレビにニュースが流れる。
「シリコンと合金製の実体は多くの加工材料を必要とし、環境配慮の点からも」
「日本では古くからからくり人形が存在し、技術者を保護するという観点から」
「これまでは使われていましたが、やはり時代の先駆けとなる姿を」
或香は帰路に戻った。
関節が軋む。
「やっぱさ、バーチャルのが楽だよね」
「そうそう、三次元なんてモーター音うるさいし」
若い男たちの話し声が混線する。
或香は受信帯域を調整する。
「ユカ、おまたせ」
キュラキュラと全方向駆動ホイールが走る音がした。
友人の朱莉を記録した装置の上にモニターが乗っている。映っているのはバーチャルの女子高生だった。
或香も以前使っていたバーチャル用の身体をつかって、待ち合わせ場所に立っていた。
「バイト代で課金しちゃった。見て見て、このネイル」
「うん、かわいい」
「記念写真撮ろ」
朱莉が登録された笑顔で笑う。
待ち合わせ場所の犬の銅像の前に、端子と基盤でできた二人の女子高生が立つ。
人間が身体を選べるようになってから、こうした意識の転換は年単位で繰り返されている。
了