――― 征途② ―――
『浅層の森』
一足『魔の森』に入ると、空気は一変する。 空間魔力濃度が跳ね上がるのだ。 それが何故かは、未だに解明できてはいない。 騎馬と荷馬車は予定通り『森の端』の邑に待機となった。 輜重隊も其処で待機となる。
補給拠点として、野営地を設営している筈だ。 遊撃部隊はそのまま『浅層の森』に入る。 徒歩で歩む森の中。 既に小道は敷設した。 原生林と比べたら遥かに歩きやすくはある。 少し前までは、これすら望めなかったのだからな。
朋は愚痴一つ溢さず、先程迄の消耗振りが嘘のように元気に歩いている。 周辺のアレコレに興味が尽きぬのか、盛んに視線を巡らしているのだ。 彼に渡した女性兵用の装備は、遊撃部隊の正規品。 足元は装甲板付のブーツ。 厚手の革のズボンとジャケット。 どちらにも致命部分を覆う『人工魔鉱製』の装甲板が縫い付けられている。
特に女性用のジャケットの胸部装甲は、様々な意見を受け入れ、かなり試行錯誤をした逸品に仕上がっていると云ってもいい。 肩と二の腕にも薄いが簡単には刃が通らぬ様に装甲を追加している。 当然手はガントレットを装備。 強固に固めた致命部以外も、容易に負傷してしまう場所は入念に固めている。
そして、兜。
広域索敵魔法具として使用しているモノを渡している。 『釦』一つで、超長距離にも対応出来る新型だ。 最初は興味深く見ていた朋だったが、魔法術式的な原理を深く理解しているだけあって、直ぐに慣れた様子で装着し辺りを見回していた。
『浅層の森』の奥地へと続く小道。 周囲には魔獣の息使いが聞こえる様な危険地帯。 極力戦闘は避けつつ、目的の場所へと向かう。 木漏れ日が緑の葉を通し、征く道を照らし出してくれている。 夜の闇が下りる前に、先行して監視に当たっている者達と合流できるだろう。 慣れてない森歩きだった筈だが、思った以上に朋の歩みは速いのだ。
陽が傾き『浅層の森』が黄金に染まり始める頃、私達の部隊は問題の場所に到着した。 先行した第四班の班長が私の元に遣って来た。
「状況は変わりありません。 ご報告申し上げた通り、対象は塒に籠っております。 何故かは判りませんが、未だ行動には移っておりません。 周辺の状況はこちらをご覧ください」
そう云って、一枚の羊皮紙を手渡して来た。 簡易的な地図と、周辺状況を細かく書き込んだ一枚だった。 状況を読む。 成程、現状は対象が洞穴に居る事により、対象の『強者の気配』が周辺から魔獣達を排除しているという事か。 成程。 今は…… 今だけは対象に集中できるのだ。 この機会を逃しては、この強者を相手取るには状況が悪くなり過ぎる。
それこそ、幼少期に脳裏に刻み込まれた魔蝮戦と同じように総力戦の様相となるのだ。 決めるならば『今』しか無い。 胸と腹の底に重く固まる『何か』が生まれる。 苦しく、凄まじい重圧を感じるのだ。 一つの決断が状況を最悪に導くのだ。 故に、この役目は私にしかできない。
「索敵要員は一旦後方に。 射手部隊第一班、前に。 観測手は対象を捉えよ。 状況は悪くない」
震える拳を握る。 周囲に夜の帳が落ち始め、黄金の時間は過ぎ去り圧倒的『闇』が足下から忍び寄る。 時間は待ってくれない。 この機会を逃せば先制攻撃を為す時間は無くなる。 そんな気がしている。 貯め込んだ魔力により、魔蝮が行動を開始する時は近い。 伯爵級の内包魔力を持つ私だからこそ、感知できる魔力の共鳴がそれを告げているのだ。 既にその時は始まっている。
「観測手より指揮官へ。 魔蝮…… いえ、『ヒュドラ』頭を持ち上げました。 目の色は『紅』。 攻撃色です。 舌を出し、周囲を探り始めております」
「洞穴の深さは如何ほどか」
「差し渡し二十五ヤルド、高さ十五ヤルド。 射点より百と四十八ヤルド」
「動きは」
「盛んに頭を揺らし、周囲を観察している模様。 匂い…… を、追っている状況と思えます」
「……動き出せば速くなる。 今か……」
決断を下さねば成らなくなった。 夜の帳と洞穴と言う目標が居る位置。 時間と共に視認性は下がる。 攻撃目標の位置が視認できなくなれば、一撃の重さは変わっていく。 ……今か。 今なのか。 自問をする私の傍で朋の低い声がした。
「射手に渡してある『特装弾』を使え。 アレの弾頭には『凍結』の魔法術式が仕込んである。 弾頭には魔石粉を詰め込むだけ詰め込んである。 量は通常弾の倍。 着発で魔法術式は解放される。 なに、当たらなくてもいい。 観測手が言った程度の空間ならば、瞬く間に凝華し十分に全体を凍結する事ができる」
「そうか…… 判った。 射手ッ! 『特装弾』の使用を許可。 狙え、撃て」
軽い圧縮空気の開放される音。 と同時に拳ほどの弾頭が洞穴の中に飛び込む。 盛大な咆哮が洞穴より周囲に広がる。 絶叫が響き渡る。 重く『魔力』を含んだ衝撃波が展開した部隊に叩きつけられた。 これは…… 失敗したか?
「なに、暫くの間はのたうち回る。 だが、周囲の温度が凍結温度に成るのだ、変温の生物にとっては致命的な環境となる。 冬眠休止状態に移行するな、きっと。 ほら見ろ、動きが止まった」
そう呟く朋は、私に変形した玉状の魔道具を差し出す。 前世の記憶から云えば、ラグビーボールと同じような大きさと形をしたものだった。 これが、朋の言う『切り札』と言う事か。 複雑な魔法術式が呪符されているのが見える。 何を想起し、どのような状況を想定して作り上げたのは、帰還してから聴かねばなるまい。
「使え。 『ヒュドラ』はその行動が停止したとしても、存在する事が『害悪』と成ると書物に有った。 その身より『毒』が周辺を侵すとある。 無効化する為の一連の術式は組み込んだ。 まぁ、前に云った通り、主眼は『聖水』による浄化だがな。 後は色々と組み込んだ。 迂闊に近寄る事は、致死性の『毒』を喰らう可能性が有る。 投げられる様に『この形状』としたが、誰かあそこ迄投げられる者はいないか?」
「居る。 第一班班長、此処に」
「はい!」
射手の彼女を呼ぶ。 凍結した洞穴の中に魔道具を投げ込むには、正確に投げられ且つ飛距離を有する者が適任だ。 手で投げるとすると、洞穴『入り口』まで行っても、対象には届かない。 届く場所まで近寄ると致死性の『毒』に当たる可能性が有る。 つまり、洞穴入り口から『ヒュドラ』にまでこの重量が有り、大きな魔道具を投擲する事が出来る事が必須条件だ。 何人かの候補が頭の中に上がったが、腕前が一番という事で彼女を指名した。
「これを洞穴入り口から『ヒュドラ』へ叩きつけて貰いたい」
「了解しました。 ちょっと大きいけれど…… 『スリング』を使用します」
「頼んだ」
朋から手渡された魔道具を射手第一班班長に手渡す。 真剣な面持ちで重量を計り、片手に装備していたスリングを抜き放った彼女。 するすると洞穴近くまで【隠形】の術式を発動しつつ近寄り、洞穴内を少し観察してからスリングに魔道具を載せ回し始める。 十分な回転速度まで達すると……
……シュ
極めて静粛な音と共に魔道具は打ち出された。 彼女は行く先を確認すると同時に退避行動に移り、岩陰にその身を潜ませる。
幾許かの時間が過ぎた後、洞穴内部から更なる魂凍る『絶叫』とも言える咆哮が響き渡った。




