――― 慶事の影にて ―――
季節は移り替わる。 もう直ぐ “ ちい兄様 ” の御婚姻式となる。 騎士爵家本邸が有る街は、まるでお祭りの様な騒ぎになっていた。 騎士爵家から上級伯家への婿入り。 前代未聞の婚姻だと人は言う。 勿論、それは王都に於いても同じである。 王都より運ばれる情報には、あちらに於いても大いなる驚きを以って『この婚姻』を受け止められていると綴られていた。 宰相閣下や近衛参謀のアイツが、様々な策謀を巡らしこの婚姻に関する『穴』を塞ぎ、『堀』を埋め、更には上級女伯様の元の主人たる公女様よりの『言祝ぎ』の言葉さえ頂いている。
祝福が街にも王都にも溢れていた。 善き事なのだ。 そして、なにより嬉しいのが、ちい兄様は上級女伯様を慈しみ愛でているという事実。 我らが故郷周辺で、あれほど御美しい方は二人と居ない。 ただ、側にいるだけで、ちい兄様は幸福を感じられるのだろう。 それが許される立場に成っているのである。 そして、誓われるのだ。 一生涯を賭けて、愛しい妻を護り抜くのだと。
善き事である。
慶事は続く時は続く。 大兄様と御義姉上の間に、愛らしい双子の男児が誕生したのだ。 父上も母上ももうメロメロに成っている。 あれ程、眉の下がった父上を、未だかつて私は見た事が無かった。
確かに、双子の甥っ子は可愛い。 愛らしく、何を以てしても護ってやりたいと思ってしまう。 機嫌よくニコニコとしつつ、此方に差し出す小さな手。 その手は未来の光を掴む為に有るのだから大切にしたい。 父上は急に鍛練を再開し始められた。 体力の衰えを感じられたのだろうか?
朋の主治医たる者の協力も有り、幸いにして母子ともに健康で、双子の甥たちもスクスクと育っている。 乳母も母上が厳選し良き人が担ってくれている。
故に、御当主である父上夫妻と、御継嗣である兄上夫妻は、上級女伯様とちい兄様の御婚姻式に揃ってご出席に成る予定でも有った。 つまり、暫くは本邸に騎士爵家の者が居ない状況となる。 留守を預かるのは私だ。 父上には、騎士爵家 当主代理として暫時家内を差配するように命じられてもいる。
まぁ、そうなっても可笑しくない歳になったという事だ。
微力ながら、お手伝いしようと思っている。 騎士爵家には有能な連枝も居られるし、家内を良く知る執事長も家政婦長も居られる。 何らかの決断を下さねば成らない時には、選択肢を明確に明示してくれる補佐役と言う事だ。
――― だから、あまり騎士爵家の政に関しては、心配はしていない。
私はそんな倖せの喧騒から少々離れていた。 と言うのも、浅層の森に入っている狩人から、気に成る情報を得ていたからだった。 森の端だけでは無く、浅層の森にも魔導通信線を『番小屋』に通し、張り巡らせるように敷設した。 各所の『番小屋』から、即時情報として森の中の魔物魔獣の動きを狩人達が報告してくれるように整備した。
その情報の中に一つ、とても気に成る事があったのだ。
副官を伴い私の執務室に掲げてある森の大地図の前に陣取る。 情報の種類により、ピン頭の色が異なる複数のピンが刺さっている。 色は白。 特殊な『残置物』が有った場所を示している。 その周辺の情報に関して、狩人が報告では妙に野獣や魔獣の姿を見ないとも有った。
「次席、どう見る」
「そうですね…… 何かしらの特異点が発生したのかもしれません」
「容姿変容か?」
「確認せねばなりませんが、狩人の言う特殊な『残置物』が何を示しているかによります」
「敢えて、その様な表現を使っている場合も有る。 危険度の予測が付かないのかもしれない。 第四班が特殊な『残置物』の確認に向かっている。 “回収できるならば”と、念のために工兵も帯同させた」
「宜しいかと。 四班の指揮官は…… アレですな。 アレは如才無く事を運ぶ。 ならば、発見し次第報告を上げるかと思われます」
「そうか。 魔導通信線一巻と携帯通信機も持たせている。 現地からの報告が通信室に入るやもしれんな」
「御意に」
腕を組み、大地図を睨みつけるように見詰める。 何が出るか…… 我らが街も、上級女伯領も浮かれている現在、寄り親たる上級伯家に『合力』を要請するような事態には なって欲しくない。 まして、騎士爵家はもう直ぐ『蛻の殻』に成るのだ。
大地図の前に副官と共に立っていると、先触れも無く朋が遣って来る。 相変わらず、容姿の変容が固定して女性の姿なのだがな。 その身を王宮魔導院 正魔導士の正装で包み込んでは居るものの、醸す雰囲気がまるで御伽噺に出て来る『魔女』の様だ。 いまだ朋の姿には慣れない。 つかつかと、私達の横にまで歩を進め、私達と同じように大地図を眺める。
「……よくもまぁ、これ程の魔導通信線を埋設したな。 使う者が限られているとはいえ、私が夢見た遠距離通話体制を完成させているのに驚かされた。 『通信室』だったか? あれも素晴らしい物だ。 人の手を介する事で、全てを魔道具で賄うよりも余程スッキリと纏まっている。 単純な話だったのだ。 あぁ、これを通信室から預かった。 緊急報だと云っていた」
「おい、通信士の仕事だぞそれは」
「構わんだろう。 あっちも卓を離れる訳にはいかない。 “私ならば” と、預けてくれたのだ。 ほら、これだ」
通信文を手渡して来る朋。 内容にサッと目を通す。 紙片に綴られた文字が『目』に入り『頭』で理解した途端に眉が寄る。 状況は悪い。 想定していた以上の事柄が綴ってあったのだ。 無言で副官にその紙片を渡す。 サッと目を通した副官も、困難を予想してか眉の間に皺が刻みつけられた。
「……魔蝮の特異体と推測できると? 全長八ヤルドの完全な抜け殻ですと? 通常種ならば、二ヤルド程度しか成らぬ魔獣。 それが、八ヤルド。 脱皮後は…… さらに成長しますから、十ヤルドも想定できます。 極めて危険な魔獣の特異点となります。 塒らしき洞穴に、その姿も確認したとありますな。 その周辺に小型の魔獣の残骸がクソと共に散見されると。 脱皮前に体力保持の為に喰ったか…… 成程、魔獣や野獣の姿が薄い訳だ」
「事が大きくなる前に討伐したい」
「難しくありませんか? かなりの戦力を以ってしても、持久戦に成ります。 長蟲を『銃』で狙撃する事は非常に難しいですし、まして塒に籠られては、観測手も視線が通りません」
「判っている。 が、捨て置く事は出来ない。 且つて、私がまだ十歳にも満たない頃、同じような蛇種の魔獣の暴走による被害が有った。 状況が後手に回った為に、ほぼ総力戦となり多数の兵達が故郷の礎となってしまった。 この個体は、その時のモノよりも大きい。 出来れば、次兄様の御婚姻前に、どう対処するかの目途くらいは付けておきたい。 主力を動かすにしても、合力を頼むにしても…… 時間が欲しい。 遊撃部隊の全力で『索敵強襲』を仕掛ける。 どうだろうか?」
「……無理は禁物です」
「無理…… か。 しかし、やらねば成らん」
ひそひそと今後の対処方法を模索する私達。 大地図を前に、何やら考えていた朋が口を開く。 それは、当たり前の様で、魔物や魔獣の襲来に対処している私達では持てない視点からの言葉だった。
――― 辺境の常識を知らぬ『朋』らしい、助言でも有ったのだ。




