――― 朋の来訪 ―――
空は何処までも青く、ぽっかりと浮かぶ雲が風に吹かれゆっくりと移動していた。 あぁ、今日も良い天気だ。 『魔の森』から異変を知らせる報告も無く、穏やかに時が過ぎていく…… 辺境に安寧を願う私には、真に願う情景が其処に在った。 心から嬉しいとそう思えるような情景。 一点の『不穏な影』が情景に映り込んではいるが、そんなモノは無視してしまえば良い。 あぁ、良いのだ。
そんな現実逃避をしているのには、理由があった。
「朋よぉ~ 助けてくれ~ お願いだ~ 何とかしてくれ~」
悲痛な…… か細い叫び声が、『砦』玄関口に響き渡る。 『砦』勤務の遊撃部隊の猟兵達からの生暖かい視線と、通信士である寡婦達の好奇心に満ち満ちた視線を受ける羽目に成った。
朋が上級伯家の上等な馬車で『砦』に乗り付け、馬車の扉を開けた途端、転がり落ちる様に俺の元に走って来た時からだ。 確かに、面影は有る。 が、その姿は ” あられもなく ” 着衣を乱し、髪も乱麻の如く粗く乱れ、『羞恥』と『悲嘆』に真っ赤に染まった顔を此方に真っ直ぐに向け、ひたすらに助けを請うその姿は、どう見ても『朋』ではない。
紛れも無く、誰かに襲われた直後の様相を呈している『女性』なのだ。
走り込み私に縋りつく若い女性。 とても現実の光景とは思えなかった。 それに、こんな状況は前世も含め今まで無かった事もあって、私は固まってしまった。 いや、本当に参った。 縋り付く女性は、とても美しく見える。 着飾って王宮に居れば、どこぞの貴顕の御令嬢も斯くやと思われる。 美しさだけならば、魔法学院在籍時でもなかなかお目に掛った事がない位な美人なのだ。
貴族女性としては及第点とは言えない行動が、何とも言えないが…… まずは、何が起こったかを聞かなくては成らないと思った。
「いや、少々待ってもらいたい。 その様な、はしたない行動は『淑女』としてどうかと思うが?」
「朋よ! 何を言っているんだ、私だ、私!! ちょっと、ポーションの重複過剰摂取でどうも身体が本来の性別を誤認してしまったらしいのだよ」
「???」
「いや、ほら…… 人に紛れるだけでは、自分を知っている人に会うかもしれないだろ? だから、『性別交換ポーション』使って……』
朋か、朋なのか……
呆れた。 本当に呆れ果てた。 錬金塔での朋の行動を思えば、正直な話『やりかねない』という感情しか持てない。 魔法と錬金に関しては天才だが、歯止めが利かぬ性格をしているからこその、数々のヤラカシを私は知っている。 が、今回は特大のヤラカシだ。
何故ゆえ、『自身の身体』が性別を誤認する程、『性別交換ポーション』を続けさまに飲む必要が有るのか。 それも極めつけの禁忌に当たる薬剤をだ。 不思議でしかない。 思わず、心の底からの感情が、声となって言葉に変換され口から漏れた。
「…………バカだろ貴様は」
「はぁ?! 何だと!」
「アレは『重禁忌』のポーションのはずだ。 持っているだけでも犯罪者と云われるような代物だぞ? 【身体変容】を魔法術式に落とし込み、それを薬剤化したモノだと記憶しているが、それを重複過剰摂取だと? 貴様…… 何処で手に入れた」
「………………あぁ~ 作った。 錬金塔では製薬も学んだし、たいして難しい物では無かった。 なんたって俺は天才だからなッ!」
「本当は『馬鹿』だろう、貴様は。 はぁ、もういい。 詳しい話は執務室で聞く。 それと、その姿で縋り付くな、離れろ。 外聞が悪すぎる。 見て見ろ『砦』の部下達が挙って覗きに来ているんだ。 妙齢の御令嬢があられもない姿で抱き着いて来たとか…… どれだけ私の評判を貶める積りなのだ、貴様は!」
「し、仕方ないだろ。 ちょっと前まで、ポーションで『男』に留まって居たんだが、こっちに着いた途端に急に薬効が切れて『性別反転』が起こっちまったんだ。 背は縮むし、服は男物だから全く体に合わなくなるし、そりゃ色々とずり落ちるよ。 仕方なかったんだ……」
朋は、逍遥と項垂れるも未だしっかりと俺に縋り付く事を止めない。 馬車からは侍従達が毛布の様なモノを持って走って来るし、ヒソヒソと辺りからは様々な憶測の様な声も聞こえる。
ろくでもない噂話が独り歩きする事は、想像に難くない。
魔法学院での研鑽の間に ” 懇ろ ” に成った女性が、何時まで経っても迎えに来てくれず強硬手段を取ったとも見えなくも無い。 途中で襲われ、命と貞節を守りつつ、逃げ込んで来たとも捉えられる事が出来るのだ。 ……全く以って気に入らない。 振り解く様にして朋を彼の従者に任せ、執務室の準備を通信士の女性に願う。 加えて、朋の姿を整える事もお願いした。
「すまないが、アレに何か着せてやって欲しい。 あの姿はあまりにも…… 準備が整ったら執務室に案内を頼む。 あぁ…… あれは私の『朋』であり男性だ。 ああ見えても、上級伯家の御次男だ。 ……ああ見えてもな。 済まない、頼まれてくれないか?」
「宜しいですわよ、坊ちゃま。 ……『男性』には見えませんが、男物の装いを準備しても宜しいのでしょうか? それとも、あの姿に沿うように装うようにしても…… 宜しいですか?」
「どちらでも、今のアレよりもマシだろう。 朋の従者と諮らい、よろしく頼む」
「承知しました。 ええ、ええ、執務室でお待ちください」
彼女はとても良い笑顔を浮かべ、朋と朋の侍従達を連れ女性棟へと向かった。 大きく溜息を吐き、トボトボと執務室に向かう。 途中、第一班の射手班長が何とも言えない顔で佇んでいた。 そう云えば、定期哨戒の任務だったな。 報告か。 哨戒地域は『魔の森』浅層区域西側の未踏地区。 気合を入れて出撃した割に、元気がない。 どうした?
「なにか問題でも有ったか?」
「いいえ、有りませんであります……」
「ん? 無かったのか、有ったのか?」
「あ、有りません。 ほ、報告を……」
「執務室にて訊こう。 おおよその索敵路は把握している。 そこから見えた状況を報告せよ」
「はい……」
執務室に入り、机に着く。 彼女は報告を始める。 『浅層の森』西側に於いては魔獣の生息数は平均値以下であり、脅威度も少ない。 異常繁殖を認める事は無かった。 生態系は安定しており、手に負えない狂暴な魔獣の出現も観測されていない。 これは、狩人ギルドに於いて定めた魔獣の討伐数が厳守されているからであり、森の生態系における懸念を払拭している事柄を表す。 現状、『浅層の森』西側に於いては魔獣の大繁殖や暴走が起こり得ない事を意味する。
「よかった。 『浅層の森』東側の惨状は目を覆うばかりではあったが、西側は比較的落ち着いていると、そう断じても良い情報だった。 哨戒活動、ご苦労だった」
「あ、有難う御座います。 そ、それで…… 指揮官殿……」
「ん、なにか?」
「あ、あの女性は、ど、何方なのですか? 指揮官殿にとても気安げに接しておられたのですが……」
「魔法学院時代の朋だ。 私と同じく錬金塔にて研鑽を重ねていた高位貴族の方だ。 ある意味、天才だと云える」
「天…… 才…… ですか……」
「あぁ、殊、魔法術式や『魔道具』、『錬金術』に関して私はあの方の右に出る者を知らない。 知識も豊富、其処から発生する知恵も眼を見張るものが有り、更には『民生品』の『魔道具』を見出す事にかけては、綺羅星が如く才豊かな者達が集まる王宮魔導院に於いても、一頭地を抜く存在だと思っている」
第一班の班長である射手にそう告げた時、開いたままの執務室の扉向こうから声がする。 やけに嬉しそうな声色に、私まで驚きを隠せない。 その言葉を発したのは、当然の事ながら着衣を改めた『朋』だった。




