――― 母上の怒気 ―――
晩餐の席上、父上が母上に言葉を紡ぐ。 色々と近隣騎士爵家との間で話し合いが行われたのだろう。 と、言うのも、森の中に入る兵達の損耗率に関し、近隣騎士爵家と我が家の差が顕著となり始めていたのだ。 理由は、確かにある。 が、それは我が騎士爵家の特殊事情であり、他の騎士爵家では持ち得ない『魔道具』が原因なのだ。
「……どうだろうか、対魔物、魔獣戦と『浅層の森』の監視の為に『索敵魔道具』の貸与、若しくは販売を視野に入れる事は出来るだろうか?」
「あなた…… 未だ、時期尚早ですわよ。 アレの秘匿にどれ程苦労しているかご存知ないの?」
「いや、知っている。 知ってはいるが、他家の者達も馬鹿では無い。 先の戦役に於いて次男が易々と『浅層の森』を踏破し敵の側背を攻撃した事は、遠征軍に参加した各家には周知の事実だ。 それがどの様に為されたのかが、未だ不明だと言うだけでな。 皆、秘密を知りたがっている。 と言うよりも、うすうすは勘づいているのだ」
思わず、口にした晩餐を噴き出しそうになった。 いやまて、既に『索敵魔道具』は宰相閣下と近衛参謀殿にはお見せしている。 特に近衛参謀殿は興味を強く惹かれても居た。 いや、まてまて…… 危ない話は、先に済ませておくべきだ。 口元をナプキンで拭き、水を飲んだ後で平然を装い母上に言葉を綴る。
「母上、残念ですが情報の秘匿は難しくあります」
「どういうことですか?」
「はい。 先だって、父上、母上、次兄様が上級女伯様の御邸に出向かれた時に、宰相閣下と近衛参謀殿のお二人が。私の居る『砦』に参られたのは、ご存知ですよね」
「あぁ、継嗣から聴いている。 それで…… 何が有ったかも、聴いた。 無茶をする」
「本当に…… 万が一の事が有れば、この騎士爵家全員の首が落ちていた事、間違いは有りません。 本当に肝が冷えました。 それがどうしたのですか?」
「宰相閣下は遊撃部隊の『黒揃え』に関しての何らかの知見をお持ちです。 更に、近衛参謀殿は『索敵魔道具』に強く興味を抱かれました。 更に、魔導卿家の『朋』の探索に関し、助力を求められた際に、幾許かの考えと共に、旧型の一般兵用の『索敵魔道具』を五個ほど差し上げました。 既にアレの存在は知る人ぞ知る物と成っております」
「何ですって!! 早く言いなさい! そんな大事な事を、なぜ黙っていたのですかッ!」
「すみません…… それ程、大事に成るとは思っておらず……」
「全く…… いいですか、アレは『魔の森』への侵入を容易にする魔道具です。 味を占めたら最後、有象無象が列を成して『魔の森』に侵入します。 森の浅層域に於いて生態系が崩れる事は間違いありません。 今でこそ落ち着いてはいますが、その均衡は危うい事なのは、貴方だって理解しているでしょ? 大量の小型、中型の魔獣を狩り尽くさば、小型魔物の餌が無くなり、暴走を起こします。 そうなれば、誰にも止める事は出来ないでしょう。 我らが支配領域では、『浅層の森』での狩りは『狩人ギルド』登録狩人以外は認めていません。 狩り出せる獲物の頭数にも制限を設けているのを知らないとは言わせませんよ」
「はい…… その通りに御座いますね。 失念しておりました。 申し訳ございません」
「何らかの手を打ちなさい。 私も辺境女伯様におすがり致します」
「限定的な使用方法として……」
「最終手段です。 販売では無く貸与とし、広く一般への頒布は認められません。良いですね」
「はい…… 申し訳ございません」
強い叱責だった。 母上の言う事は一々御尤もだ。 何の為に『狩人ギルド』が創立されたか忘れた訳では無い。 森の資源の管理と、行き過ぎた魔獣討伐を禁ずるためだった。 母上の言葉は、重く私の心を締め上げる。 近衛参謀殿へ早速手紙を送ろう。 『索敵魔法具』の一般への広がりは、これ即ち森の端や辺境域の危機であると。 まだ、大きく広がっていない事を願うばかりだ。
――――
早急に事態の鎮静化を図らねばならない。 前回から時を置かず、手紙は二通綴った。 一通はお約束した通り宰相閣下への『魔の森』の最新探索状況報告。 もう一通は近衛参謀への嘆願の手紙。
宰相閣下への手紙は、事実の羅列に過ぎない。 先ずは『浅層の森』を命を掛けて踏破する事が無いように、十分な監視体制と小道の整備に専念する事を綴っている。 事実、我が騎士爵家支配領域の『魔の森』東側浅層領域においては、主要な小道の打通には成功しているし、西側に於いても重要な小道については既に『番小屋』と『通信魔道具』に関しては設置済みでも有る。 たまに、あの滝の上の『番小屋』に向かい、エスタリアンの彼女と落ち合う。
と云っても、あちらに行けば彼女がそれを察知し、遣って来ると云う事なのだ。 お互いに必要なモノを書き出した紙を持ち合い、次回会う時に持ってくるという、交易まがいの事も始めている。 あちらでは、火を使う事が厳禁と言う事も有り、温風を出す魔道具や、ポット、火の出ない加熱器などを所望される。 当然、それに付随する『蓄魔池』もだ。 こちらではありふれたモノであっても、あちらでは貴重な魔道具。 見返りは、見た事も無い様な魔物の素材が主だった。
『砦』に帰ると、交易品の精査をするのが、私の役どころ。 中層域でもお目に掛かれない様な不可思議な魔物の素材がゴロゴロと有った。 当然の事ながら、『魔物総鑑』にも記載されている筈も無く、その固有の特徴から『どんな種族のどんな種』なのかを特定する処から始まる、困難な事柄でも有る。 系統立てて解析しなくては、今後中層域よりも深く森に潜る場合、必要不可欠な情報となる事は必至。 慎重に慎重を重ねて、解析を進めているのだ。
その様な事を宰相閣下の報告書には記載している。 喜んでもらえれば幸いなのだが、あちらにしても、貰ってもあまり嬉しくない情報だろう。 森の奥深くに想像を絶する強い魔物が生息している証拠にも成るのだ。
一例を挙げると、人の拳ほども有る鈎爪。
大きくクルリと巻き込んだその形状は、『浅層の森』付近で良く見る魔森猫の鉤爪と酷似している。 しかし、大きさが五十倍。 つまり、本体も五十倍の大きさが有ると云う事だ。 あの俊敏性を維持しているとすると、そう簡単に討伐する事も出来ないだろう。 いや、遭遇すれば生き残れる確証は無い。 魔猫族森猫科の巨大魔物を想像して胸が悪くなるのだ。
きっと、宰相閣下も同じような感想を抱くだろう。 情報を公にするかどうかは、あちら次第だが、今はまだ表に出さない方が良い様な気がする。 一攫千金を狙って、『馬鹿』が討伐を狙うかもしれない。 森を荒らされて、挙句の果てに中層以遠の『魔の森』で救難信号でも打たれては、目も当てられないからな。
宰相閣下が賢明なご判断をして下さるよう祈るしか無い。
二通目の近衛参謀殿に対しての手紙は、母上の『懸念』を素直に伝えた。 『魔の森』の安寧は、この辺境の故郷の安寧に直結する。 『索敵魔道具』に何らかの有用性を見出し、大々的に広げる事が何よりも怖い。 私にしては珍しく、切々と危険性について言葉を重ねた。
騎士爵家支配地域が、『森に沈む』事は、絶対に避けねば成らないのだ。




