幕間 07 生涯の好敵手
王都 王太子執務室は、第一王子殿下のペン先が奏でる音以外静寂に包まれていた。
政務における決裁や、判断を仰ぐ幾多の書類を処理しながらも、彼は今戦役に思いを馳せる。 自分が何を成し、その結果どのような『勝利』を得られたのか。 それが、明確に顕わされるのは、少なくとも年単位の時間が必要である事は間違いなかった。
故に、今はまだ『戦争を早期に収束させた事』が、彼の評価となっている。 彼の言動を見続け、その講和条件を承認した国王陛下や朝議に参する高位貴族達は、彼の遠謀を知ってはいる。 その鬼謀とも言える策略に、深い満足を覚え彼をして『王太子』に冊立する事を決したとも言えた。 しかし、当の本人は忸怩たる思いも有る。 なぜならば、自身の策謀は『定められたモノ』の様な気がしてならなかった。 そう、誰かに誘導されたと、そう感じざるを得なかった。
今思えば、全てが整えられていたと、そうとしか考えられない。 と、執務室での公務を執りながら、第一王子殿下はつらつらと今戦役に於いての自身の役割を振り返る。
―――――
第一王子殿下が北部交易都市に到着した時には、北方各国の貴顕たちは 既にあちら側の主たる者達と会談を済ませて居た。 交渉は何ら困難を感じる事も無く、北方の小国の王族に連なる者達は、第一王子殿下の主導のもと、緩やかな連盟を組み帝国に対峙するように持って行けた。 いや、言葉柔らかなれど、そう強制できたとも言える。
さらに、連盟の『力の根源』となるべき軍に関しては、王族が『皆殺し』の憂き目にあった国の国軍が名乗りを上げてくれた。 かの軍勢を『連盟の遊撃軍』となし、国内情勢に手を拱く数々の小国に合力する様に仕向けられた。 小国の貴顕達も、それを望んでいた雰囲気でもあった。 『緩やかな連盟』は、時と共に『強固な連合』となり、いつしか『連邦』ともなるやもしれない。
その時に、王国が影響力を持てるようにしておかなくては成らない。 よって、第一王子殿下の交渉術は磨きに磨き抜かれ、王国上層部では『傑物』との評価を受けるに至った。 何事も、始めるより終わらせる方が難しい。 軍事力を背景に口を出せば、いらぬ反発を受けかねない。 第一王子殿下は連盟に対し経済的助力を約束するが、決して軍の駐留などは口にはしなかった。
『貴国の内政に干渉するは、帝国と同じ。 貴国の決断を以って国を治められるのが良かろうと思う。 その為の助力や援助は惜しまない。 先ずは、通商路の再構築からを成したいと思う。 そちら側に行くには、厳しき道行なのだからな。 良いだろうか?』
北方小国の貴顕達はこの言葉に歓喜する。 王国という強大な後ろ盾を得たのだ。 それも、政治的には口を出さないと そう明言すらしている。 交渉が進展しない訳は無いのだ。 しかし、各国の貴顕達は、第一王子殿下の言葉の裏側の『薄暗い思惑』には気が付いていない。 いや、そう仕向けていた。 王国の国王陛下以下の幕閣は、気が付いても表情には出さない。 そして、彼が成す事は未来の国王として『当然で然るべき事』としか受け取っていない。 公女以外、彼の心に言及する者は居ない。 “ 王族に『朋』はいない ” と、王子教育に於いて何度も囁かれた言葉が心に浮かぶ。
故に、第一王子殿下の御心は鬱々とする。
しかし、それも又、この国の王子として生まれたモノの定めなのだと、大きく嘆息を落としても居た。
―――
闊達な挨拶の声と共に、王太子殿下執務室に近衛参謀がやって来た。 暫く姿を見ないとは思っていたが、日頃の公務に忙殺されていた第一王子殿下は、ただ再び姿を見せる事を期待するしか無かった。 そして、今、彼は帰って来たのだ。 明け透けに、サラサラ悪いとは思っていない所が、第一王子殿下にとっては業腹な部分でも有る。 が、彼が何を成したのかは、判らぬままでも必要な事だと思えるのだった。
「殿下、暫く御側を離れまして申し訳ございません。 ……王宮古狐に捕まりましてね」
「宰相か…… ひたすら面倒な御仁に目を付けられたな」
「ハッハッハッ、話が早くて助かります。 まぁ、色々と視察に連れまわされまして…… おもに北方ですがね。 さて、ご報告が御座います」
「なんだ」
「北方辺境の上級伯爵家の御当主様に『配』をと考え、今戦役に於いて目覚ましい活躍をした騎士爵家次男をと思いましてね。 宰相閣下と諮り、国王陛下の御認可も頂きました。 あの家も…… これで高位貴族の仲間入りですな。 一度籍を軍務卿家に入れてからとなりますがね。 結構結構」
「……貴様の思惑か?」
「宰相閣下の思惑とも言えまする。 まだ、少々足りませぬがね」
「と云うと?」
「ちょっと、重要な『監視対象』が、おりましてね、王宮に引き込めない事情が有り、誰を以ってその者を監視するかを決めあぐねておるのです」
「…………従来は、誰が?」
「上級女伯様に御座いましたよ。 公女様の命を受けてだと思われますが、その者の『重要度』が、今戦役に於いて上がりました。 宰相閣下としては、引き込みたかったのでしょうな。 あの家を中央と結びつける事は、上級女伯と騎士爵家次男との婚儀で達せられましたが…… まぁ、『目的の人物』は別に居りますので」
「…………婚約者が言っていた。 お前の言っている者が『アレ』ならば、アレには魔法学院の級友たる『朋』が居る筈だ。 上級伯家の次男だそうだな。 たしか、今は……」
「あぁ、ご存知でしたか。 確かに、手は打っておりますが、とんと姿を表しません。 アレに探し方を聴いてみるのも宜しいでしょうな。 またぞろ、何かしらの『妙案』を綴ってくれるやもしれません。 あぁ、あの魔導卿の次男については、別件で少々尋ねたい事が有りましてね。 宰相閣下の御許可の下、彼の罪は恩赦されておるのですが…… どうやら伝わってはいないかと。 まぁ、そんなこんなで、現在、此方でも探索しているのですよ」
「成程…… 『朋』か…… 善き言葉の響きだな」
「第一王子殿下には望むべくも無いモノですからね」
「陛下には、宰相が居られる」
「あのお二人ですか。 アレこそ奇跡に等しいのですよ。 お二方とも、転んでも只では起きない御仁ですので、その思考と御宸襟は小臣の身では伺い知る事など出来はしませんがね。 まぁ確かにお二人の間には、確固たる友誼が有るのでしょう」
「確固たる『友誼』か。 ……まぁ、良い。 その『宮廷古狐』に見込まれた貴様もまた、『若狐』に成るであろうからな。 これからも、宜しく頼む」
「……私は。 わたくしは軍務卿家の『嫡子』であり『継嗣』ですよ?」
「軍務卿家には連枝の者もいるであろう? 名誉と誉れは地に落ちてはいるが、お前の双子の『兄』も居る。 あの古狐…… 狙ったモノは噛みついて離さんよ」
「……ですよね。 そうなりそうな気はしていたんですよ。 あの御忍びの道行に同道を命じられてから……」
心底嫌そうな顔をする近衛参謀。 そんな彼を、心の底から黒い笑いを表情に浮かべ、第一王子殿下が見詰める。 そうか…… コレを片腕にせよと思召すか、陛下と宰相は…… 心内で一つ嘆息を落とす殿下。 しかし、彼を御せなくては王国の統治など夢のまた夢。
黒い表情は更に深まる。 そして、思考と重圧が頂点に達した第一王子殿下…… いや、王太子殿下は大きな声を上げて、久方ぶりに呵呵大笑して近衛参謀に言葉を投掛けた。
「ハハハハッ!! 既に貴様の退路は断たれているのだ。 諦めろ。 そして、俺に仕えろ。 遣い潰してやる」
「おぉ、怖い怖い。 宰相閣下と同じ事を言われるか。 しかし、軍務卿家の教育を舐めんで戴きたい。 『遣い潰す』つもりが『走狗』に成っていたと、そうならんようにして下さい殿下」
「生意気な事を言う。 しかし、小気味よい。 心しよう。 『曳き綱』を手にするか、首に掛けられるか……か。 面白い。 これから、もっと面白くなるな。 そうなるな。 ……貴様を俺の筆頭側近として任じようか?」
「いやぁ…… それは、無理筋と云うモノ。 殿下がそう望まれるならば、陛下より『宣下』を頂いて下さい」
「喰えん漢だ。 判った。 暫くは近衛参謀として使い潰す。 文官の真似事も出来るだろ?」
「まぁ、そっちも…… 出来ますよ」
「ならばよし。 ……貴様の言う『重要監視対象』とやらの『監視人』に関しては一任する。 策を巡らせ嵌めろ」
「御意に…… いやはや、殿下がこのような『酔狂な方』だとは思いませんでした。 これは、これで認識を新たにしましょうか。 王国にとってはこの上も無く『善き事』ですな」
「初めてだ、俺が『素』を出してその様な事を言われたのは」
「流石、あの国王陛下の『掌中の珠』だと思いますがね。 『薫陶』も『修練』も『鍛練』も何もかもを享受され、その習熟に時間を掛けられた結果『肚』まで育っておられるとはね。 感服いたしましたよ殿下」
「俺など、まだまだだ。 まだまだ、『至高の階』を登るには練度が足らん。 『王国を背負い人心に安寧を齎す』為にお前の力を貸せ。 これは、『願い』だ。 命令では無い」
「承知 仕りました。 殿下の『願い』しかと」
―――――
後世の歴史書は語る。 対北方帝国戦役の戦勝の熱冷めやらぬこの時期に、英邁で賢王となる『第一王子殿下』は『生涯の朋』を得たと。 万人に慈しみと愛情を注ぐ国王夫妻の傍には、冷徹なる宰相が目を光らせ、王国の安寧を司る両輪となったと伝える。
第二部に続く 最後の幕間です。
第二部 第一幕、 鋭意執筆中です! どうぞお楽しみに。 中の人、頑張ります!