幕間 06 次代の王
王城 王太子執務室。
巨大な執務机の前に座り、政務に取り掛かっている第一王子殿下の執務机には、本戦役に於ける様々な報告書や嘆願書が堆く積み上げられている。 宮中の各部署から、王太子が決裁するべき書類として。 重圧はひたすら重く、これから王国の未来を考えれば、決して疎かにすべきでは無い幾多の案件。
誠実に政に向き合う彼に、周囲に侍る側近達は尊敬のまなざしを向けている。 侍従、侍女達も又、第一王子殿下の政務がいかに重要なモノかを理解しており、彼の妨げに成らぬ様、そして僅少でも心安らげる様にと、心を尽くし仕えていた。
皆の心配りを嬉しく思いながらも、頬には苦い笑みが浮かび上がっている。
北部商業都市から凱旋した第一王子殿下は、王宮侍従と女官の言葉で、暮らす場所が変更となった事を知った。 これまでは、王子宮と言う場所で、第二王子と居住場所は違うが、同一の宮で暮していた。 が、戦役が終結し、戦後交渉も比較的順調に片付いた結果、次代の王として認められたと云う事の証左に他ならない。
北方帝国の侵攻を受け、国王陛下の宣下により北方商業都市へと出陣した第一王子殿下。 自身でも判り切っていた事だが、軍事的な作戦立案や実際の戦闘には全く期待されていない。 というよりも、軍事作戦の妨げに成らぬ様に、目途が付くまでは遠ざけられていたともいえる。
極論すれば、最前線に赴く総司令官として実際に出征する時は、勝ったときか、敗戦処理の為の勅使となるべき時かの『二択』しかない。 軍事という面において、第一王子殿下は期待されては居なかった。
誰よりも、それを理解していた第一王子殿下。 それ故に、戦働き以外で何らかの勲功を挙げなければ、自身の立場を失う事になる。 懸命にその方策を考え、周囲に諮り知恵を巡らせ今戦役に臨んだ事を思い出していた。
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本戦役に於いては、自身の役割が『善き方向』に動きだしたのを知ったのは、北方商業都市へと出撃する直前。 今戦役に於いて、軍事的な勝利が見え始めていたからだった。 『北の帝国の侵略』から国を守る迎撃戦は、失うモノが多く、得る物は無いに等しい。 華々しい戦果を挙げる機会も無い。 勇猛と言う評価を受ける事も無い。 戦争と云う暴力に関して、第一王子殿下は、純粋な戦闘に於いて、その手腕を期待されてはいない。
――― では、なにが期待されたか?
戦役終了を見越し、その後始末を国王陛下に一任されたと、そう第一王子殿下は理解している。 いや、これもまた『試金石』なのだと、深く考察する。 一方的な侵攻を受け国土と人心と国庫に多大なる負担が掛かった事から、この戦役からどの様な『益』を得る事が出来るのか模索せねば成らない。 侵略的闘争では無いのだ。 国土の拡大も、金穀の略奪も、人命の捕縛も、何も得られないのだ。
故に第一王子殿下の『戦争』は、連合軍側との終戦時『条件闘争』となる事は必至。
しかし、第一王子殿下はホッと胸を撫でおろしている。 自身には軍事的才は無いと知り尽くしている。 王宮に於いて、魔法学園に於いて、そして、幾多の講師を招いての研鑽も、ただただ、知識としての戦闘しか学べなかった。 そこに有る神髄と云うモノが理解出来なかった。
人を傷つける事に、深い忌避感を持つが故、剣や槍の鍛錬は基本しか習熟できていない。 『英雄』と呼ばれるモノには成れないと、密かに落胆もした。 しかし、それで良い。 自身の心根の中には、『王たる者』の神髄は有る。 自身が師事した高名なる老師は、事ある毎に幼き第一王子殿下に教え諭す。
『王たる者は、国民に安寧を齎し、国富の増大を目指し、強兵を養い 国を守る為に存在する』
王国の『国王としての在り方』と『政務』に関しては、老師の言葉が心に沁み込んでいたのだ。
依って、北の交易都市に総司令として出征する事は、自身の得意な分野の仕事だと割り切る事が出来たのは、王国にとって『善き事』であった。 また、心を預けている自身の婚約者、筆頭大公家の公女もまた、その認識に同意してくれていた。
『これも一つの試練ですね、第一王子殿下。 至高の階を登る為の、大きな階梯だと思います。 ゆめゆめ、腐らぬ様に。 貴方様は貴方様にしかできぬ事が有るのですから』
と、第一王子殿下にとって『神託』の様な言葉を紡がれていた。 深くお互いを認め合い、政略とはいえ、心を親しく交わらせた者からの『祈り』にも通じる言葉。 その言葉を深く胸に刻み第一王子殿下は、北方交易都市に出陣した。
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前線と云われる場所に到着すると、既に戦後処理の話し合いが司令部の中で主要な話題となっていた。 まだまだ予断は許されないと云うのに、気が緩み過ぎなのでは無いかと、そう側近達と話し合っていた時に、近衛参謀がやって来た。
「内々にですが御話ししたき儀が御座います、総司令官閣下。 閣下が成すべき仕事に対し、憂いを無くすことも我が使命。 よって、人払いを願います」
この慇懃でありながらも、かなり無礼な言葉に周囲の側近達が色めき立つ。 普段は飄々とし、軽薄とも云える近衛参謀。 その彼が、妙に真剣な眼差しを第一王子殿下にピタリと合わせ、その言葉を吐く。 つまりは…… 王子の側近には、一欠けらの信頼も置いてはいないと云う事。 冷徹なその表情は、彼の父親である軍務卿に通じるモノが有る。
既に、彼は大人達と遣り合って一定の評価を受けているのだった事を第一王子殿下は思い出す。 つまり、国の重鎮達、及び、宰相も自身の側近に対しては厳しい目を向けていると云う事だ。 何故にとは思わない。 第二王子が次代として目されていた、あの謝恩会が挙行される前までは、自分には付き従う者も限られ、更に言えば王家の中の立場でさえ危うかった。
現在の側近にしても、その頃からの者達は盲目的に付き従っているし、その後加えられた者達も以前は日和見していた家の出身。 教科書的な有能さは持ち合わせているが、本来の意味での『側近』とは言えない者達だった。 王族として、自分に何が足りないのかを熟知している第一王子殿下は、近衛参謀の言葉に頷くしか無かった。
二人きりになり、静かに成った最高司令官の執務室で相対する。 何を言われるか、何を云うか、これからの国の舵取りの為に、肚を割って話さねば成らぬ時が来たのだと、第一王子殿下は覚悟を決める。
にやりと…… 近衛参謀の表情が崩れる。
「殿下。 申し訳ございません。 王都から来たばかりの御側近の方々には、此方の情勢は掴めないでしょうな。 また、情報は伝えて有りますが全てでは無いのです。 事前に此方に接触を試みた御側近の方々は皆無でした。 残念な事ですがね。 ……そこの所、ご了承願えれば有難いですな」
「うむ…… そうだな。 側近としては不十分なのだろう。 私もそれは理解している。 故に人払いは受け入れた。 卿…… 私は軍事に明るくは無い。 教科書的な事柄、基本的な事柄しか知らぬ。 軍事に於いて、臨機応変に柔軟な思考は出来ぬと理解している。 そして、報告に有った侵攻の状況も掴み切れていない。 王都の国軍参謀達が口々に言う事が正しい事かどうかも判断はつかなかった」
「あぁ、御歴々の言う事は無視してよろしいでしょう。 現場に出ず、偏った情報を鵜呑みにして、自身の知る戦場を想定した言葉ですからな。 まぁ、状況は悪くは有りませんよ」
「そうか…… 私が成すは、終戦における『条件闘争』と理解しているが?」
「まさしく。 現在、北方帝国 連合軍は雪崩を打って瓦解しておりますので、その御考えは間違い御座いません」
「ほう…… 貴様が『策』を巡らしたか?」
「それを成したのは北部辺境の上級女伯とその配下。 まぁ、凄まじき事ですが、辺境『魔の森』の傍に支配地域を持つ家なれば、それもマァ…… 理解出来ます。 誰が『入れ知恵』したのかも想像は付きます。 妙に王都の事情にも詳しかったのでね。 さて、殿下。 ここで、もう一つ重大な情報が御座います。 この戦役を終わらせるに至る情報です」
「聞こう」
「ハッ。 国境を越え情報収集に当たる諜報官からの至急報。 詳細はその者が帰還してからとなりますが、帝国の主力たる二個旅団が消えました……『魔の森』の中だったそうです。 文字通りの壊滅状態で、帝国の主力は消滅しました」
「なに? つまり…… 帝国軍主力が消えたと?」
「左様で御座います。 あちら側も相当に混乱しております上、情報が錯綜しておりますが確定に御座います。 こちら側での真偽の判定では、周辺状況と我が国の諜報官から各種報告により『真』であると、そう判断しても間違いは御座いません。 そして、此方の戦闘正面では『調略』が進んでおり、督戦に飛び回っていた帝国直下の督戦隊も、例の騎士爵家の指揮官によって、壊滅しております。 さらに、当該の指揮官が行った、帝国軍の侵攻軍司令部の急襲にも成功し、あちらの首脳部を壊滅状態に追い込みました。 第二軍団司令部壊滅の意趣返しとしては、満点で御座いましょうな」
「そ、そうか…… そうだったのか。 ならば、司令部の浮かれた空気も判ろうモノ。 よし、判った、これより『終戦協定』に関して全力を尽くす。 必要と思われる情報の提出を求める」
「ハッ、御意に。 王太子殿下にしか出来ぬ、重大な任務に御座いますが故、細心の注意を以って事に当たらせて頂きます」
「頼む。 さしあたり…… そうだな、戦闘正面に展開する北方諸国の貴顕たる方達の所在を明らかに……」
「すでに、この街の迎賓館にて待機して頂いております。 同国人の連合軍指揮官とも『お話合い』は済ませております。 あとは…… そうですな、今後の事をお話合いになるのが吉」
「重畳。 これより、戦役の後を見据えて、各国の王族の方々との交渉に当たる。 良いな」
「承知」
相対する瞳に光が灯る。 この益体も無い戦役から未来へと続くより多くの『益』を齎さんが為、第一王子殿下の『戦争』は此処に始まった。 そして、縦横に知略を用いて、いずれ得る『益』を韜晦する為に、表面上は他国が国情を優先させる決断に至る。 国王への階梯を登り始めた、第一王子殿下による『神算鬼謀』、『遠慮深謀』の終戦交渉は、深く静かに粛々と胎動を始めたのだ。
自身の言動が王国の未来へ、どのような光を置けるか。
正に立太子への『試金石』と言うべき “ 交渉 ” が、始まったのだった。