――― 存在意義 ―――
◆ 苦悩の根源
教諭陣とも話し合い、これまで以上に勉学に励む。 わたしが成せる事と云えば、魔力の制御鍛練と、軍学を修める事。 兵站について学び、軍装備について学び、軍標準戦闘を学び、名誉とは別の純粋な『戦闘力』としての集団戦を学ぶ。
かつての世界の記憶よりも、原始的とも呼べる『戦訓』の数々。 軍の『編成』とその『装備』。 そして、兵達の『技巧』による、手業の数々と、勝利に貢献する事を担保するわたしの魔法の使い道。 色々な要因が重なり、魔法学園での学びは、わたしに「明確な道」を見せ始めた。
――― それは、騎士爵家の三男坊が、何を成せるかと云う問いに対する答えに他ならない。
この世界には魔物や魔獣が存在する。 魔人の存在は囁かれているが、今のところは存在は確認されていない。 と云うよりも、その境界と成るべき線引きが難しいのだ。 魔物や魔獣は、いわば自然災害と同列に語られる。 体内に魔力を有し、さらに魔法を行使出来る獣を魔物、行使できない獣を魔獣と呼びならわしている。
その猛威は、只人には脅威になる。
魔法を行使出来る者は、この脅威に対抗できる唯一の存在と云っても過言ではない。 では、魔人とは? 一説には、そんな魔物や魔獣を従える言葉を操る人と同等の存在と云う。 貴族の支配を拒み、深い森や荒野に住み着いた者達が、その場所に適応して魔力を得て魔法を行使出来たなら……
考えるだけでも、荒唐無稽な話だとは云える。 だいたい、そんな危険地帯に足を踏み入れ、生活の拠点を得るのは非常に考え辛い。 現実を知らぬ、王都の学者たちの考える机上の空論だ。 万が一住み着いたモノが居ようと、世代を重ねる事など、夢のまた夢。 そんな事が実現するならば、人の生活圏は今も拡大の一途を果たしている筈なのだから。
事実は、峻厳で在り、自然の猛威の前に人は右往左往するばかりなのだ。
我が騎士爵家もその問題の一端を担っている。 なにせ、最上位の寄り親となる侯爵家の領地は王国の周辺域に存在する。 さらに、侯爵家の連枝である上級伯家の領地は辺境域に在った。 上級伯家の直接の『寄り子』である我が騎士爵家の差配する地域は、諸王国を隔てる国境の『魔の森』と接している。
従来から、魔物や魔獣の襲撃に備えるのは、我が騎士爵家の重要な『家命』の一つでもあった。 騎士爵家の配下には、精鋭とも云える兵が存在し、それらの者達は森から溢れ出る魔物や魔獣への第一線として、奴等の足止めを担う。 しかし、騎士爵家の者が有する内包魔力では、大規模な魔法を行使する事は出来ず、侵攻する魔物や魔獣の殲滅は望めない。 まずは足止めと弱小の魔獣の掃討を受け持つ。
我等騎士爵家の者達から連絡を受けた上位貴族の保有する『広域打撃魔法の戦闘力を有する兵団』が到着するまで、侵攻の遅滞作戦、及び、住民の避難誘導が『騎士爵家の義務』として課されている。 被害を最低限に抑える為、襲撃が有る度に多くの出血を強いられる。 血で購われる、騎士爵と云う貴族の責務。 父も兄達も、その事に一言も不満を漏らした事は無い。
――― 辺境の漢達と云われる所以でもある。
もっとも、魔物や魔獣に対応できる兵を無くしては、人の生存域の守護など、夢物語と云える。 魔力を有し、魔物や魔獣に有効な魔法を行使出来る騎士達の数はまだまだ少ない。 王国としても、本領を護るに足る頭数を揃えるのに四苦八苦している状態なのだ。
辺境の防衛は、王領周辺域に領地を拝領した高位貴族家が受け持つ。 故に、彼等が独自に騎士団を編成する権利も有しているが、国王陛下のお膝元である王領、王都でさえ魔法騎士団の頭数を揃えるのが困難な状況である。 辺境の地の侯爵家が十分な兵力を揃えるのは、とても難しい。
故に取れる戦略は内線防御作戦の一択となる。 いつどこから襲撃を受けるか判らない状況での防衛と云う事に成るのだから、それは必然と云える。 それが故に、脅威度が高い地域に対して、十分な戦力を即時投入できるように、王国辺縁の各領では、街道の整備に重点が置かれる。
副次的な効果として、その街道を利用し、多くの物資が流通できるという事柄があげられる。 つまり、辺境域に在るにもかかわらず交易は盛んで、その地から収穫される農産物や畜産物は、その街道を通り王国全土に『辺境領の産物』として流通が可能と云う事だ。
モノが動けば富も動く。 危険と相反するように、辺境域で財を成す者が多いのも、この世界ではよく見られる特徴だった。
しかし、それも、我が騎士爵家の様な『縁の下』が居て初めて成り立つ方程式でもある。 弱兵では、最初の一撃に耐えられず、大きく魔物や魔獣に国土を脅かされるし、たとえ脅威を打ち払ったとしても、領民を失った領地に富みは戻らず、弱った騎士爵家は歴史に沈むのも、また、歴史書の記述を見るまでも無い。
それは、わたしが肌感覚で理解しているが、中央の貴族との理解とは一線を画する部分でもあった。
何とか………… 出来ないものか。
常に、その想いを胸に、魔法学院にて研鑽を積んでいた。 幸い、わたしの魔法の効果は俗にいう冶金に特化している。 鉄塊を魔力を込めた手でこね上げる事も、形状を作り出す事も出来る。 魔力の操作に慣れてくればくるほど、作成物の精度は上がり、なんとモノに対し魔法術式の付与まで可能となった。
つまり、魔力を保持できるモノさえ有れば、そのモノに魔法的術式を刻み発動させることが出来たのだ。
魔法術の教諭もこれには、興味深い視線を以て受け入れてくれた。 事は簡単な発想の転換だった。 技能を持つ民草の技術者が、便利道具として魔道具を作成しているのをわたしは知っていたからだ。 その知見から、モノに魔法術式を付与する事が可能なのを、『この目』で見ていたからだった。
王都でも、便利道具は広く流通している。 しかし、貴族と成れば、さらには高位の貴族と成れば、それは民草の手による『技巧』の一つで、内包魔力が絶対的価値観の多くの貴族にとって特筆すべき事柄では無かったのだ。
ここに、私は光明を見る。
便利道具である魔道具ならば、軍事転用も可能なのではないか。 高位の貴族達が魔法で魔物や魔獣を殲滅するように、魔力保持し得ない民草から募集した兵が、魔法に近い何かで魔物や魔獣と対峙できるのではないか。 そう考えた。
もう古びてしまった記憶の中に、有用な情報は無いかと、色々と探った。 刀剣類や武具に関する記憶は役には立たない。 しかし、前世に於ける銃器の知識は別だ。 火を噴く鉄の棒。 弾丸と呼ばれる金属の玉が、対象物の身体を穿ちその命を奪う。 口径が大きければ大きい程、威力は上がる。 しかし、銃器の開発は現世では実現が非常に難しい。 なぜなら、その発射方法に使われている『火薬』の存在が障害と成る。
言葉では、知識は理解できた。
しかし、高度な薬学や冶金学が必要なモノには手が出ない。 さらに、この世界には火薬は存在していないとなれば、普通は開発を断念するしかない。 更に言えば、『科学』と云うべき分野が未発達なままで、人は魔法に依存して生活している。
――― 故に、私の記憶はほぼほぼ使い物にならない事は明らかであった。
その如実な例が、『動力』に関しての発明と発見。 『燃える水』『燃える石』と言い換える事が出来る、記憶の云う石油、石炭はこの世界にも存在する。 が、それは単に珍しい物質であり、石炭石油化学など未だ萌芽すらない。
明かりが欲しければ、魔法灯がある。 火が欲しければ、着火魔法が有る。 民草の生活に於いても、魔力を制御し発現出来る魔法術式さえ有れば、安全に操作できる。 そんな便利道具が有れば、他のモノが発展する余地も無い事は自明の理である。
それ故の『苦悩』でもあった。