――― 騎士爵家の指針 ―――
沈黙に静まり返る、長兄様の執務室。 しかし、様々な情報が交錯しているとはいえ、一定の事実も又、開陳されている。 その一つが、国境の向こう側に配された敵軍の配置。 物見と諜報官が決死の行動で集めた情報の数々は、その一部だが兵力拠出を求められた各貴族家にも開示されている。
「ご存知だとは思いますが、帝国の尖兵は他国兵だと思われます。 殲滅すれば憎しみの連鎖を生みかねません。 出来るだけ ” 捕縛 ” を心がけて下さい。 相手は魔物魔獣よりも遥かに脅威度の低い人でありますから、ちい兄様であれば造作も有りますまい」
「…………まぁ、努力しよう。 そうか、見えた。 大叔父上とのアレコレで使った手を使うのだな」
「捕虜としてとらえた帝国兵の多くは、併呑された国の者達でしょう。 ならば『調略』を仕掛けるのも手では御座います。 その際に気を付けることは……」
「こちら側に、あちら側の王族か係累が存在している事を匂わす事と、帝国に寝返った者達への処遇」
ニヤリと意味深気な笑みを頬に乗せる次兄様。 やはり、覚えておいでになったか。 大叔父上とのアレコレで、次兄様が打たれた手を。 唆したのは私だが、あれは有用な手であったと思う。 古来からの戦訓を真似てみただけでは有ったが……
「そうです。 王家が根切りされており、再興が出来ないとなれば従わざるを得ませんが、まだ旗頭が有ると知れば…… です。 『裏切者』の見分け方は難しゅうございますが、一定の方法は御座います」
「……それは、私も知っている。 併呑されて戦争に動員されようと、元の国の装備……『旗』を手放さない者達は、善き好敵手と成ると。 忠誠を誓う先が国と国民ならば、その軍服は捨てる事は出来ない。 王家を失ったとしても、誓いは捨てる事が出来ぬ頑固者は必ず居るものだ。 それを調略し、帝国軍の軍服を着用する者は、『敵』として殲滅すれば良い」
「幾度か小当たりすれば、相手側も気が付くでしょう。 捕虜は取らぬとして、解放するのも手では御座いましょう。 人の領域を守り、人を大切にする我が国の方針として、捕虜に対し宣言する事が肝要かと。 ” 本国に戻る事を条件に解放する ” と」
「そんな甘い話は普通は通らんが…… まだ全面衝突前と云う事も合わせて考えると、それもまた一つの方策か。 頑固者達を解き放ち、敵軍の主体と成る連合軍の士気を大いに下げる…… 戦意を低下させ、上手く行けば動かなくなる可能性も有るな。 解った。 この行軍の最中に襲撃を受ける可能性も、その処理の方法も、その後の策謀も理解した。 上級伯爵様には現地にて奏上しよう。 何故かは判らぬが、我等が騎士爵家に対して、相当なる期待をされておられるのだ、あの上級女伯殿は。 合同訓練時にも目を掛けて頂いた」
そうか。 上級女伯様も先を見越して、色々と手を打たれておられたのだな。 合同訓練など…… 私は聞いていない。 主力たる次兄様が部隊に御声が掛かるのは当たり前か。 遊撃部隊は魔物討伐に特化しているし、御声掛けが無いのも頷ける。
「左様に御座いましたか。 それは善き事に御座いますね。 ちい兄様の武人振りに感銘を受けられたならば重畳に御座います。 あの、次兄様。 一つ願いが」
「なんだ?」
「主力部隊の『装備装具』の事に御座います。 今回は人と人との戦役で御座いますれば……」
「あぁ、その事か。 解っている。 貴様から配されている装備装具、及び 武器は魔物討伐時にのみ使用するように制限している。 人と人との争いごとに使う事は無いから安心しろ。 すでに、旧来の標準装備は手を入れ準備している。 武器職人も鍛冶職人も挙って整備してくれたモノがな。 旧来のモノよりも出来がいい。 貴様から配されたモノとは、段違いに低い性能だが人相手ならば問題は全くない。 あぁ、上級女伯様等との合同訓練時も旧来の装備で伺った。 騎士爵家の支配領域の『魔の森』以外では使っていない」
「有難く…… 気掛かりでしたので。 それを聞いて安心いたしました。 流石は次兄様ですね」
まさか、私が憂いていたことを先回りして制限されていたとは…… 頭が下がる思いがした。 騎士爵家の秘密として、『人工魔鉱製』の武器防具は、対魔物魔獣戦においてのみ使用許可を出されておられたとは…… 次兄様、貴方も紛れも無く継嗣教育をお受けに成った方だと、私は深く理解いたしました。 ご対応に深く感謝申し上げます。
「ふむ。 有難くその言葉を受け取ろう。 ……兄上、わたくしは合力を致します主力部隊の編成と準備が有りますので、これにて失礼いたします」
「良い。 武運長久の祈りを。 死ぬなよ。 帰ってこい」
「努力いたします。 ではッ!」
次兄様は、その素直な性格で長兄様の祝福を受けられ、執務室を出ていかれた。 執務机の後ろで、腕を組み難しそうな顔をされて居る、複雑な性格をしておられる長兄様は、私に向き直り真顔で言葉を綴られる。
「お前の『策』は、戦史に基づいたモノだろう? しかし、それ以上に何かをお前は見ている。 違うか?」
「帝国の…… 思惑が判らぬのです。 曲がりなりにも接収した国の軍勢と友好国と云う美名を与えた国々の軍勢を、敵対軍勢に直接当てる事をあの国が良しとするか? 疑問が残ります」
「紐解けば、あの国は自身の国の精強さを誇示しなくては政権運営すら難しい軍事国家。 ほぼ、二十年毎に野心を剥き出しにして国土豊かな我が国に侵攻を仕掛けてくるような国柄だからか。 『戦功の第一』を謳われる尖兵に自国の兵団を投入しない所に疑問を感じたか」
「まさしく。 かつての北方王国ならば、宣戦布告して直ぐに交易都市を墜としに軍事侵攻してきている筈。 我が国の軍勢の集結を待つような事はしないでしょう。 少数精鋭による浸透作戦があちらの御家芸とも云える戦術ですので、此度の戦役はなにやら不穏な感じがいたします」
「何が見える?」
「……あくまでも可能性の問題に御座います」
「良い。 言ってみろ。 次第によっては、準備するモノが違ってくる」
「はい。 帝国は何らかの方法で、『魔の森』を抜ける手段を得たと先程口にいたしました。 それが少人数の襲撃部隊では無く、大軍を送り込む方法だとすれば…… そして、その方法が深い『深層の森』をも踏破できる様な『方策』であるとすれば…… 今回の戦役の様相はがらりと変貌を遂げます。 王国の主力たる国軍と精鋭たる辺境の領兵が北東部の交易都市周辺に集中的に配備されるとすると、その他の方面は『魔の森』からの脅威に対する防備部隊のみの貧弱なモノと相成りましょう。 さらに、我等が支配地域を含むこの北方辺境領の正面である『魔の森』の向こう側は帝国の本領。 大軍を擁して森を抜ける方策が有り、実際に森を抜ける事が出来るのならば、北方辺境域から直接に王都に向かう事も可能。 集結した我が王国軍は、大軍が故動きが鈍くなっておりますが故、即時対応は難しくガラ空きに成っている王都に対して侵攻する帝国軍に対し有用な反撃を想定できません」
「大軍…… と云うと、どの程度の軍勢を想定するか」
「あちらの編成で二個旅団。 およそ一万五千の機動重装歩兵。 輜重隊は森を抜けるに必要な人員のみ。 後は略奪でどうにか出来るでしょうし、その目的も有るのでしょうから」
「可能だろうか?」
「あくまでも推測です。 その様な方策があるとは聞いた事が有りません。 が、俯瞰的に北方の国境を見てみると、軍事作戦的には可能性が有ると思います。 更に言えば、その予行演習としての隣国への侵攻。 大軍が突如王都に攻め入った。 そして、状況すら判らぬ内に王城が落ちたとなれば…… 実際に我が国に対し練り上げた作戦が成立するかどうかを見極め、その確信を得たと思われるのです」
「かつてない程の軍勢が北東部の国境部分に集結していると云うのは囮か」
「帝国本国精鋭が我が国の王都を蹂躙したとなれば…… こちら側の友好国にも衝撃が走りましょう。 そして、戦わずして版図も広げられましょう。 君臨するは帝国の皇帝のみ。 後は奴隷化されるのは判り切った事。 高位の方々は悉く根切りされましょうし、力ある民草は財はおろか命まで搾り取られるのは……」
「自明の理か。 成程。 『魔の森』に関しての監視の強化は引き続き行わねば成らんな。 荒唐無稽な事柄と一笑に付すのは簡単だが、過去の戦史を学び幾多の国の国書を精読したお前の言葉ならば、一考の余地はある。 最悪を想定し準備を成せ。 護衛部隊も助力を惜しまん。 出来るだけの方策をたて、耳を澄まし目を凝らし王国の危機に対処せよ」
「承知いたしました」
長兄様は…… どこまで信じて下さるのだろう? 年若い弟の言う戯言と、一笑に付してもおかしくはないのに…… と云うより、長兄様は御継嗣としての視野で、何かが見えておられるのかもしれない。 思慮深く、用心深く、複雑な心をお持ちの方なのだから。
そして……
私は踵を返し、私の為すべきを成す為に一歩を踏み出した。




