――― 誓約 ―――
その若い男女の兵達は、寄添いながら ” もう何も言う事は無いと ” ばかりに『爺』を見詰めていた。 彼等の慈愛の視線に不思議な感覚に陥る。 たしか……
『爺』は天涯孤独の身の上ではなかったのか?
だから、私の『爺や』となり幼少の頃はずっと傍に付いてくれて居たのではないか? いや、ちょっと待て。 宴に参じている者達の顔を見知ってはいるが、見知っている筈。 そう、彼等の『葬儀』に参列した経験が有るのだ。 それに…… 遊撃部隊の若年兵の姿も、其処に在った。
まて、まて、まて……
爺は私の困惑を受け取ったのか、ニカリと笑う。
「善き人生に御座いました。 息子と娘が身罷った時は、自身も後を追うも良いかと思いましたが、先々代の御当主様に諭され、生き恥を晒してまいりました。 しかし、人生の最後に於いて、我が本懐を果たせた事…… 若様のお陰でもありましょう。 万感の思いを込めて、感謝申し上げる。 儂をこの場に連れて来てくれた若様。 愛しい孫にも等しい者よ。 儂らは常に若様の傍におりまする。 そして、『本懐を遂げし者』が来るべき時が来る日を楽しみにしております。 いずれまた、その日が来るまで…… 様々な土産話を期待しておりますぞ。 それまで、暫しのお別れを」
胸に拳を宛て、深く頭を下げる爺。 礼を解くとにこやかに微笑んでから踵を返し、爺の息子殿と娘殿のいる場所に軽やかに歩いて行ってしまった。
――― 繋がりが消えた。
『宴』は…… 急速に遠くなり…… 小さくなり…… やがて闇に没する。 また、もとの独りぼっちとなってしまった。 滂沱の涙がとめども無く零れ落ちるのを自覚していた。 そして何より、爺の命が永遠と成った事を理解して…… しまった。 遠くから呼ぶ声がする。 私を信頼し心配してくれる者の声がする。 その声に導かれるように、わたしは暗闇の中を歩く。
ただ、ただ、歩いて行く。
目の前に灯が一つ。 急速に強い光と成って私を照らし始めていく。 焼かれるような、燃え上がる様な、そんな気がしたのと同時に、意識が深い水底から浮かび上がる様に覚醒する。
「おい! 目を開けろ!! こんな場所で、こんな結末など認めんぞ! 兄上になんと云えば良いのか!! 父上に、母上にどのように伝えればいいのか!! おい、ダメだ、目を開けろ!! 衛生兵班長、どうなのだ! お前は確かに『癒しの奇跡』を願ったのではないのかッ!」
「ね、願いは通じました。 ええ、通じておりますわ。 ただ、あまりにも強い衝撃で、魂が…… 体に魂が戻ると確約は……」
「寝言は寝てから云えッ! いま、コイツを失う事は出来ぬのだ!! おい、何とか云え!! ええい、起きろ、目を覚ませ!!」
クハッという、息が口を突く。 喘ぐように足りない空気を吸い、吐く。 ぼんやりとした視界。 胸倉を掴み上げる次兄様。 頬を叩かれているかの様に感じる。 いや、まて。 あの棍棒の様な腕で叩かれたら、死んでしまうぞ? ハフハフと息をした。 声に成らぬ悲鳴を上げた。
「おいッ!! いい加減に……」
「覚めました! ハッキリ目は覚めましたぁ!! だから、叩かんで下さい!!」
「お前……」
「はい次兄様。 っと、私はどのくらい気を失っておりましたか? 次兄様がいらっしゃると云う事は、救援要請は届いたと云う事に御座いましょう?」
「……一刻だ。 お前…… 鼓動も呼吸も止まっていたんだぞ」
「えっ?」
首を回し、その場に居る曹長と衛生班長が目元を真っ赤にして、ぺたんと座っている。 頬がピリピリと痛む。 ちい兄様…… 既に叩いていたのか? 頭から血を流し、頬が腫れ上がってるって?
――なんだ、これ? どういう状況なのだ?
いや待て。 アレが…… 私の妄想では無く…… つまり、私は臨死体験をしたと云う事か? 『爺』が現世に押し戻してくれたと? ちょっとまて。 整理する。 つまり…… 爺は…… そう云う事か?
「兄上、救援要請の結果は如何でしたでしょうか。 兄上が、わたくしの傍にいると云う事は、既に状況は終結したと?」
「あ、あぁ…… お前の言う通りだ。 状況は終結した」
「爺は…… 永遠と成ったのですか? 爺はッ! 」
「古強者の『最後の意地』を見せて貰った。 『赤毛』と『相打ち』で果てて居った。 今、皆を収容している。 これから戻る所だ」
「そうでしたか。 爺は…… 本懐を遂げたのですね」
「確かに…… そう云えるであろうな。 善き笑顔を浮かべて居った。 爺も、皆も…… な」
「…………そうでしたか。 私の力が至らぬばかりに…… 申し訳ございませんでした」
「中型の特異点が相手。 遊撃部隊が全滅でもおかしくは無い。 指揮官を失い、副官が殿を務める前代未聞の状況だった。 詳しく…… は、報告できぬようだな」
「わたくしとて、爺に逃がしてもらった身ですので、最後の報告は…… しかし、状況は兄上が見ておられましょうし」
「判った。 主力部隊指揮官として、情報を収集し父上に報告を奏上する。 あぁ、兄上にもな。 大丈夫か? 足元がおぼつかぬ様ならば……」
「心配は無用。 私とて辺境が漢。 爺に鍛えられし者なれば、無様は見せられませぬ。 爺を手厚く葬って遣りたく存じます。 その間、亡骸と共に有りたく思いますが、御許可願いたい」
「許可する。 うんと甘えよ。 孫の様に慈しんで来たのだから、お前が流す涙は善き弔いとなるだろう」
「有難く。 有難く……」
大切に育て上げてくれた者の死。 強い衝撃が有るにもかかわらず、心穏やかだった。 最後の最後に、爺と言葉を交わせたのだ。 あの黒々した場所で。 そして、私もいずれあの宴に参加するのだと、強く強く心に刻み込んだのだ。 …………滂沱の涙は押し留める事も出来ず、頬を濡らし続けている。
―――――
深い悲しみの中、『爺』の葬儀を終える。 係累が存命していない『爺』や、かつての爺の仲間達の葬儀は、騎士爵家が聖堂教会に願い出て、盛大に『時が意味を成さぬ場所』へと送り出した。 辺境の習わしとして、今回の作戦に於いて身罷った者達を荼毘に付し、聖水で満たした墓穴へと埋葬する。
滂沱の涙と共に御送りしたのは言うまでもない。
流した涙は『爺』への鎮魂と成り、彼の持つ杯を満たすことに成るだろうと、神官の言葉が胸に沁みた。
幸いな事に、涙を流すだけ流した後は寂しさだけが心埋め、私自身が闇に堕ちるような事は無かった。 そうだ、『爺』と約束したのだ。 いずれ時が過ぎ、わたしが『時が意味を成さぬ場所』において、あの宴に参加できる資格を得た時には、私が経験した様々な事柄を『爺』に話すのだと。 その為には前を向かねば成らない。 人を助け、辺境の地を安寧の土地にせねば成らない。
―――― それが、私が爺と交わした『誓約』なのだから。




