――― 老兵の本懐 ―――
余りの物々しさに、この場所に来る前の ” 空振りに終る ” 等と云う考えは捨て去った。 爺は何かを知っている。 いや、決意しているとも言えた。 あの赤毛の体毛を見た後の爺は…… 戦神も斯くやと云う程の殺気をはらみ始めていたのだから。
警戒線を上げる事、二刻。
浅層の森の中の小道は良く踏み固められており、あの邑の者達が森によく入っている事を裏付けていた。 脅威度が高い故に、民草である狩人の道案内は謝絶し、その代り簡易的な浅層の森の地図を貰う事となった。 その地図に示された獣道とも云える『森の小道』は、私でも辿れるほど踏み固められている。 迷う事も無く『狩場』近くまで進む。
もう少しで、問題の場所である『狩場』に到達すると云う所で、爺達の足が止まる。 私の『索敵魔道具』にはまだ強い反応は返ってきていない。 不思議な感覚が私を包み込む。 何かに狙われている様な、じっくりと観察されている様な、そんな気がした。
「伏せろ! 敵襲!!」
『爺』の声が耳朶を打ったと同時に、頭に強い衝撃を受けた。 ガンと云う音。 目の前に星が飛ぶ。 強く何かに頭を打ち付けた時と同じ、そんな衝撃が私を襲った。 歪んだ視界と気持ち悪さの中、周囲から声が響く。
「指揮官狙撃! 石礫と思われる攻撃を受けた。 くそッ!! あいつら罠を張っておったな! 若様!、若様! 大事無いかッ! クソッ!! まただ!!」
『爺』の押し殺した声が耳朶に届く。 しかし、私は何も返せない。 頭に強い衝撃を受け、視界が歪む。 溜まらずに膝を落とし、その場に蹲る。 声すら出せぬ程。 衝撃で目の前が白くなり意識が混濁する。
「指揮官負傷! 意識低下! 部隊指揮に耐えられない。 緊急条項により、指揮権を副官である儂に移譲。 以降、儂が遊撃部隊の指揮を執る。 若様一旦、引かれよ。 此処は我ら老兵に任せよ。 主力指揮官様への救援依頼を請われよ。 我等で抑えられない場合、控えの者達が奴等を殲滅する。 そう訓練してきた。 曹長! 若様を下がらせろッ! 嫌がっても、引き摺って行け。 若様を、 ” 我等の希望の星 ” を墜とすなッ! 遊撃部隊は下がれ! 命を粗末にするなッ! 若様の御意思だ。 殿は儂が担う。 曹長、若様と部隊を引き連れ撤退だッ! お前達では力不足だ! よいか、古強者の皆の衆、我に続け! 吶喊!!」
耳鳴りか、それとも鯨波か…… 士気高く、戦意旺盛な古強者達の『鬨の声』が聞こえた様な気がした。 爺が語り掛けてくれた言葉に何も返す事が出来ず、身体から力が抜け立っている事さえできなかった。 曹長が腕を取り、走り出す。 その間にも、二本三本と腕が身体を掴み持ち上げる感覚がした。
次第にはっきりとして来る意識。 抱えられるようにして、小道を戻っている。
「じ、爺。 成らん、成らんぞ……! わたしは、そんな事、望んではいない。 死を賭した戦闘など、許されざる行為だ。 認めん。 認めんぞッ!」
「指揮官殿。 副官殿の言葉は真。 主力精鋭に対し救援を発信してください。 時間が勝負です」
「そ、曹長」
「副官殿は…… 貴方では、指揮官殿では力不足と、そう評せられたのです。 それは、私も同じ。 よって、副官殿に認められた者達へ救援を要請する事が、今我等に出来る全てです」
「お、おい…… それでも……」
「なりません。 副官殿の命に御座います」
「………………判った。 少し先に増幅装置を埋め込んだ場所がある。 そこで降ろせ」
「御意」
『魔導通信線』内を走る魔力を増幅する装置は、魔導通信を遠方まで飛ばす為には必須の魔道具だ。 結節点には接続端子が備わっている。 通信魔道具を直接繋げば、連絡を取る事も可能だ。 今回の行軍に際し、爺の進言を受け森の中でも『魔導通信線』の敷設をしながらやって来たのだ。
一巻の『魔導通信線』では足りず、増幅装置を噛まして繋いできた。 襲撃場所から一番近い増幅装置を設置した場所まで戻り、兵達に私の解放を命じた。 もう眩暈も消えた。 設置した増幅装置を認める。 そこで背嚢から頭部装着型通信機を取り出しつけようとした。
兜を…… 脱がねば。
もどかしく、顎紐に手を掛け緩め、重装歩兵が使用する兜を取る。 途端に温い液体が頬を滑り落ちる。
拭えば手に手甲に赤黒い染みが…… 兜に目を遣れば、側頭部に大きな凹みと亀裂が走っている。
「衛生兵!! 指揮官負傷、重大な傷を負われている。 処置を成せ!」
曹長が叫ぶ中、その言葉を無視し、頭部装着型通信機を痛む頭に付け、接続点に繋ぐ。 魔法術式に依らず、直接私自身が通信魔道具を起動。 そして、叫ぶように通話を開始した。
” 遊撃部隊指揮官より主力部隊指揮官へ救援要請。 我ら、『浅層の森』と『中層の森』の境目で、サル共の襲撃を受ける。 伏撃された。 繰り返す、伏撃された。 指揮官頭部に負傷。 現在副官が対処中、繰り返す、副官が対処中。 兄上!! 爺を、爺を助けて下さい!! ”
――――
そこまでだった。 頭部からの出血が多く、貧血状態に陥った私は、衛生兵の持つ鎮静剤と造血剤を打ち込まれ、見事に昏倒した。 視界が黒く暗転し…… 体中から力と云う力が抜け…… 座っているのか、寝ているのかも判らなくなり……
真っ暗な空間の中で、一人佇んでいた。
シンと静まり返ったその場所は、なんだかとても懐かしい場所の様な気がした。 溶け合う様な、自分と周囲が一体と成る様な、そんな気もした。 視界を巡らしても何も見えず、耳には何も聞こえない。 自分が空間の中に一人ぼっちでいる事だけが認知できただけだった。
突然、多くの者達が歓声を上げた様な声が微かに耳に入る。
薄らぼんやりとした自我が、其方に意識を向ける。 真っ暗だと思っていたが、声の方向だけが妙に明るい事に気が付いた。 歓声は歌に代わり、勇壮果敢な叙事詩が謳われている。 何人も、何人もの重なる歌声。 華やぎ、歓喜に震えていた。
引き寄せられるように、滑るように、身体がそちらに引き寄せられて行く。 わたしも、その歓喜の中に入りたく思った。 突如声がする。 暖かくも峻厳な良く知った声だった。
「若様には、まだ早すぎまするぞ。 あちらに行っては…… なりません」
「爺…… なんだ、吝嗇なのだな。 あれ程楽し気にしているのに、僕は参加できないのかい?」
「若様には早すぎるのです。 アレは…… あの宴会は、本懐を遂げた者達の宴ですからな。 若様もいずれ、参加できますでしょうが、今ではありませぬ。 未来への光は堕ちては成らぬのです。 しかし若様、見て下され。 ほれ、皆、満ち足りた顔をしておりますでしょう」
そうなのだ、『爺』が言うように、幾多の見知った顔がその中にいるのだ。 護衛隊から参加してくれていた者達の顔が幾つも…… 手に酒を持ち、肉を持ち、歓喜に歌を口にしている。 一人が赤毛のサルの頭を持ち上げ、勝鬨を上げてもいる。 そうか…… 討伐できたんだ……
「勝ったんだね」
「勝ち申した。 念願の ” アウストラ ” を討ち申した。 ようやく、これで宿願も果たせもうした。 若様。 儂は約束していたのです。 奴を屠るまでは死なんと。 やっと約束を果たせ申した。 此処に『儂の本懐』を遂げられ申した。 ほら、あそこの若い男女も、とても喜んでおる」
「そうだね。 皆の歓喜が僕にも判るよ。 あれ? あの人達…… 爺に似てるね」
「さもありなん。 我が息子と、我が娘に御座いますれば。 時が意味を成さぬこの場所に於いて、ようやく再会出来もうした。 ” アウストラ ” を『中層の森』へ押し返す際に永遠と成った愛しい子達に御座います。 若様に お目通り が叶いました事、儂も嬉しく思います」
丁寧な一礼を差し出して来る、若い男女の戦士。 満面の笑みを浮かべ、満足気な表情は満ち足りていた。 宴の熱も冷めやらぬ。 増々盛況に成って行くのだ。 そして、私は……
その輪の中に招き入れられる事は……
――― 無いのだ。




