――― 危機回避 ―――
父上の横に座っている母上が、そっと父上の膝に手を乗せ、言葉を紡ぎ出す。 母上の表情から憂いは去り、其処には『安堵の色』が色濃く窺えた。 意思がはっきりした、力強い母上の御声が耳朶を打つ。 叱咤激励して頂いた幼少の頃を思い出す声音だった。
「騎士爵家の三兄弟は、望外に成長しているようですね、旦那様。 心を壊す処か、継嗣としての自覚を持ち、伴侶さえ自身で決めるのだと気概を見せた長男。 そんな長男の長所を認め、短所となり果てた部分を自身の能力で埋めようと気概と矜持を持った二男。 伯爵級の内包魔力を持つにしては『謙虚』であり、郷土を愛する心をずっと持ち続けている三男。
寡黙であった三男が、これ程までに饒舌に旦那様に『貴族の理』を説くなど、思いもしませんでした。 王都での研鑽は、三男を辺境の漢と成したようで、喜ばしい事です。 『雛』は大きく育ち、自身の羽根で羽ばたきを始めました。 ……旦那様。 わたくし達の世代とはまた違った騎士爵家の在り方を模索しているのですよ、わたし達の子供達は。 騎士爵家の当主として…… ではなく、この子達の親として、御決断頂きたく存じます」
言葉とは裏腹に、目の据わった母上。 やはり、肚は母上の方が太い。 父上は、過去に引き摺られる心優しき『人』なのだ。 だからこそ領民も又、父上を慕っているのだ。 そこは、間違いない。 だからこそ、敬われる人と成るには、苛烈な決断も必要なのだと、そう思う。
『思考の深淵』に沈んだ父上が顔を上げる。 瞳に強い力を持つ光が宿っている。 御覚悟を決められたようだった。 静かに紡ぐ言葉が、わたしたち家族の心中に届いた。
「叔父殿の『絶縁状』の回状を回す。 ただし、騎士爵家から『絶縁』を言い渡すのは叔父上の『家』だけだ。 叔父上の言動は、一線を越えた。 よって、我が騎士爵家としてはコレを看過し得ない。 本来ならば、刑死すら視野に入る大逆とも云える言動の数々だが、これまでの功績を鑑み、家門からの『絶縁』と街からの『退去』を命じる。 騎士爵家の当主としての判断だ。 その配下の者達には、勝手を言い渡す。 残るも残らぬも、本人次第だと通達を出す」
「「「「 宜しいかと 」」」」
「貴様たちには、かなりの重圧が来るぞ。 少なくない人員が消える。 郷土への脅威は減らぬ。 動ける兵は少なく、護るべき者達は多い。 出来ぬとは言わせぬ。 やれ。 断固たる意志を以て遣り切るのだ」
「「「 御意 」」」
腕を組み、睨みつけるように我等三兄弟を見続ける父上。 その胸に去来するのは何か。 わたしには判らぬ『過去の情景』への憧憬か、哀惜か。 しかし、今は前を向かねば成らない。 だからこその決断なのだ。 母上は、良くできましたとばかりに、父上の膝を軽く叩く。 そして、続く言葉に蒼褪める者が一名……
「継嗣の妻ならば、覚える事は多岐に渡るのよ。 直ぐにでも始めねばなりませんね。 わたくしの執務室においでなさい。 さしあたり必要な事を伝え置きます、嫌とは言わせないわよ」
「はい、奥方様」
「そこは、” 御義母様 ” と、云いなさい」
薄く嗤う母上は、なんとも迫力が有るな。 絶対に怒らせない様にしなくては、と心に再度刻む。 この母上さえいれば、騎士爵家の奥向きは安泰なのだと、そう思えるのは愛する肉親故の偏見なのだろうか? いや、次兄の強張った顔を見れば、そうでも有るまい。 次兄も又、母上に『畏敬の念』を抱かれておられるのだ。 なにせ、父上の背中を蹴り飛ばしたようなモノなのだからな。
こうして、騎士爵家の危機状況は、父上の御決断により動き出したのだ。
――――― § ―――――
大叔父殿への『絶縁状』は、詳細な理由書を付けその日の内に完成し、回状として近隣の騎士爵家当主達に回された。 署名捺印は我が騎士爵家と大叔父殿の絶縁を認めたという証。 署名しなかった場合は、その理由書も付けねば成らない。 ハッキリ言って他家のゴタゴタにかまける程、辺境の騎士爵家は暇ではない。
順次『回状』は廻され、三日後には寄り親たる伯爵家に届けられた。 配下の騎士爵家の殆どが認めた『絶縁』では、伯爵家の御当主も認めざるを得ない。 これが、我が騎士爵家が単体で願い出した物ならば、” 馬鹿な事を ” と、握り潰す事も可能ではあったが、法的に可能な限りの理由書も添付し、その旨を貴族院にも送付している為、地方の貴族である我らが騎士爵家の『寄り親』たる伯爵家にとっては既にどうにも成らない状況という訳なのだ。
何事も、『根回し』と『王国法』という大義名分を満たしていれば、余程の大物が出てこない限り、闇に葬る事は難しい。 それよりも、問題を起こした当事者の内 『馬鹿な方』 を、闇に葬る方が現実的でもある。 そのくらいの事は、中位貴族ともなれば、日常茶飯事の思考で在り、『貴族の在り方』としては、至極真っ当な事でも有った。
大叔父の思考では、急激に変化する周囲の状況に追い付かない。 ほぼ、専門の戦闘職であり、『力こそ全て』な彼等にとって、『貴族の在り方』は、理解から程遠い。 事が露見するのは、回状が回り切って暫くしてから。 我が騎士爵家よりの絶縁は、近隣騎士爵家の肯定と『寄り親』からの絶縁認可状を父上が入手してからが本番となった。
” 本人通達 ” である。
半狂乱になった大叔父は、手持ちの戦力を背景に、状況変更を試みた。 いや、その様子を示したのだ。 そうなる事は判り切っていた。 よって、大叔父がソレを実行する前に次兄が動いていた。 騎士爵家主力の皆様方が、大叔父の配下の者達への『懐柔工作』を実施していたのだ。
これには、わたしの『入れ知恵』も少々ある。 前世に於いて、あの薄暗い会社の寮で、同僚だった者達が置いて行った娯楽小説の内容を思い出していた。 何もする事が無い時、娯楽などと云うモノから距離を置かれていた ” 俺 ” は、そいつらが残して行った小説を読む事に、楽しみを見出していたからだった。
貰ったモノでは無い、寮のゴミ捨て場に捨ててあったものだ。 だからこそ、遠慮なく拾う事も出来た。 楽し気にしていると、またいつも通り取り上げられる可能性すら捨てきれない。 よって、極めて面白くなさそうに、活字を追う事で状況には対処していた。
その娯楽小説の中には、戦国時代を舞台にした物も多数含まれていた。 新刊などでは無く、古本屋で入手したかのような年季の入った文庫本。 しかし、何も無い ” 俺 ” には、其処に無限の空間を幻視したのだ。 生き生きと綴られる、それらの物語に含蓄されたモノは、生きづらい自分の人生を、多少なりとも生き易くする為の英知が綴られていた。
貪り読み、内容を理解し、行間に描かれない事柄を想像し…… 今なら云える、アレは一種の思考実験の様なモノだった。 手に入れた知識と知恵は、有効に使う事も出来なかったが、それらの英知は記憶としてわたしの魂に刻まれていたのだ。
そんな英知の一つに、『調略』という言葉があった。 敵陣営に属する人物を、敵陣営の旗頭から引き離す為に行われる一連の行為。 特に頭脳労働に従事するモノを、敵首魁から『引き抜く』、『遠ざける』事を目的とする。
味方に引き入れるのは、敵首魁を撃滅してからでもいい。 裏切るものを最初から懐に入れる馬鹿は居ない。 見極めとして、調略を受けた者がどの様な動きをするか、それを監視するのが常道でも有る。
それを次兄に伝えた。 対魔物魔獣戦ばかりに専念していると、対人の対処に対し疎くなるのは必定。 更に言えば、辺境の精神的土壌がそれを加速させる。 要は脇が甘いのである。 戦野では無類の信頼を置ける者であっても、平時の街中でそう在り続ける事は難しい。
どちらの状況が『常態』であるかを、初手から取り違えていたならば、人心を掌握する術など無きに等しくなる。 如実にその効果は表れた。 大叔父は人格的に優れた方では無かった。 問題は力尽くで解決されるのが常道で、其処に理や、王国の法理など、等閑に付されていた。
いや、言葉を飾らずに言うと、全て大叔父の御心のままに断じて居たという事だ。 大叔父の配下の者達にも、見える眼を持つ者達も居る。 頭働きを職務とする者達は、大叔父が出す無茶な命令に対し、胸中 穏やかならぬモノを抱えていた。
『魔の森』の中での常識を、街中で適用する事に、強く嫌悪を抱く者達だった。 略奪強姦を民草に責を求める様な者に、敬愛を捧げる者は居はしない。 よって、次兄配下の『口の達者な者達』による調略は、思ったよりも多くの者達が受け入れたのだ。




