――― 矜持の価値 ―――
「俺が現地に到着した時、兄上の主力は防衛線を張りつつ、じりじりと後退していた。 精兵で編成されている主力ならではの柔軟な対応で、如何にか持ちこたえてはいたのだが、兄上はその最前線にて指揮をとり続けておられた。 利き腕と反対側の手で短槍を振るいつつ、全身傷だらけでな」
「……命は」
「辛うじて」
「亡くなりはしなかったのですね」
強張った身体から全ての力が抜けた様な気がした。 最悪は…… 回避出来たのだ。 敬愛する兄上の命は、繋がれているのだ。 そうなのだ。 故に絶望は投擲する。 生きてさえいれば、どうにでもなるのだ。 そう、生きてさえいれば。 だが…… 次兄には、そうは思えぬ様だった。 静かに、次兄は言葉を紡ぐ。
「武人として死んだも同然の傷だ。 精兵を以て鳴る、我が騎士爵家の主力の三分の一が失われた。 俺が横から殴りつけ、魔物にも手傷を負わせた結果、アイツは森の奥に去って行った。 脅威が失われると、恐慌をきたしていた魔獣達も、ボロボロには成ってはいたが、兵隊の威圧に森の奥に去って行った。 なんとか、脅威は退けられたが、その代償は大きい。 いや、大きすぎるのだ」
「長兄様は『武人』として再起不能…… なのですか?」
「利き腕は魔物に噛まれ、その剛腕は失われた。 体中に切創や噛み傷。 衛生兵により、魔毒に関しては『毒消し』を現場で投与して、千切れそうな利き手を何とか保護しながらの撤退。 村に帰着して、神官と薬師の業により、一命は取り留めた。 が、利き腕はもはや剣を持つ事も叶わない。 日常生活にも支障を来たすのだ。 体中にある傷もまた、重篤なモノが多かった」
「今は…… 今はどうなのですか?」
「幸いな事に、『毒』は受けていなかった。 いや、『毒消し』が有効だったのだろうな。 この街に戻って、大聖堂の医療神官の業により、なんとか傷の快癒は成されたのだが…… 御心が…… な」
たしかに、その様な煉獄の様な場所で、全身に傷を負う様な戦闘を成さば、御心も傷付く。 まして、その傷が元で武人としては、死んだも同然と成れば荒みもしよう。 が、長兄様は別に武人としてのみで、御継嗣に任じられているのではない。 この地を治める者としても、大変有能な方なのだ。 だから、解せない。 如何に重傷を負って居られても、それ程までに御心に傷を受けられたのが何故なのか。
「大叔父殿よ。 やれ柔弱な御継嗣よ。 やれ精兵は既に過去のものよ。 と、罵詈雑言を兄上に吐かれたのだ。 その上、父上に騎士爵位の譲位を迫るのだ。 兄上の矜持と誇りを散々に足蹴にし踏みつけ、我等 騎士爵家に唾を吐きかけて平然として居られるのよ。 兄上は、非常に責任感が強い。 そして、全ての責は自分に有ると…… そう、申して居られるのだ」
「…………馬鹿な。 大叔父上の驕慢も極まりましたね。 それで、どのように対処されたのですか?」
「まだ…… なにも…… 決まってはいない」
「は?」
驚いた。 実際、驚きに変な声が出た程だ。 騎士爵は最底辺とはいえ、貴族の家柄。 そして、準男爵とは違い世襲を許されている家柄でも有る。 大叔父は、騎士爵家の『寄り子』『御家人』『郎党』と云う立場ではあるが、貴族籍は保持していない。 騎士爵家に分爵する様な爵位も無い。
つまり、この世界では『大叔父』は戦う力を持つ『庶民』としか定義出来ない。
この状況を、同じく世襲を認められている『男爵家』に当て嵌めてみる。 男爵家の当主一家に対し、その御連枝身内に居る『貴族籍を持たない』只人が反旗を翻す事に他ならない。 これは、明らかな『御家』乗っ取りに当たる。
辺境では、家門を存続させることは、その地域の安全を保障する事に直結する。 王都近郊では、当主家の血筋変更に関して、『寄り親』や連枝の『高位貴族家』の権威が判断に加味される事は有るが、その際には、相当なる根回しが必須と成る。
当主が無能で、支配地域の安寧を脅かす人物であり、領地の衰退が止まらず、領民達の逃散が顕著な場合に、可能限り血統の保持を目的として、近親者に当主交代を促される。 よくある事は、無能な当主の子息令嬢に継爵。 それも、状況的に望めぬ場合は、同じ家系の従兄弟らに白羽の矢が立つ。
領地の状況を憂い、現状に変革をと望む者に、周囲が賛同する事が絶対条件と成るのだ。
振り返り…… 『大叔父』の仕儀を見てみると、コレには全く当てはまらない。 領地の危機を前にして、主力全力で出兵した後の街の防衛に勤める立場である。 更に言えば、主力が危機に陥った場合、手勢を救援に向かわせ、事態の収拾を図るか、若しくは、街の住民たちの避難準備を始めなくてはならない。 少なくとも、事態の推移を読む為に、追加で索敵兵を出す事は必然と云える。
次兄の話しぶりからすると、それも無かったようだ。 つまりは、大叔父はその役職に就く者に有るまじき怠慢を噛ましていたと、そう断言できる。 まして、騎士爵家 継嗣が大怪我を負いながらも、強大な魔物相手に『難局を治めた事』を称賛もせず、『力無き者は継嗣に値せず』などと、世迷い事を言うのは、正しく反逆者 乃至は 簒奪者の謗りを受ける。
正統なる貴族家に於いて、反逆と簒奪は許し難い行為だ。 王国法にも厳しく戒められている。 問答無用で、死の刑罰を与えられても、文句は言えない。 貴族家の在り方として、断固たる処罰を見せねば、王国の貴族制の根幹すら揺るがしかねない。
だと云うのに、父上は手を拱いている。 『大叔父』の魔法と配下の戦闘力、そして、騎士爵家の戦闘力の三割と云う『力』。 さらに、その配下多くが歴戦の戦士だと云う事実。 大叔父を切り離し、処罰する事は、それら有力な者達の離反を呼び起こし、彼等の親戚たちの合力すら怪しくなる事が理由だと思われる。
辺境に於いて、騎士爵家の養う戦力はあくまで『私兵』なのだ。 そして、多くの兵士達に十分な金穀すら払えず、かれらの郷土愛に依存しているのが現実だ。
故に、父上は苦悩されている。
「少々、席を離れます。 長兄様の今後にも関係する事柄を、長兄様抜きで進める訳には行きません」
「兄上は、心を病んでおられる。 部屋に閉じ籠ってしまわれている。 心が弱いとは言うなよ。 激しい戦闘の後、重傷を負われ、その上…… 悪罵雑言の追討ち。 我等とて徒に放置していた訳では無いのだ。 色々と心を砕いたが、それ以上に衝撃が大きかったのだ。 大叔父の求心力は、我等が街に於いて無視し得ぬモノなのだ。 それは貴様も判っている事だろうが」
「故に、これから先の事柄を考慮すれば、長兄様の御意思が強く反映されねばなりません。 幸い、わたしは、この度の仕儀については、ほぼ部外者と云えましょう。 王都より帰還した『ご挨拶』という、名分も立ちましょう。 父上、母上、宜しいか?」
「…………」
「大人になったわね、貴方は。 良いでしょう。 アレにも色々と思う所は有るでしょう。 アレの意思は聴かねばなりません。 許します」
「有難く。 では、後程」
こういった場合、父上よりも母上の方が肚が据わっているのは、幼少期より判っていた。 父上はこのような精神的打撃を喰らうと、弱腰になる。 決断力が極端に低下するのだ。 郷土が直接的な魔物や魔獣からの脅威に対しては、無類の『勇気の心臓』を持ち合わせてるのだが、事、目に見えない危機に対しては、どうにも弱気に成られてしまう。
身分としては低い『商家出身』の母なのだが、とても気がお強い。 特に逆境時には。 多分、先代様が父上の気質を熟知して、娶せられたのだと思う。 わたし達、三兄弟の偉大なる母君なのだ。
辺境の騎士爵家に嫁ぐという意味は、
きっと母上自身の魂に刻み付けられているのであろう。




