――― 三男の帰郷 ―――
第二幕 開幕です。 宜しくお願いします。
空は高く、聴き慣れた飛行型の魔獣の鳴き声が遠くに聞こえる。 騎士爵家が差配する場所、故郷への道中は平穏そのものであった。 途中、二度 駅馬車を乗換え、最後は故郷に向かう商隊のキャラバンに同行を願う。
実に王都から二週間の距離。
魔法学院が長期休暇の際にも故郷に戻れなかったのは、この距離をどうする事も出来ないからだった。 既に、学びは終え故郷に帰るだけだ。 貯めてあった金で『路銀』の心配もせず、この旅路を楽しむ事にしたのは、きっとこの旅程を二度と辿る事は無いと思ったからだ。
辺境の騎士爵家の支配地域に戻ったならば、わたし個人の自由など、無くなったに等しい。 これから先は、故郷である場所を護る為に、生涯を懸けて務めねば成らぬ『義務』が生じるのだ。 それが、末端とは言え、貴族たる者の在り方とも云えるのだ。 其処には、自由意志などと云う曖昧で不確かなモノは無く、自身の行いが故郷の安寧に直結する事を自覚すれば、覚悟も決まろうと云うモノ。
とうに覚悟など決まっている。 今更、それを如何こう思う事も無い。 ただ、一心に、歩むべき道を見定めている。 そんな心境なのだ。
実際、騎士爵家の支配地域の安寧は保てない。 それ程の脅威が常に側に在る場所なのだ。 家族の、家に連なる者達の、そして、故郷に住まう人々の笑顔を護れるのは、騎士爵家の断固とした決断と血を賭した努力しかないのだと云う事は、幼き頃から過酷な場所で暮した私の自然な決意でも有る。
且つて、無為に生き、無為に死んだ男が、生きる目的と、『死に方』に意味を見出せたのだ。 『倖せだ』と云っても過言ではない。
――――
故郷の町の大聖堂。 その高い尖塔が、同乗を許してくれた商人が操る馬車の御者台から見えた。 実家はもう直ぐそこにある。
魔法学院で修めた『学業』と、『魔力の制御』。
これからの生活に、大変役に立つと思う。 そして、それは即ち、家族に対しての報恩に成る事だと信じている。 その事を誇らしく思う。 そして、その成果は、間違いなく故郷への『恩恵』と成る事を確信していた。
商隊の主人には、大聖堂の前で降ろしてもらった。 其処から邸までは、歩いても問題の無い距離だ。 大通りに面した数々の店は、顔馴染の者達が既に働いている。 件の魔道具屋も、その中の一つだ。 街は賑わい、あちこちから笑い声が聞こえる。
わたしは、この喧騒が好きだ。
故郷の風景の中で、何よりも大切にしている情景だ。 人々が安心して日々の生活を送れる。 笑顔で語り合い、自身に出来る事を出来るだけ成し遂げていく。 そんな情景が憧憬と共に私の心に沁み込んで来る。
前世では味わえなかった、周囲への興味と興奮。 もっと言えば、存在を許されている場所であると云う、安心感。 コレを護る為ならば、どのような艱難辛苦も受け入れる準備は出来ている。
久方ぶりの街の雰囲気を堪能しながら、邸に向かう。 実に四年ぶりの実家だ。 辺境の騎士爵家。 貴族の末端の我が家は、王都の男爵家のタウンハウスよりも小規模だ。 あぁ、母屋と呼ばれる、居住空間の事だが。 邸と街の人々に呼ばれるくらいは、敷地は広い。
何故なら、騎士爵家は独自の兵団を持つ事が許される、郷土軍の屯所の役割も担っているからだ。 よって、敷地内には訓練場、馬場、馬房、兵員宿舎、兵員庶務棟などが、広く間を置いて建てられている。 見方によっては、王都の国軍の屯所と変わりない。 ただ、騎士爵家の者達が暮らす『母屋』が付随しているだけだ。
営門を抜け、邸に続く道をひたすらに歩く。 先触れも出していないし、今日帰る事も伝えていない。 三男の帰還など、そう云うモノだ。 魔法学院にて鍛え上げたわたしは、歩く事を苦にしない。 普通の貴族ならば激怒ものの事なれど、私にとっては日常でも有るのだ。
玄関に到着し、ドアノッカーを三度叩く。 王都に行く前ならば、邸の裏側に廻り、厨房脇の裏口から入っていくが、なにせ久方ぶり。 正式に帰還の挨拶もしたいし、できれば父上にも帰還を報告したい。
そろりと扉が開く。 懐かしい執事の顔が見えた。
「ぼ、坊ちゃま」
「王都、魔法学校より只今帰還した。 無事、成人を迎え、魔法学院の学位を取得。 公に貴族子弟と名乗りを上げても善き存在となった」
「お帰りなさいませ、坊ちゃま。 ささッ、中へ。 旅のお疲れも有るでしょう。 旦那様は執務室に居られます。 御帰還のご挨拶を」
「ありがとう。 早速、父上の元に向かおう」
勝手知ったる実家なのだから、執事の先導を待つ事も無くスタスタと父上の執務室に向かう。 懐かしい我が家。 悪く云えば、代わり映えのしない、そんな雰囲気に安心感を覚える。 ……少々違和感が有るが、それも、四年ぶりと云う事だと、そう思う事にした。
執務室の重厚な扉に拳を叩き付け、室内に入る。 目の下に隈を張り付けた父上が、少々呆けた様な表情を浮かべた後、口元をしっかりと引き結び私を見た。
「父上、只今 王都 魔法学院より帰還いたしました。 成人の儀を恙なく迎え、貴種としての籍を確かなものと致しました事、ご報告申し上げます」
「そうか。 良く精進した。 話は妻より聞いている。 あちらでは、色々と成したらしいな。 お前が帰って来てくれた事を神に感謝しよう」
「有難く…… 有ります?」
父上の言葉とは思えない。 力強く、この故郷を守っていた、豪の者が発するには、弱すぎる言葉。 一体何が有ったのか。 そう云えば、父上の御顔には憔悴の色が隠せていない。 それ程までに、魔物、魔獣の襲撃が頻発したのか? 我が家の財政が逼迫し、兵達を養えなくなりつつあるとでも言うのか。 騎士爵家の当主たるべき者が、これ程の憔悴を見せている理由は何なのだろう?
その時、突然背後から声が掛かる。 少々、驚いた。
「貴様が内に有る疑問の『答え』は、俺から伝えよう。 が、その前に、貴様の無事の帰還を言祝がせてくれ。 無事の帰還、喜ばしく思う。 お帰り、我が弟よ」
「ちい兄様。 只今戻りました。 あっ、母上も居られましたか。 母上、只今帰還いたしました」
「ええ、御帰り。 疲れているとは思うのだけど、ちょっと時間を貰うわ。 あなた、事情を説明しても宜しいかしら?」
「……そうだな。 頼んでも?」
「はい、父上。 貴様も其処に座れ。 少々込み入った事情で……な」
「はい、御話、お伺いいたします」
ちい兄様の言葉を受け、執務室の応接場所にあるソファに身を沈める。 長旅で疲れてはいたが、魔法学院に於ける鍛練により鍛えられた身体は、そこまで疲弊していない。 背筋を伸ばし、御話を伺う態勢を取る。 執務室には、家族以外の者は居なかった。
と云う事は、騎士爵家の内情を事細かに御話されると云う事。 余人に聴かせられぬ話も又、俎上に登る訳だ。 心してお話を伺う事とする。 私の態度に、ちい兄様は苦笑を浮かべられ、そして、私を一人の騎士爵家に連なる貴族家の漢として扱う事にしたらしい。
同じくソファに座ったちい兄様は、声を沈めここ三ヶ月に在った出来事を詳細に語ってくれた。 辺境の騎士爵家に於いて、家門存亡の危機と捉えられる……
――― そんな出来事だった。




