―― 深慮の国王、遠謀の宰相 ――
魔法学院の謝恩会から七日の時間が過ぎた。
謝恩会での『茶番』は、王国上層部に重大な衝撃を与えたことは間違いは無い。 翌日に朝議が開かれ、当日、あの場所で決せられた事が発布される。 あの場に居なかった者は、国王陛下の決定に驚愕し、恐慌をきたす者さえいた。
その様子を玉座より睥睨し、冷たい視線を投げかける国王。 その側に立つ宰相も又、冷笑を頬に浮かべ、慌てる者達を見詰めている。
朝議は紛糾するも、既に国王陛下の御意思は決しており、それを覆す理由を捻り出す事は、朝議に参加できる資格を持つ『中高位の爵位を持つ者』では不可能であった。
発布後、王城内はハチの巣を突いた様な騒ぎとなる。 早々に朝議は終了し、国王陛下は宰相を引き連れ王の執務室に向かった。
執務室へ向かう間、幾人もの侍従が陛下の『御決断』に対しての疑義を多くの貴族が持っていると奏上する。 その どれをも無視し、足早に執務室に入ると、ピタリと重厚な扉は閉じられた。
王の執務室は、貴顕の執務室として在り得ざるモノだった。 華美な装飾を伴う調度は廃せられ、質実にして剛健な、実用的な什器で埋められている。 壁には巨大な王国全土を網羅した地図が張りつけられ、幾多の場所にピンが刺さっている。
執務机の傍には、堆く積まれた報告書の山。
全て、陛下自身が目を通さねば成らぬ極秘文書だった。 茶器や軽食を供するワゴンすら無い。 作り付けの戸棚の端に、強い酒精の蒸留酒の瓶が、唯一の娯楽的要素だった。
「さても、さても、馬鹿者が多いな」
「長らく平穏が続いたのだ、お前さんの努力でな。 最後の大きな戦は、北方からの侵略への対応だったか。 お前さんが王太子の時、親征で叩き返したアレだ。 思えば、あれからこっち、大きな戦争に繋がる事は、全て潰したからな。 まぁ、良くできた王なんだよ。 それを良い事に、内側で蠢く奴等が出るのは、仕方ねぇな」
「ざっと見た所、朝議の場で不満を漏らしたのが半分ほども居るとはな。 あれ程の失態を演じて尚、この国を担えると思う方がおかしい。 それを是とする空気感も不快だ。 なんだ、あの侍従共は。 慇懃に奏上の手順を踏んではいるが、無礼にも程が有る。 おい、アレの裏は判っているのだろう」
「勿論さ。 外務卿、商務卿、大公家、公爵家 まぁ、その辺りだ。 あちら側と繋がりの在りそうな家だろうな。 担ぐ神輿は軽い方が何かと便利だしな」
「おいおい…… で、何処まで画策しているのだ、教えろ」
「まぁ…… なんだ。 俺とお前では、見える世界が違うのだろう。 そうだな…… 最初から行くか。 この世界は『魔物の森』の間隙に人の世が有るのだ。 生存圏の拡大には、時間と労力と不断の努力が必要なのだが、それを一足飛びに得ようとする者がいる。 此処まではいいか?」
「北方王国だな。 それは判り切っている。 およそ、二十年毎に此方に仕掛けてくるのは、我が国の豊かな国土を狙っているからな。 色々とちょっかいを掛けてくれるものだ。 おい、あの茶番も、奴等の誘導か?!」
「いや、違う。 そこまではしていない。 確証を以て答えられる。 が、それも暴走を止めなかった一因でもある事は間違いないだろう。 続けるぞ」
宰相は、大きな革張りの一人掛けの椅子にドカリと腰を下ろし、膝の上に肘を載せ掌を組み合わせて、執務机に着いている国王陛下を見詰めた。 その瞳には、深謀遠慮の光が灯り、引き起こされる騒動を、ひとつ残らず利用するのだという意思が垣間見れる。
気安く そして、ぞんざいな口調で言葉を交わす二人。 旧知の間柄で在り、互いに思う所は有るのだが、国王に対し平然と反論できる者は彼しかいない。 互いに照れくさいのか、二人きりの場所以外では、完璧な主従を演じているが、心の奥底では二人と居ない『真の朋』で有ると互いに認識している。
その認識の立脚点は、国王陛下がまだ王子と呼ばれていた頃に吐露した心中。
” この国に我が身を全て捧げる。 そして、民の平穏なる暮らしを守るんだ。 それが、俺の使命であり、誓いでも有る。 お前、俺に力を貸してくれ。 お前の底意地の悪さは、きっと民を守る力になると信じる ”
当然の事ながら、二人は殴り合いの喧嘩と成り、そして、生涯の友誼を結んだ。 そして、その関係性は今も続く。
宰相は言葉を紡ぐ。
「馬鹿共の饗宴は、直ぐにでも鎮圧出来る。 芽の段階で摘むのもアリだ。 しかし、お前さんは、コレを試金石とした。 為人を見る為のな。 そしてアイツは失敗した。 その罰さえ受けている。 事実、お前さんの次男は既に王領の『例の場所』に移送された。 謝恩会の後、王城の自室に仲間達と戻り、成人したのをいいことに酒盛りをおっぱじめたんだ。 ……何時でも盛れる。 事実、後宮女官長の手で睡眠薬は盛られ、眠っている間に断種と魔封じを施し、移送したんだ。 脇が甘すぎるぞ、アレは」
「……すまん。 第一王子と同じ教育を受けさせ、同じ礼法を修めさせたのに、結果がコレだ…… 王妃の心労が悔やまれる」
「心優しき王妃殿下に於かれましては、御心労 誠に申し訳なく思います」
「おいッ! 茶化すな。 それで、何処まで画策している」
「お前さんが夢見たことを全て。 王国の膿は出し切る」
「…………可能なのか?」
「普通なら無理だ。 しかし、今回は大義名分があるのさ」
「なんだそれは」
「王命に依り結ばれた婚約を、王子一人の判断で破棄した。 紛れも無い『大逆』だ。 騒いでいる奴等は、まだ気が付いていない。 『大逆』の片棒を担いだ者の末路がどのようなモノに成るのかを。 そうそう、第一王子殿下が面白い提案をして来たぞ」
執務机の前で腕を組み、難しい表情を浮かべる国王陛下。 何かを思い出す様な表情を浮かべ、静かに言葉を紡ぐ。
「アレには、王気が足りない。 機会を遣った。 王太子として立つのならば、相応の覚悟と才覚を見せよ とな」
「それでか。 まぁ、公女の『入れ知恵』も有ったのだろうな。 既に、比翼連理の様じゃ無いか。 嬉しいね」
「それで、何を提案したのだ」
「あちら側の策謀を全て粉砕し、更には国内の不穏な者達の勢力を大幅に削ぐ提案だ。 一気に家を潰してしまえば、混乱を増大させ、外敵に隙を見せる事に繋がると判っていらっしゃるのだよ。 暇だから悪さをするんだ奴等は。 忙しくさせるのが『吉』なのだ。 だから、領地を変える。 『転封させよ』と云って来た。 問題のある家を、『大逆の罪』に問わない代わりに、領地を変更するんだとさ。 王国の要衝に居る者達を、長い年月をかけて彼等を篭絡した問題の在る者達。 その根を切るんだと。 考えたな、あの若者達は。 王家と大公家の ” 秘蔵っ子 ” な訳だ」
「つまり…… この国に仇成す者達の影響力を、発揮できぬ様にすると云う事か。 殺さないのは、混乱を最小限に抑える為か…… しかし、領地を変えるとなると、相当に国政に混乱を引き起こすのだが?」
「お前…… 見えていないか? 領地を交換する事によって、手足を縛るのさ。 新領地の治世は、一夜漬けで出来るようなモノじゃない。 向こう十年は動きが取れない。 王都で公務に就こうとも、領政は蔑ろには出来ん。 さらに、要衝地への要らぬちょっかいも掛けられぬ上、その地を治めていた者もまた、その地から去るのだ。 家としての力はそのままにな。 人が動きモノが動く。 王国経済は大いに潤う」
「後釜に座るのは、息の掛かった者達と云う訳か」
「ご明察。 一気に『挙国一致』の態勢が作り上げられる。 お前が夢見た体制だよ。 暫く王宮は煩くなるだろうがな」
宰相の顔に、ニヤリと黒い笑みが浮かび上がる。 取捨選択は既に終わっていると言いたげな表情だった。 それに加え、『真の朋』たる国王陛下の御宸襟への配慮もまたされて居た。 この案を使えば、『大逆』で裁かれ、断頭台の露に消える者が居なくなる。 領地替えに文句を言う者には、脅しとして成した事が『大逆』に当たると云えば、それだけで納得する。
大逆と成れば一族郎党全てがこの世から消える。 名も名誉も何もかも失われる。 家が存在した事が『悪』であると、国書に記載される。 面目を重んじる貴族に取って、それは何よりも避けたい。 自身の命だけでは無く、もうこの世に居ない祖先の名誉すら地に落ちるのだから。
陛下は心の奥底で、唸り声を挙げる。 第一王子と公女を『若き者』だと侮っていた訳では無いが、良くも其処迄 考えたモノだと。 今回の騒動で、一等に功績を上げた者には、相応の褒賞を与えねば成らないとも、考えが浮かぶ。
「おい、今回の騒動で、誰が殊勲だ」
「まずは公女。 次に第一王子と少ない彼の側近。 それと…… 何だったか、あぁ、騎士爵家の息子だな。 三男と聞いてはいたが、アレの立ち回りも又、藩屏たる人物としては満点だ。 だが、如何せん爵位が低すぎる。 取り立てようにも、アレでは無理だ」
「既に王都には居らぬよ」
「何?」
「軍務卿処罰の『首の皮一枚』となった、あ奴の新継嗣が騒いでおったよ。 いつの間にか故郷に帰還していたと。 謝恩会の次の朝に出迎えに行ったら、寮の部屋は蛻の殻。 まるで、最初から其処に居なかったかのように、全てを整え出立した。 引き際も見事だ。 公女が惜しがるのも、無理からぬ事」
「…………俺は、会っていない。 どんな奴なんだ?」
「自分で調べろ。 その伝手は幾らでも有るだろ」
「くそっ、俺もその場に行けばよかった。 この目で見たかったぜ……」
辺境騎士爵家三男の存在が、国家最高執政官に認知された瞬間だった。