幕間 女婿と上級女伯 ③
王宮奥深く、後宮の一室。 柔らかな光が豪奢なカーテンが掛かる大きな窓から差し込んでいた。 華美と云うには落ち着きすぎ、質素と云うには、重厚過ぎる調度品は、正しくこの国の至高の椅子に座る者の為に用意された逸品だけで構成された、国王陛下に近しい者達が存在を許さる様な場所。王城の中庭から、風がくゆり豪奢で繊細なカーテンを緩やかに躍らせている。差し込む日差しも強くも無く、しかし、部屋を暗くする事も無い。 精巧な絡繰り時計が刻む音が、ゆったりとした風情を醸し出しても居た。
珍しく、国王陛下はその一室の王国の四季を映したグランプル織りのソファに座り、黒茶の香りを楽しんでいた。
本来ならば、国王執務室にて謁見するべき事柄なのだが、盟友とも云える男が自身の信念を枉げて、養子をとると云う事で、敢えて私的に会う事を選択した。 侯爵家の次男でありながら、その才に惚れ込んだ国王が自身の重臣として一家を成さしめ、宰相位を与えた。後継に能う者は、血脈では無く能力で選ぶべきであるとの立場を堅持し、周囲の説得を自身の才気と貴族らしからぬ言葉で排除し続けた結果、宰相家には妻女が居ない。
“ 血が尊いなんざ、夢物語だぜ。 王国を担うならば、自身の能力を一杯に使う覚悟を持たなきゃならんのだ。 其処に私は無く、クソをひり出すその時すら公事なんだぜ? 国王とは、それを許容し覚悟した者しか成れんのよ。 気質は、慈愛に満ち、その宸襟の深き事大海が如く、心襞は深山幽谷の様な尊き方の側仕えなんだから、一心にお仕えせねば役になんか立てんよ。俺が妻帯しないのは、それが理由さ。 先ずは国王陛下の手足となる事。 遍く王国の民が、まぁ何とか生きて行けるようにする事。 こればっかりは、いくら国王陛下の御意向であっても、俺の気持ちが許さねぇんだよ”
国王陛下に、妻帯を勧められた時に宰相が陛下に心内を明かした時の言葉は、今も国王陛下の心に強く刻まれている。自分が望まなければ、宰相もまた謹厳実直な夫となり、子供達の導き手となっていたであろう事は、貴種貴顕の者達の姿を見れば明らかであった。英才、秀才、天才たちが集う王宮のなかでも、一頭地を抜く宰相。 彼にも幸せを掴んでもらいたかった…… と、国王陛下は王妃陛下に漏らした事さえあった。
そんな宰相が、一人の漢を養子に迎えると言い出した。 執務の合間、国政の難局とも云える判断を、国王執務室で行っていた時に、それは自然に、流れるように、なんの蟠りも無く…… 国王陛下は、思わず手に持つペンを取り落とした。 呆けた顔を宰相に向け、彼の紡いだ言葉を問い直した事は、執務室に伺候している高級官吏から見ても、異常な事柄であった。 容易には、感情を見せない国王。 常に威厳に満ちた表情が崩れ去り、驚愕と呆れが表出されたのだ。
「宰相、詳しく話を聴きたい」
「陛下に於かれましては、私の私事にお時間を戴く訳には行きません」
「いや、そういう問題ではない。 貴様の息子と成るのだ。 公の謁見の前に、私的に会わせろ」
「いや…… まぁ、色々と事情があるのだ」
「その事情も話せ」
「…………しかたないか。 陛下、後宮に伺候するのは受け入れますが、もう一組の者達も帯同しても?」
「その必要が有るのならばな」
「無かったら云わぬよ。 これから…… ですか?」
「勿論だ。 公務は、公務。 決して疎かにはせん。 貴様なら理解しておるだろう」
「それは、まぁ、そうですが。 分かりました。 至急、伺候の命を発令します。 少々、御待ちを」
頷く国王陛下。 周囲の高級官吏達も事情が分からないまでも、政務に精励しすぎるきらいのある陛下が、少々休憩を取られるのであれば、それもまた善き事だと、納得もしている。 大きな溜息を落とす宰相は踵を返しながら傍付の侍従に、必要な場所へ国王陛下の意思を伝え始めた。
慌ただしくも、特例の休息時間として各所に連絡が回り、後宮の応接室が「私的」な謁見場所として設えられ、王宮侍従長、後宮上級女官長の指示命令が矢継ぎ早に発せられた。
後宮応接室は急遽、私的謁見の為に調えられ、国王陛下が真っ先に室内に陣取った。
顧みれば、異例尽くしの「謁見」でもある。 公的には、謁見は、王宮『謁見の間』に於いて実施されるべき物であり、如何な国王陛下であっても、慣例を破る事は出来ない事には成っている。 それを、目的を曖昧なままとし、私的な集まりだとして、王室典範を犯すギリギリの解釈を典範長が、その日の出来事を纏め上げるのは後日の事。
国王陛下の横紙破りは、在位してから初めての事でも有った為、様々な部署の者達が訝し気に事の推移を見詰めても居た。宰相はその様子を大きな溜息と共に受け入れ、事が出来るだけ波紋を広げぬ様に、細心の注意の元、事態の収拾に当たったのも後日の事。 直接、事態の収拾に当たったのは……
――― ☆ ―――
王宮応接室で、ゆったりと黒茶を喫する国王陛下。 入室してから幾許も経たぬうちに宰相は自身の養子となる人物と、一組の親子を伴い足下に伺候した。 後宮侍従長の伺候の先触れ。 後宮応接室から、入室を許諾する国王の重い声が響く。
「入れ」
入室したのは、宰相とその養子。 そして、一組の父娘。 深く首を垂れ、忠誠を誓う最敬礼と深い淑女の礼を差し出す。口上は宰相から。 足下に伺候した者の中での最高位である彼が、口火を切るのは至極真っ当な事。深く頷く国王陛下は、その口上に耳を傾ける。
「我等が王、御宸襟に則し足下に罷り越しました」
「丁寧な言葉はいらぬよ、宰相。 無礼講とする。 連れてきた者達へも直言の許可を出して置こう。 侍従長に聴いた。……王妃も呼んだのか?」
「あぁ、事情が有ると云ったろ? その元となった方だからな」
「元? 良く判らんが…… そっちは、暗部棟梁侯爵家が当主と息女か。 宰相、どういった巡り合わせだ?」
「いや、まぁ、なんだ。 貴様の最愛が望んだ事を現実に落とし込むには、こっちも無理をせねば成らんねぇんだ」
「王妃が望み? はて、何のことやら」
「王が王で居られるには、その藩屏たる者の忠誠が何よりも重視される。特に手を汚す者に対しては、その心中に疑いをもたせてはならんのよ」
「言っている意味は、分かるが、この現状との整合性が見当たらぬ。 説明を求む」
「だから、言ってんじゃねぇか。 貴様の最愛の望みを叶え、それが貴様への忠誠となる様にしたんだとな。 まぁ、王妃陛下が来られるまで、事情は伏せておく。 なぁ、暗部卿?」
「はい…… その様に。 宰相閣下のお気持ち、有難く受け取ります。 まして、様々な貴顕に推挙される様な者を……」
「その話は、後だぜ。 おう、来られたようだ」
後宮上級女官長が、貴婦人の到来を告げる。 宰相と暗部卿は、立ち上がり深く臣下の礼を差し出した。許された椅子の背後に立つ宰相の養子と、暗部卿の娘はその場で深く臣下の礼と淑女の礼を差し出しても居る。
国王陛下が入室の許可を出されると後宮応接室の扉が開く。 三名の貴婦人が、静々と入室した。 何処まで美しく輝くような顔。身に纏う、この国最高位の貴婦人に相応しい装束と宝飾品。 派手さは無く、落ち着いた佇まいは、見る者の心まで癒す王妃陛下の姿があった。 その後ろに控えるように続くのは王太子妃。 さらに王太子妃の側仕えとして侍るは上級女伯。
三名の貴婦人は、立ち上がった国王が着席を許し、王妃陛下と王太子妃殿下は豪華なソファに腰を下ろす。 手に扇を持ちつつも、美しい顔は隠さない。ソファの背後に上級女伯は、背を伸ばし立つ。
「よく参られました。 お座りに成られては? ねぇ、陛下」
「そうだな。 では、話してもらうぞ宰相。 その事情とやらを」
伺候した四人は礼を解き、元の場所へと戻る。 椅子には宰相と暗部卿。 傍らに立つは宰相の養子となる漢と、暗部卿の娘。 背を丸め、膝に肘を置き組んだ両手の上に顎を乗せた宰相は、おもむろに言葉を紡ぎ始めた。
「王妃陛下の御宸襟。 暗部卿の御息女に『佳き人』の当てが付きました。 王妃陛下の条件を満たす者。 ただし、爵位が絶望的に足りない。 無理をしたぞ…… 従騎士爵なんざを侯爵家令嬢の配と成すんだ、このくらいの横紙を破らにゃならんのよ」
「なんと! この者を暗部卿の『掌中の珠』と娶せると?」
「それが、王妃陛下の望みだな。 条件的には…… まぁ、合格と云える。 なぁ、暗部卿」
「……家中を丸ごと昏き道への同行人と成そうとする。 我が家の執事長が手も足も出ないとなれば、その実力は疑いも出来ないですな。 ……暗部棟梁侯爵家としては、これ程の人材ならば婿にもらい受けても何ら不思議は御座いません」
「それにな、コイツ…… とんでもねぇ物が後から、飛んで来た」
不遜な態度を取りつつも、懐から三通の書状を取り出す宰相。 ニヤリと深く黒い笑みが浮かび上がり、国王陛下の前にその三通の奉書紙を差し出した。 胡乱気にその奉書紙と宰相の顔を交互に見詰めながら国王陛下は問う。
「なんだ、それは」
「アレからの出向命令書と、添え状が二通。 一通は貴様が最も頼りとし、北の国軍の最高司令官にと望んだ方から。 もう一方は、俺が見込み、貴様が承認した北方辺境伯からだ。 コイツはな、北方国軍の参謀職補佐をしてたんだと。 主に索敵…… まぁ、中央軍で云う諜報参謀的役割を担っていたとある。 発令は…… まぁ、問題が無い時期。 あっちの参謀本部と最高司令官殿から、途轍もない嫌味が綴られて居た。 北方辺境伯からも、コイツが抜ける代わりに、誰か寄越せとそう綴られているが、代わりに行かせられるような人材は生憎王都には居らんから、別の手立てをさせて貰った。 あぁ、宰相府の機密費が三割方無くなったよ、全く…… 喰えん奴だな」
「見せて見ろ」
「だから、差し出している。 さっさと読め」
差し出された三通の書状。 奉書紙に書かれた命令書一通と添え状二通に目を通す国王陛下。 その文言に幾許かの驚きを覚えつつ、応接机の上に書状を置いた。 背を椅子に預け、天井を仰ぎ見る国王陛下。 小さく言葉を紡ぐ。
「爺が、認めた異才…… か。 諜報参謀と云ったな」
「あぁ」
「暗部卿の息女に娶せるのは、王妃が望みか?」
「あの厳しい北辺で、才能の煌めきを持った男が王都に来たならばと…… な」
「罰とも…… 言えるのか。 いや、その辺りの話は聞いてはいる。 いるが…… するか、普通?」
「貴様の最愛の望みだ。叶えん訳には行かぬだろう?」
苦笑を浮かび上がらせる国王陛下の前。 宰相は事も無げに云う。 国王陛下は俄然、宰相の側に侍る北方の漢に興味が湧いた。 黒に灰銀が混じる髪。透ける様な蒼い瞳。茫洋とした表情を浮かべるも、その瞳の奥には静かに揺らぐ炎を見た。 他を圧するような気配は無い。 北軍参謀職の戎衣に身を包んでいるのは、それが矜持の在処だと云う様なもの。 なにより、この国の最高位の者達が集う場所においても、小動もしない肝の太さ。
“ 成程、私が幼少期から、侍従として侍っていた現北部国軍最高指揮官が認めし漢と云う訳か “
事情は、おおよその見当はついた。
王太子妃の勇み足と、配慮の無さから起こった一連の出来事。 王妃が元で、王太子妃が研鑽を積む結果を引き起こした彼女の躓き。その結果がこの『北方の漢』と云う訳か。
「『北の蒼狼』…… そう爺は呼んでいたそうだな。 直言を重ねて許す。 口調は常で構わん。 此度の仕儀に付いて、思う事あらば、この場で言葉にせよ。 王国に対し存念が有る者を宰相府へ登用は出来んのだ。 先ずは、心根をさらせ」
宰相の養子となる北方の漢は、茫洋たる表情に昏い影を滲ませ、周囲に目を一度走らせると、おもむろに口を開く。 思った以上に重い声が、後宮応接室に集う貴種貴顕の者達の耳朶を打つ。 其処には、乱麻の様に絡み合った、『事情』とやらを一刀のもとに切り放つような、切れ味の良い蛮刀のような言葉が紡ぎ出された。
「国王陛下の御慈悲により、我が心内を御話する機会を戴けました事、誠に有難く存じます。 では、私の存念をば…… 此度の仕儀、甚だ迷惑。 迷惑千万と言わざるを得ません。 北に生まれ、北に生き、命を賭してでも仕えたくある指揮官殿から、家門に対し秘匿された『命』により引き剥がされた、『蒼狼』は己が死に場所を探していたのですよ陛下。 しかし…… 敬愛するあの方の命は、『死ぬな』。 ならば、この命、あの方に捧げる。 あの方は王国の藩屏たるを矜持とされておられる。 あの方を通じ、王国の闇に寄与するならば、此れもまた『天命』。 そう断じます」
200話に到達!
此処までお話が続いた事は、全て読者の皆様のお陰です。
楽しんで頂ければ、幸いに存じます!!
龍槍 椀 拝