――― 蠢動 ―――
◆ わたしの人生の始まり
わたしが生れ落ちた世界は、まるで中世幻想世界のようだった。 そして私の生まれは、王国でも特異な階層である、『騎士爵位』を持つ家だった。
記憶の中にある、同じ爵位とは意味合いが違う。 いや、元は違う成り立ちであったが、長い長い封建社会の間に、騎士爵という爵位はその実態が変遷し定着して行ったと後で知った。
そう、騎士爵家とは、貴族と民草を繋ぐ役目を担っていた。
――― 生れ落ちた世界は、前世とは似ても似つかぬ場所だった。
文明社会とは言い難い場所。 民主主義とやらも、平等という概念も、弱者救済という思想も、神とやらへの信仰の在り方も…… 全ては、前世と隔絶した『別世界の事象』。 『 全てに於いて行動の自由を封殺する、全く違う世界に、産まれて貰う 』だったか。 魂に記録されている事柄は全て、夢幻の彼方の出来事となった。 つまりは、役立たずの記憶。
成程、記憶にあるモノが、この世界では全く適用できないとすれば、そんな記憶は邪魔にしかならない。 まして、前世で満ち足りた人生を送っていた者からすると、この状況はまさに『 罰 』と捉えられるな。
自身に起こった事を正直に話したとしても、余りにも荒唐無稽な事柄に、心理学など存在しないこの世界では、だれも理解する事など出来ず、狂人として扱われるのは、火を見るよりも明らかだろう。
語る事も許されず、自身の知識は無為となり、楽しく豊かに暮らした前世に『強い郷愁』を強く持つだろう事は、間違いない。 『何かを成せ』と命じられた訳でも無く、自身の存在意義を見出せず、孤独に放り出されたモノにとっては、この世界は『煉獄』とも云える。
―― しかしな、前世世界の『神』よ。
残念だったな。
私にはそれは『 罰 』と成り得ない。 虚無に支配された前世に、一片の郷愁すらも覚えない私の心は、この世界に親しみすら感じている。 私にとって、この『 罰 』は『 福音 』とも云えた。
何も無いのならば、得ればよい。 前世の知識が役立たずならば、今世の知識を蓄えれば良い。 ただ、ただ、心が悪意と害意から、解き放たれたような気がした。 前世に於ける、アレコレを何もかも忘れ『人生の全て』を、遣り直せるのだ。
――― これを『 福音 』と呼ばず、何と呼べば良いのか。
生れ落ちたその日に、私は覚醒したも同じ。 時が経つにつれ、自身の置かれる『立場』を理解しつつ、この世界について学んでいった。 そう、他の幼子と同じように、まっさらのノートに一文字一文字刻むように、この世界の事を学んでいったのだ。
前世の記憶により、多少のアドバンテージは有る。 学ぶ事の大切さを、身に染みて実感しているのだ。 聞き分けの良い子供だと、そう周囲には認識されていたが、わたしとしては、この世界の事を知る事に無我夢中だったのだ。
それが、良い方向に『 誤解 』されていく。 手の掛からない、大人しい、平凡な子供。 それが、幼少期の私の立ち位置。 末っ子という立ち位置は、ある意味、家族からの愛情をたっぷりと味わうために用意された場所でもあった。
学ぶことは知る事。 自身の知識をひけらかす事など、一欠けらも必要は無い。 故に寡黙な幼少期を過ごした。 放置される事無く、生活に必要な事柄は全て用意され、兄達には構って貰え、父母にはきちんと養育された。
前世では、望めぬ、望外の喜び。 雑な愛情ではあったが、決して放置される事は無く、ちゃんと気にしてくれていた。 騎士爵家という、色々と忙しい家族だから、雑な扱いは如何ともしがたいし、ちゃんと理解もしていた。 故に、聞き分けの良い、寡黙で大人しい子供だと、思われていたのかもしれない。
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前世の世界からすれば、この世界は果てしも無く滞った世界で在り、魔法という不思議力が存在する世界だった。 数千年に及ぶ、社会的停滞は、今も王政という絶対君主制と貴族制が維持され続け、社会的階層が如実に存在する世界。
民草と呼ばれる者達の間にも、峻厳なる階層が存在しており、商人階層、工人階層、農民階層の別が厳しく敷かれていた。 奴隷階層という非人道的な部分も、現実として存在している。 全ては多層的な重複階層社会。 その中でルールを守る事こそ、この世界で生きていく上では、とても重要な事柄でもあった。
我らが生きている王国はその権威の象徴として君臨する、国王陛下と至高の一族が、その全てを掌握している。
事実として、それは受け入れなければならない常識であろう。 この世界で、この国を含む多くの国々がそうであるように、高位の貴族達が合議制で、王家の権威を補佐し、国政を動かす。 中位の貴族達が、高位の貴族達の手足として政務的実務に当たり、さらに低位の貴族達が実際に行動して国政を推進していく。
―――― 中央集権的な、専制政治が ” この世界 ” での標準でもある。
前世に於いて、中世後半から近代と云われるような時代の社会が、延々と続いているのだ。 なぜそれが、可能なのか。 答えは簡単な事だった。 そう、この世界には『魔力と魔法』が有る。 社会的不安は、『魔力と魔法』により、ゴリ押し解決が可能なのだ。
前世の記憶を持つ私にとっては『不思議力』そのものなのだが、社会全体に於いて、この『魔力と魔法』が、人の価値を決めているのだ。
―― そう、自然の猛威から身を護り社会を成立させる為に。
力持つ者達による、集団的封建制。 まさに、在るべき姿と云える。 力無き者には発言権が与えられず、発言権が無いならば、社会の制度を改変する事も出来ない。
なまじ頭の良い『目覚めた人』が頭目と成り ” 社会の変革 ” を求めようとも、それは絶対的な『力』である膨大な内包魔力を持つ、『魔法』を使う者達により、あっという間に鎮圧される。 それが嫌ならば、諸王国の目を逃れ、魔物が溢れる『世界を覆い尽くしている巨大で奥深い森林』に、住まうしかない。
それを実行しても、数世代も持たず『その集団』は、歴史の彼方に消失する。 なぜなら、力持つ者達が開拓を諦める程の過酷な生態系が其処に存在するからだ。 世界を覆い尽くしている『魔の森』の隙間に散在する人の領域は、常に脅威に晒されているのだから。
故に、この世界の『民』は、皆感じている。 自分達は、力ある者達に、護られているのだと。
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国王陛下は想像を絶する内包魔力の保持者。 発現する魔法も又、絶大な威力を発揮する。
陛下の魔法は、『天象、気象』にすら干渉できるほど。 貴族の階層は、国王陛下、大公、公爵、辺境伯、侯爵、上級伯、伯爵、子爵、男爵、準男爵、そして騎士爵と階層化されている。 その準拠は、内包魔力の多寡と、行使魔法の威力だった。
支配する者は、力を誇示し民草と王国の安寧を保証しなくてはならない。 人の住む領域を安定させ、生きていく為の方策を練らねば成らない。 他国とも連携しつつ、少しでも自然の脅威を減らす為に尽力せねば成らない。 すこしでも、人の生存圏の拡大を模索しなくてはならない。
たとえ、他国と戦に成ろうとも、自国の拡大は、生存圏の確保と云う、『至上命令』の前に容認されるべき出来事であった。
幼子にも認識できるように、魔力の大きさと、行使魔法の威力は、人間の価値を決める重要なファクターだ。 故に、魔法を行使出来ない一般人は、成りあがる事など出来はしない。 極一部の例外を除き、社会的地位は固定される。
一方、持たざる者である、国民の側では、『技巧』と呼ばれる能力が重要視される。 教会に於いて、水晶玉に手を載せ、天より与えられし『技巧』を知る。 その『技巧』に従い、所属する階層が決まっていく。
それにより、まだ、幾許かの階層間流動性はあるには有る。 ただ、自身の親の『技巧』が子に伝播する為、ほぼ固定と云う事には、違いない。
多くの民を護り、国体を維持する高位、中位の貴族達。 居住可能地域を死守し、自然の猛威に立ち向かう下級貴族達。 明日への命を繋ぐために懸命に努力する国民達。 諸国を含め、そんな王国の数々がこの世界の中に存在する。
『目覚めた』思想を持った ” 庶民 ” が、『夢見る』様な理想郷など、この世界には存在を許されない。
「魔の森」に存在する、強大な魔物、魔獣の存在がそれを許さない。 この世界に於いて、全ての人が平等などと云うのは、幻想以前の問題で在るのだ。 力あるモノが、全てを得る…… それが、社会通念と成っている世界だった。