幕間 王城の狐狸
宰相府は、騒めきに満ちていた。西方領域、南方領域、東方領域を巡る王太子殿下の御巡幸に於いて、行く先々で様々な問題が露呈していた。ある領ではその領を担っている貴族が、密かにしかし大胆な不正を行い蓄財に励んでいたとか、南方の領では外国との密貿易を画策している貴族家がその悪事を暴かれ、暴れる所を平定したとか、東方に於いては旧王家の藩屏たる貴族達が、王家再興を経て王国復活を目し暗躍していたとか…… 国内、国外に於いて、醜聞となる事柄が急に噴出してきたのだ。
宰相府の若き英俊達と、背に毛が生えた古老とも云える熟達の政務官たちが、御巡幸先から齎される『問題』の数々に対し、対処を迫られていた。行く先々での不幸な出来事に、王太子殿下もさぞや御心を痛めておられるであろうと…… 有能で真っ当であると評価の高い王太子殿下に政治的傷を付けるような事は許し難いと、宰相府の面々はその能力一杯を行使して事態の鎮静化に努めていた。
国王陛下執務室に宰相閣下が伺候し、御巡幸の問題点を話し合う…… という、大義名分を基に訪れていた。
「少々やり過ぎだろう。 アレでは王太子の身が持たん」
「宰相補はそれでも厳選しとるよ。地方地方の市井から貴族の間にある鬱憤の在処を掘り出す能力には冴えを見せている。ガス抜きに成る様な、そんな問題ばかりを引かせているらしいな。ありゃ、相当にヤラレルが、耐えられないもんじゃない。そうやって、王国の内部に燻る反抗の芽を小さなうちに潰して回る事で、王国の実態を王太子に見せ付けているんだろうさ」
密かに苦笑するのは宰相。良く練られた思惑を、問題の数々に見出していた。詳細に調査してみても、王太子殿下の対応で完結させられる様な事案ばかりなのに闇すら感じられるほどだった。内心、良くやったと宰相補を誉めても居る。だが、表情には微塵も出さない所が、宰相の宰相たるゆえんである。
「にしても…… あれだけ平定したのにか?」
「お前の偉業も、もう昔の事だぜ。人は喉元を過ぎれば熱さなんざ忘れるんだ。冷製スープを冷まして喰らうくらい、叩きのめしておいた方が、治世と云う面では正解だ。だが、それが故に反発される可能性も無視できんよな。そこで必要なのが飴と鞭だ。鞭ばかりじゃ怒りを買う、飴ばかりでは付け上げる。その辺の塩梅を王太子には目覚めてもらわにゃ、王国の屋台骨を支えるなど夢のまた夢になりかねん」
「宰相補を付けたのは、その為か?」
「そうだ。その辺の思考は鍛えた。後はあいつ自身がどれだけ実践できるかだ。まぁ、王太子殿下とも友誼らしきものを結び、使い走りを嬉々としてやってやがるんだから、まぁ、良しとしよう。時々愚痴は来るがな」
「仲睦まじき妻を王都に残し、地方巡幸に付き合せているのだからな。愚痴くらい聞いてやれ」
「まぁな。俺には妻は居らんから、その辺の機微は判らんが…… まぁ、少々手加減をしてやってもいいだろう。愚痴の中に、北部巡行が含まれてなくて、残念だと云うのも有ったが、あっちは…… まぁ、王太子には荷が重すぎるしな」
宰相補が厳選したと思われる事案に対し、王太子殿下は全ての事案に対し適切に処置している。強硬策、懐柔策、癒着分離と灰色の決着。白と黒の世界では無い事を、身を以て実感している事だろうと宰相は思う。国王陛下もまた、実地訓練だと云う事を理解していた。それが故に、王太子の心労に、些か苦情を呈した迄なのは、宰相も承知している。 故に北部は巡幸から外した。 あの場所は、現在、激動の時を迎えている。何もかもが再編され、新たな枠組みとして定着させねばならない時だったからだ。
そんな場所に王族を向かわせるなど、それも次代の国王を向かわせるなど、論外だった。何が起こるかわからない。散々に見捨てて来た北部の民が、どのような思いで中央を見詰めているかくらいは、宰相府でも把握している。 その鬱憤を表に出さないのは、王国最北端の騎士爵家が、一切の不平不満を表出せず、淡々と粛々と己が支配領域の安寧に邁進していたからだった。
貴族達も馬鹿な者ばかりでは無い。王国北部辺境域近くに領地を持つ者達の多くは、彼等が自分達の安寧を護るための防壁となっている事は理解している。自分達は、功績を上げれば領地替えの可能性もあるが、彼等にはそれすらない。なのに健気に、頑固に王国の藩屏たるを自認し、決して裏切らず、北部辺境域の防衛に心を砕いていた事に、感嘆の想いも有った。
――― が、しかし、ソレが崩れた。
経済的に、人材的に、軍事的に、既に北辺の騎士爵家は、耐えられなくなっていた。合筆集団請願により、『魔の森』の支配権を筆頭騎士爵家に移譲したいと、申し出が宰相府に届いたのだ。義務の一部を放棄したと、そう解釈も出来た。 が、それは、あくまで中央から見た、解釈に他ならない。構造的に、北部経済圏は他の地方と比べ著しく弱い。家として、体力的に存続する事さえ、極めて難しい場所なのは、実際にあちらに足を運んだ宰相は、肌身に沁みて理解していた。
格差が大きすぎたのだ。
既に、北辺の家々からの忠誠は、彼等の心根によって成り立つ時を終えていた。他地方の平定が終わった今、北辺に国の力を向けるべきなのはわかってはいるのだが…… 既に耐えられない者達に鞭打つ様な判断は下せなかった。出来る家に一時預ける…… その判断が、北部辺境筆頭騎士爵家に、「魔の森」浅層域を任せる…… 宰相府として、王国としての判断に至る。
北部辺境騎士爵家にはその能力が有った。精強なる地域に根差した傭兵団を抱え持ち、良く『魔の森』を封じる。予想外の危険に対しても、十全にその能力発揮し、王国存亡の危機を人知れず排除もした。
国王陛下と宰相府の心積りでは、北部辺境筆頭騎士爵家を支配領域の大きさと、その任務の重要性から昇爵を検討していたのも事実だ。一足飛びには出来ないだろうが、折に付け功績を喧伝し、一階梯、一階梯と昇位し、最終的には『上級伯』の爵位を与えようと画策していた。
しかし…… それも潰えた。 王太子妃の思惑の元、彼の家には政治的負担を強いた事により、連綿と続いた北部辺境筆頭騎士爵家の家名は一旦、幕を下ろしてしまった。
その兆候を掴んでいた宰相府は、次善の策として受け皿となる『家』を準備した。狡知遠謀と云う他無かった。国王陛下もまた、此れを承認し、なんとか状況は制御下に置かれている。 それが、薄氷の上に立つものだと、この場に居る二人には、痛いほど理解出来ても居た。
「で…… ……どうなのだ?」
「北部辺境伯が思った以上に遣る奴だった。こっちに廻っていたアレからの報告書の類は、一旦、北部辺境伯が取り纏めてからこっちに回す手立てとなったんだが……」
「……が? どうした」
「おうよ…… それが、少々問題となっている。 俺の中でな」
「宰相の内で? どういう事だ?」
「なに、北部辺境伯はモノが見える漢だ。公にして良いか悪いかを考える頭も有る。こっちに来る報告書から、魔法術式の報告がめっきり減ったのもその証拠さ」
「…………王宮魔導院に知られたくはない『モノ』が、発見されたか」
「アイツは王宮魔導院の遣り口を良く知って居る。アイツの兄が、王宮魔導院の変革を模索してはいるが、まだまだ、端緒に着いたばかりじぁ、警戒するのも頷ける。ただなぁ……」
「どれ程の英知がその中に含まれるかが不明なのか」
「門外不出として、北部辺境伯家内に収めている可能性もある。知って居るのは北部辺境伯の手勢とアレの部隊だけだろうな。北部王国軍にも一部しか公開されていない」
「……厄介なことだ」
「今はよい。今後もまぁ、そこまで問題とはならないと思えるな。それだけは断言できる。アレもアレの実家の北部筆頭辺境騎士爵家も、北部辺境伯家もお前に対し…… 王国の藩屏たるを忘れぬ『忠臣』と云える。北辺の『核』となる者達だ。 彼等の忠誠無くして、北辺の安寧は望めない。 多分…… 隠したのも、悪用を避ける為と思われるしな。過ぎたるモノを持つと、それが災厄になる。そう信じているんだ、北部辺境伯と云う漢はな」
「頑固者だからな…… あ奴は。 魔導卿が、持て余したと云うのも頷ける。アレの兄も又、そんな弟に刺激され、王宮魔導院改革に乗り出していると云う。目が見える者の視線は、必然的に北部辺境伯に集中する。アレの存在は自然と韜晦されて行くか…… 考えたな」
「アイツらしいし、そうなる様に努力も出来る奴だ。白羽の矢の意味を完全に理解している。いや、それ以上だ。 ……なぁ、再度、俺が北方へ……」
「許さんよ。宰相が王都から動く事は許さない。少なくとも、王太子の巡幸が終るまでは決してな」
鋭く宰相を睨みつける国王陛下。 その視線には、強く拒否を示す光が灯っている。 まるで、” 状況を考えろ。 貴様が今、何を成しているのか、分かっているのか? ” と、問いかけているかのようでもあった。 いや、それ以上に含まれる、愛情と慈愛と湿った感情の発露たる『情念』が浮かび上がっているのを宰相は見逃さない。
「…………お前さんにも、『親の情』が有るんだな」
「国政は待ったなしの選択の連続。貴様が何を仕掛け、王太子の成長を促しているのは知って居る。だから言うのだ、責任は果たしてもらうと」
「そうかい、まぁ、分からんでもない。王太子に宰相補を付けたのは私だ。その尻拭いくらいはせにゃならんな。わかった、北部に関しては暫く北部辺境伯に任せる。心優しき王妃様が、何処まで雌獅子を抑えて下さるか…… 」
「心優しき? お前…… 何を視ているのだ。 『雌獅子』を従えるは、『雌伏龍』ぞ? 抑えられぬ訳なかろう」
「歴戦の治癒師にして、国王陛下の片腕…… でしたな、あの尊き御方は。 忘れて居ったよ。 そうだ、確かにそうだ。 『王宮での御発言』は、控えられておられるのは、周知の事実。 ……が、為人は…… 『雌伏龍』でしたか。 あの尊き方も、周囲を韜晦されていたか。 流石は、陛下の妻たる者。 ……王太子殿下も、王太子妃殿下も、今後も色々と学びが必要ですな」
「息子も、義娘も…… 善き若人達だ。 能力的には信頼しても良いが、経験と洞察が足りんのも又事実。王国を率いるべく、研鑽を私は望むのだよ。 宰相、頼るべき者は誰かを、示して欲しい」
「成程…… 成程な。判った。外と内に目を配ろう」
「貴様の『その言葉』どれ程心強いか。 担う屋台骨は広がり続け、増々重くなり続ける。……情勢は安定しているとはいえ、それが故に内部で腐る可能性も、反乱の芽も大いにあるのだからな」
「国王陛下に於かれましては、御心に重く黒い『霧のような幕』が、覆い被さっている御様子ですな」
「その一端を貴様が握っているのだ。 責任を果たしてもらうぞ。 我が国の事だけは無いのだ。 国王たる者の責務は重く、『世界』とやらの趨勢が掛かって居るのだ。 少なくとも私はそのつもりだ。
よいか、宰相。 『宰相』は、私が勅任した親補職だ。 ……意味は分かるな」
「陛下…… 我が良き朋よ。 我が命果てるまでとお約束したが?」
「…………頼みに、しているぞ」
「御意に」
王城最深部 漢達の視線の先には、常に王国の……
時が刻まれて行く「この世界」の行く末が……
――― 映し出され続けている ―――
幕間 一話目です。
楽しんで下されば、幸いです。
そして、ついに、3000萬PVに到達! 読者の方々に、万感の思いを添えて感謝申し上げます!
本当に有難うございました!!
中の人 拝