人で在り続けられる理由
「射手長! 時間をくれ」
「ハッ!」
「あの鳥型の魔獣…… 種別と習性などは分かるか?」
「はい。 頭部文様と、胸の文様。 足の色と尾羽の長さから推測して、ファアルコ目、ファルコニディア科、リナウス 相当と思われます。 家族単位で動く肉食系の鳥です。 情に厚く、家族に危害が加えられるとどこまでも付け狙う。そういった質ですので…… 来るでしょう。 ここに。 狩った対象の大きさから言えば、排除したのは雌と子。 雄が来るでしょう。大きさは雌の三割増し。魔物化している場合は霹靂を飛ばします」
「大まかでも良い、奴の脅威度は?」
「かなり高いかと。既に、家族を撃滅している為、怒りに燃えている可能性が大いにあります。猟兵では太刀打ちできません。 掴まれ高く上がり、地面に叩きつけられます。 『隠密』『隠形』を纏い、狙撃点に付き、精密狙撃を具申します。注意事項として、致命部である頭蓋部分は非常に硬く、徹甲弾の使用を申請します」
「宜しい。 射手隊の者達は、なせるか?」
「飛翔型であり、致命部が小さく遠い為、狙撃を成せる人員は限られます。 猟兵隊の方々は隔壁内に。 私と観測長が外に出ます」
断固とした言葉に一瞬戸惑う。心が激しく拒否する。燃える視線を前に、私は怯んでしまった。我が『佳き人』を危険に晒すなど出来はしない。
「……許可できない」
「確実性が一番高い方策ですが?」
「……許可したくない。 隔壁扉内からでは狙点にはならないのか?」
「射界が限られる上に、行動が予測できません。逃せばどこまでも追ってきますし、知恵もつけます。初回の一撃必殺を失敗すれば禍根が残ります。付け狙われる可能性も高く、今後の探索に支障が出る事は間違いありません。かなり執念深い部類にはいりますので、御再考を」
「やらねばならないのか、君が」
「確実に落とすならば」
彼女の覚悟は、現状を熟知した言葉。敵対するであろう鳥型の魔物の弱点を知る者。その上、彼女の手には、その弱点を突く為の兵器すら携えている。現状における最善策を提示しているのだ。私の我儘で、その優勢なる立場を放棄する事は、「探索隊」の指揮官としては有り得ない。嫌がる内心を押さえつけ、彼女に向かい一言だけを紡ぎ出す。
「……済まない」
「私の役目でもあります。お気遣い無用に」
「観測長、頼めるか?」
「指揮官の『佳き人』を無駄に危険に晒すわけは無いでしょう。全力をもって観測いたしますよ」
「分かった。避けられぬのならば、一撃をもって刈り取れ」
「「了解」」
他の射手は最終隔壁内に撤収する。不安感は拭いようも無いが、信頼はしている。ただ、彼女を危険な場所に残している事が、私の心に重圧となって迫るのだ。壁際の射点に伏射姿勢をとる射手長。低い姿勢でその傍に佇む観測長。少しだけ開いている隔壁扉の間から覗くと『隠形』と『隠密』を纏った彼等が【探査】により見えた。囂々と水の流れる音以外には、ほぼ何も聞こえない。隔壁外側の気配は、彼等の技巧により消失しているため、まるで無人の様相を呈していた。
と、其処に甲高い鳴き声が一つ。
鳥型の魔獣… いや魔物となっている物がやってきた。心積もりよりもはるかに巨大な体躯と、営巣していた場所の真上で、バサバサと羽ばたくリナウス直下は、羽ばたきにより強い風が巻き起こされていた。これでは銃弾も真直ぐには飛ばない。直ぐには狙撃できないようだった。奴は混乱の中に居た。そして直ぐに何かを理解し、怒りに身を焼き始めた。
パートナーと子供達の姿が見えず、更に濃く血の香りがするのだ。たとえ魔鳥であっても、そこで何が行われたかは理解できるはず。いや、本能的に敵性の生物が自分の家族を虐殺したことを理解したのだろう。双眸が真っ赤に染まり、哀惜の悲鳴ともとれる咆哮を上げる魔鳥リナウス。その巨体からは絶えず霹靂が発せられ、怒髪天を衝く勢いでもあった。
……私がもし、魔鳥リナウスの立場であれば、きっと同様になったと思う。
「佳き人」と子供たちが何者かにより惨殺され、その痕跡のみが邸に残っていたら…… 気が狂わんばかりになるであろうことは、想像に難くない。『魔の森』の中では、我々の方が異物で野蛮な生き物といえるのだ。立場を変えるならばそうなるのだ。
罪深く度し難いのは我々の方なのだ。
しかし、我らは征かねばならない。哀れと思うなかれ。同等の命の遣り取りなのだ。弱肉強食が支配する殺伐とした世界なのだ。喉元に込み上げるのは、得体のしれない気持ち悪さ。それは、弱肉強食の理の中に、一番危険な場所に、我が「佳き人」を残さねばならなかったこと。その一点に尽きるのだ。
魔鳥リナウスは、周囲に惨劇を齎せた者を探す。鋭い視線を巡らす。小さな間隙が隔壁の中央に見えたのだろう。真直ぐにこちらに視線を向けた。解体は既にかなり進んでいる。強い血臭がその間隙より漏れ出していた。これは私のミスだ。射手隊の皆を収容した後、閉めねばならなかったのだ。だが、私はそれを怠った。
「佳き人」の安否と安全を確かめたかったという心情の故に。
探るような視線を隔壁の間隙に向けた魔鳥リナウスは、その血臭が誰の物かを正確に理解した。故にソレは最大の攻撃を、隔壁の間隙に向かって放つ。
…………【雷槍】。
一瞬の遅滞も許されない。習い覚えた第一階層防御魔法、【結界】を無詠唱にて紡ぎだす。完全な形での発動ではない。 咄嗟術式でだ。 どれほどの効果が有るかもわからない。だが何もしないよりはましである事だけは確かだった。青白い『雷の槍』が、幾本も幾本も間隙に隙間なく押し込まれたような感覚。パリパリと【結界】が削られ強度が落ちていく。そう長い間耐えられそうにない。
「総員退避、奥の隔壁まで駆け足。 死ぬ気で走れッ 長くは持たんッ!」
駆け出す靴音が、隧道の壁に反響する。 私は逃げ出せなかった。退けば、彼らに直撃する可能性すらあるのだ。退けるわけは無い。ただ、ひたすらに耐久するのみ。間隙から魔鳥リナウスの姿が大きく見えた。自身の攻撃を防ぐ何者かが居ることが理解できたらしい。間隙に鋭い嘴を突き込み広げ侵入しようと試みる。巨大な頭の半分ほどが私の前に姿を現した。重い扉を抉じ開けるように、頭をねじ込んできたのだ。だから、どうだというのだ。
成すべきは一つ。
ひたすらに耐久するのみ。【結界】の下にさらに【結界】を咄嗟術式で重複構築する。それを何度も繰り返さざるを得ない状況が眼前に有るのだ。強く仲間たちを守りたいと思う。思いの強さはだれにも負けぬ自負もある。故に…… 我が矜持に掛けて、退くわけにはいかなかった。霹靂が何もかもを灼熱に焼いて居たといえる数瞬。私と魔鳥リナウスの命の遣り取りが、『強い魂の輝き』を私は知覚した。魂の咆哮ともいえる絶叫が、私の魂を揺さぶる。そして……
――― 我慢比べは唐突に終わった。
霹靂の轟音にまぎれ、微かに聞こえた溜息の様な音。 憎悪を漲らせた双眸を持つ魔鳥リナウスの頭部が、何の前触れもなく爆散した。 全てを悟る。 そうか、精密狙撃が成功したか。 頭部を爆砕された魔鳥リナウスは、魔法制御が出来なくなると共に、魂が暗い闇に解け消え去った結果、体内の保有魔力が流れを失う。
魔法術式を支える魔力が供給されることが無くなり、魔鳥リナウスが発動していた【雷槍】は昇華する。焼け焦げた隔壁扉を残しながら。抉じ開けられた間隙は、最初に開いたおよそ…… 三倍ほどになっているが、それでも魔鳥リナウスの体は侵入できなかった。それだけの巨躯を誇っていたということになる。よく一撃で頭部を爆砕できたものだ……
全身に雷撃を喰らった私は、膝が震え立っているのもやっとなのだが、それでも崩れ落ちることは無い。退避していた兵が、私の周囲に駆け足で集まってくる。一番に近寄ってきたのは衛生兵。私の装備がうっすらと煙が上がっているのを見て、息をのんでいる。まだ、声は出せない私は視線だけを周囲に巡らす。命の遣り取りを成し、勝敗の天秤が私に勝者の栄誉を与えてくれたが、均衡は危うい所でもあった。そう、危うかった。
――― 薄く長く息を吐く。
肺の内側も焼かれているかもしれない。霹靂に体を覆われてしまって、実は黒焦げになっているのかもしれない。しかし、私はまだ生きている。そして、意識もしっかりとしている。ただし、体内保留魔力は危険なほど減少していた。隔壁扉の間隙から「佳き人」の影が飛び込んでくるのが見えた。あぁ、帰ってきてくれた。私の下へ還って来てくれた。
眼に映る光景に、良かったと、心より安堵する。 彼女が走って私の下に向かってきていたのだ。つまり、彼女は傷を負っていない。負傷して居ないのだ。それだけが気掛かりで、私は自身の痛みすら感じていなかったのかも知れない。
彼女の後ろを観測兵が固めている。魔鳥リナウスが確実に死んでいると、まだ確証はないのだから。泣き出しそうな表情を浮かべ、走りこんできた私の『佳き人』は、煙を纏う私を抱きしめてきた。薄く煙を纏う私の身体に触れ、生きている事を確認しているのだろう。 声ならぬ声で、彼女は言葉を絞り出した。
「……無茶しすぎですッ。……死んでしまいますッ!!」
「済まない。……私の過誤により、皆を危険に晒した。皆の退避時間を稼ぐには、こうするしかなかった。 まだ、痺れ、感覚が余りないのだが………… 私は、ちゃんと『人の形』をしているか?」
「貴方は人ですッ! 人であります。私の大切な人でありますッ!!」




