安地を求める心
「皆、ご苦労だった。 本日の行軍はここまでとする。 野営準備に入れ。 この隔壁の先は破断部となる。 何が潜んでいるかはわからない。 外部と接触している事から、空間魔力濃度も格段に高くなる。比較的安全と思われる場所に、後背地を定めたく思う。 各隔壁は、私たちが抜けた後に閉じている。 よって、背後から襲撃される可能性は低いと思われる」
皆は、一様に頷く。 やれと言われれば、『魔の森』の中でも気にする事も無く『野営』を実施する猛者達ではあるが、好んで危険を冒す慮外者では無い。安全が確保される場所が有るのならば、それに越したことは無いのだ。
私が『探索隊』を指揮している限り、探索隊所属の皆は私の配下だと『隧道』に認められているらしい。 よって、この場に休息場所を設けても、隧道から攻撃される可能性は低いと思われる。引き続き、周辺への索敵は実施しているが背後の隧道には、それらしき影も気配も無い。
前方、最終隔壁向こうの破断部の片隅に、大小の輝点が観測されている。 それが何か同定はまだ出来ていないが、『敵性』の魔力を纏う生き物である可能性は高い。 いたずらに突っ込んでいけば、隔壁の向こう側が死地となりかねない。 十分に安地を広げ、足元を固めてから侵入せねば、何が起こるか分らない。まして、兵達を危険に晒す事は本意ではない。
「野営大休止を命じる。 準備を成せ。 手隙の者は、装備装具の再点検を実施。 現状の周辺状況から、歩哨は通常より少なめで良いと判断する。 炊事係は温食の準備を始めよ」
準備は万端にして万全でなくてはならない。 少なくとも敵性反応の有る場所に無策で飛び込むのは、探索隊としては有り得ない判断と云える。一旦、腰を落ち着け、装備装具の点検をし、十全に対処できる事が分かるまでは進む事は出来ないのだと、そう判断した。
食事と野営の準備をしている皆の間を歩き、疲れている者や怪我をしている者が居ないかを確認しつつ、隔壁向こうの敵性生物をどう対処するかを考える。 幸いにして、隔壁は、各隔壁毎に私の魔力を以て、隔壁扉の開閉を要請しなくてはならない仕様だったらしく、都度金属板に魔力を注いでいた。
――― そして、考える。
隔壁扉の開閉動作は、自動的に行われる。 途中で止まる事は、今まで潜り抜けた隔壁では一度も無かった。つまり、開扉動作がどのような経緯を経て動作しているのかを知れば、半手動での開扉動作を行えるのではないかと。
全開と全閉の間で、『少しだけ開いた状態で止められるのでは』と、考えたのだ。
開扉動作は、私の練った魔力を起動魔法陣に投入して『発動』させて起こる、所謂魔道具の動作の一種。ならば、魔導術式が何処かに仕込まれていて、それがこの巨大な扉を自動的に開閉していると考えれる。つまりは、その魔導術式を改変してしまえば、閂固定機構を外し、少しだけ開くと云う事も可能だと思う。
ならば、解析をしなくてはならない。 扉前にて野営準備をしている兵達を後ろに、隔壁扉の制御板とも云える金属板の前に立ち、錬金術式を用いた解析術式を展開する。 何の変哲も無い金属板では有るが、その向こう側に機密状態となっている場所が感知できた。
重層暗号書式の魔導術式一式が有る事もまた、感知した。 下手に触ると、崩壊してしまう可能性もある。 ならば、同じく錬金術式を用い、機密状態の魔導術式を丸ごと複写して、手持ちの魔石の中に複製した。
――― 今は、此れで良い。
皆の間に還り、工兵と猟兵が張った簡易天幕の中に持ち込み、切り離されている状態の魔導術式を確認する。 複製の複製を造り、それが作業の元となるのだが、かなり複雑な重層暗号が掛けられていた。
暗号を解く鍵は、錬金塔での研鑽の結果手に入れた、複数の暗号解読術式だった。 王城の中でも、とりわけ重要な施設の開錠に用いられている暗号等が壊れると云う、不測の事態にそなえ汎用性の暗号解読術式は準備されている。 閲覧自体を禁じられている術式では有るが、朋がなにやら開発する時に、何処かから持ち出してきて一緒に解析した事が有ったのだ。
悪用はする筈も無い。 『研究の為』と本気で思っている朋を前に、その意思を推し留める事は出来なかった上、自分も挙って解析したのは、若気の至りだと思わなくも無い。 が、その暴挙がこの場で役立ったのだ。 何が幸運につながるか、分かったモノでは無いな。 最悪、隔壁扉を壊してしまえば良いが、それでは今後の安全確保に問題が出るのは明らかだ。
温食の準備が終わるまでの時間。 重層暗号の解読に挑戦した。 暗号解読術式は、高度な錬金魔法ではあるが、朋はそれを体系的に手順化したのだ。ある程度、手順化した解読術式を使用し、機密術式を分解解読。 一端を掴めば、後の解読は一気に進む。古代魔導術式と雖も、魔導術式には変わりはない。 考え方の問題なのだ。 私には前世の記憶が有る。 それが大きなアドバンテージに成っている。 つまり、常に別視点の考察が頭に有るのだ。 謂わば、常識が二重に同時に存在すると云う事なのだ。
故に、新しい視点や考え方に対し、柔軟に対応出来ると云えた。 方法論は幾らでも受け入れる。 魔導を志す者ならば、常識を疑えと云う思考は、当たり前に有るのだが、それすら自身の社会に立脚する常識の範囲内に収まってしまうのが問題だ。 本物の『天才』とは、その自身の社会に立脚する常識すら無視してしまえる者の事を云う。
――― つまりは、『朋』なのだ。
この重層暗号を朋に見せたら、それこそ嬉々として没頭するのは目に見えるようだ。 うんそうだ、これは土産にしよう。 いや、報告の一端か? これもまた、失われし技術の一端なのだから、朋にとっては秘匿すべき情報と成るのだろう。
思考の半分を、朋の反応を予測しながら、手と思考の半分は重層暗号の解読を続けていた。 そして、手掛かりは見つかる。 重装複合された部分を分解し、単一の暗号術式に分解する事が出来た。 その際に古代魔導術式の切り口と、結び目が判明し、それが手掛かりとなったのだ。取り付ける場所が有るのならば、解き解く手順は既に手の中にある。 後は、暗号化された全体に対し、解読術式を掛けると……
一連の塊となった平文の古代魔導術式が一気に広がる。 空間に私の練った魔力で紡ぎ出される、開扉の魔導術式。 様々な制限術式が絡み合った、乱麻のような術式が浮かび上がる。 コレは…… 理解するだけで時間が掛かりそうだ。 複数の重層式から分離した単式を全て解読し、私の周辺に浮かべる。 成程…… これだけの術式を固定化し、更に自己修復術式迄組み込むなど、現在の王宮魔導院では無理だなと、感想が漏れ出す。 個々で研鑽しても、知識と知恵の偏りが理解を拒むのだ。 幸いにして、私は朋と共に研鑽に努めた。 よって、自身の足りぬ処も理解しているのだ。
「食事の準備が出来ました。 こちらに…… は、無理ですね」
「あぁ、君か。 そうだな、此処では少々障りが在るな。 皆と共に喰おうか」
「それが、宜しいかと」
「君も一緒にな」
「……はい」
今宵の温食は芋、豆、腸詰肉を一緒に煮込んだ麦雑炊。大鍋に食材を入れ、魔導コンロで煮込んだ物。樽で持ち込んだスープに、均一の大きさに切り冷却符呪した保管箱に収納した野菜と腸詰肉を入れて煮込んだ物だった。
味は濃いが、疲れた身体には滋味豊かで温かく、そして吸収も良い。 ずっと、戦闘糧食では士気が上がらない。うまそうな香りに腹が鳴る。行軍糧食としては一級だ。 兵と同じものを喰らうのが、騎士爵流儀なのだから、皆と同じ釜の飯を食う事に歓びすら感じる。
敢えて、別に仕立てる面倒も無い。 王都の貴種貴顕出身の将官たちは、戦場に迄シェフや厨房士を連れて行くと聞く。 馬鹿な事をするものだ。 それは絶対に誰かの恨みを買うぞ? 持たざる者、持っていても手にする事が出来なかった者。手にしたモノが、比べようも無く貧相な場合も…… 人の嫉妬は重く湿って手に負えない負の感情に直結する。好んで顰蹙を買う様な真似をする方が悪いのだ。
――― 古今東西、喰い物の恨みは恐ろしいのが常道だ。




