所謂、” 嫌な予感 ”
中層の森に入っても、流量の増えた川のおかげか、空間魔力密度は上がっていない。 周囲に走らせる、探査の視線は、赤く染まることもなく詳細に森に潜む魔物魔獣の痕跡を追うことが出来た。 行く道の空間魔力量が薄い為か、中層域に生息する魔物魔獣は、小道近くには近寄っては居ない。 考察と研究から導き出された推論が、事実として目の当たりにすることは、今後の『魔の森』への作戦に大きく寄与すると思われた。
辿る道の脅威度は高くない。 道行きの速度は、想定以上にはかどるというもの。 前回では、ほぼ一日掛かっていた行程が、半日になった。
道の整備、水量の増えた川筋、人が曳ける荷車の準備。
なにも特別な事ではないが、それが故に手を抜きがちになる事柄ばかり。 不断の努力がこれほどの効果を発揮するのだ。 きちんと評価せねばならない。『影の立役者』、『縁の下の力持ち』… そんな言葉が脳裏に浮かぶ。 日の目を見ることが少ない者達の、真摯で倦まず弛まぬ努力を正当に評価せねば、我ら探索部隊の土台は崩れる。ならば、私の成すことは一つだ。 探索部隊の探索結果報告の際には、正当に確実に報告する事なのだ。
隧道の入り口に立つ。
日はまだ高く、輜重物品にも欠落は無い。 全てが予定していた通り。 隧道の入り口前の光景は、前回ここに立った時とは大きく様変わりしている。 隧道出口付近の緑に淀んだ池は、滔々と隧道から流れ出す水により押し出され、淀みは無くなって、清浄なる水が川筋に向かい流れ込んでいた。 空間魔力も周囲と比べ薄いのか、木々や草花の生育が周辺地域に比べ、著しく遅い。 つまりは、前回焼き払ったままということなのだ。
隧道から向こう側の川筋は、既に木々や草花が繁茂し、帝国軍が辿った道は森に埋もれていた。 空間魔力が、木々や草花の生育にも強く影響する証左でもある。 ただ、それは「魔の森」に適した木々ではあるのだが……
意識を隧道入り口に戻す。 先般、私が練った魔力により登録したことにより、閉鎖封印されている場所の開閉が出来るようになっているらしい。 輜重長が私の隣に滑る様に近寄り、そっと言葉を発する。
「指揮官殿の登録は生きておりますが故、開閉装置の金属板に内包魔力を注いでいただければ、入り口は開くと思われます。 要は、『鍵』ですな」
「生身の『鍵』か。 扉を動かすための魔力は…… そうか、本管下部に並ぶ魔道具から供給されるか」
「少なくとも、家書にはそう記述されておりました」
「そうか。 ならば、実地で確認すべきだな」
「御意に」
輜重長の言葉に従い、彼が開閉装置の操作盤だという金属板に手を乗せ、練った内包魔力を注ぎ込んだ。 ある程度注ぎ込んだ時、金属板から押し返されるような感覚があり、充足したことを知った。 ふむ、これで起動魔法術式に魔力が満たされ、発動準備が整ったわけか。 なるほど、これは錬金塔で受けた魔法術式となんら変わりは無いな。 発動を命じる。
鈍く低い音が響き、アーチ状の巨大な隔壁ともいえる場所の中央が、いったん落ち窪み、左右に分かれ開かれていった。 その向こうは真っ暗だった場所。 前回の探索行の帰還の際にも、まだ薄暗かった場所であったはず。 それがどうだ、天井部分から明るい白色の魔法灯火の光が降り注ぎ、全てがはっきりと見て取れるのだ。
「下部の魔道具が、水に溶け込んでいた魔力を漉し取り貯めこんだ魔力が、各所の保全維持用の魔道具に魔力を供給していると?」
「そのようです。 家書には個々の動作は記述されておりましたが……」
「そうか。 これほどとは思わなかったか」
「はい」
「よし、警戒を厳とし、進む。 皆、心せよ」
「「「了解」」」
降り注ぐ、明るい光の中、保守点検用の隧道を進む。 1クーロンヤルド毎にある隔壁らしきものも、遠めに見えていた。 清潔で清浄な空気。 空間魔力量も少なく、特殊装備無しでも進むことが出来そうだった。 なにより、塵一つ落ちていない、埃すら溜まっていない床面に驚きを隠せない。まるで、誰かが日々清掃を欠かさずにしているようにも思える。
前回の探索行の時は、かなり埃っぽかった上に、空間魔力量も入り口と変わらず濃密だった。その様相が全く違うのだ。 驚きもする。 さらに言えば、索敵用の魔道具に、一切の紅い輝点が映りこまない事。 魔物魔獣はおろか、生き物がいる気配すらないのだ。 それでいて、空気が淀んでいるような感じは受けない。
何もかもが規格外だと、そう思えるのだ。 横を歩く射手長も、普段とは違い面体を上げたり降ろしたり…… 魔道具の稼働に不安があるのか、自身の裸眼により周囲を確認していた。 異様な静けさと、魔物魔獣の気配の無さに、彼女は自身の目で確かめたかったのだろう。狩人としての本能からか、彼女は裸眼で見詰める事を好む傾向に有るのだ。
「周囲の状況はどうか」
「異常が無いのが異常かと。 あまりにも静かすぎる上に、索敵に一切掛かりません。 小型の魔獣すら、観測できないなど『魔の森』浅層域でも、ありえないのです」
「そうか…… それも、また、この隧道自体が巨大な魔道具という事の証左か。 輜重長、この清潔な空間を成さしめたのは、隧道自体が成していると思うか。 また、私が承認されたという言葉から、私がいなければ「探索隊」の皆は隧道から異物として認識されると思うか」
「……分かりません。ですが、そのお考え、大きく違わないだろうと思います。先程、指揮官殿が仰られた通り、この隧道自体が巨大な魔道具であるという考察。 そう考えるならば、この場の静謐は、まぎれもなくこの隧道が成したと言えましょう。 また、その根源たる力は、隧道最下段に連なる魔道具による魔力の回収。水に溶け込む魔力を回収する事により、隧道内部の空間魔力量が減り続け、騎士爵家本邸がある街とさほど変わらぬ空間魔力量に減衰していると考えられます」
「薄い空間魔力により、魔物魔獣も近寄らず、来たらず……か。 ならば、この静謐も当然といえような。 それにだ、各隔壁が外界との接触を拒んでもいるのだ。 当然そうなるか。 それで、私がいない場合の状況だが?」
「お言葉通りに御座いましょう。 指揮官殿がおられるがゆえに、一隊の人員は保守点検に必要なモノであると、この隧道の古代魔導術式が判断していると思われます」
「散兵線を引かず、集団での行動をとらねば、異物として排除されかねないと?」
「確定してはおりませんが、そのようです」
「異物として判断されれば、何が起こると思う?」
「異物除去のために、何らかの罠や敵対物が出現する可能性も否定できません」
「そうか。 ならば、集団を密とし、行軍するしかあるまいな」
「現状の観察から適切な行動と思われます」
「皆、間隔を狭め行軍様式で進行する。 よいか」
「御意に」
明るく静謐な上に清浄なる空間になった隧道を真直ぐに辿る。 壁際にはつかない。 何かが突然飛び出す可能性が捨てきれないのだ。 中央の高い天井の真下を、閲兵式のように行軍していく。 堂々と、無人の野を征くが如く。探索とは言えない行軍で、幾枚もの隔壁を抜ける。 輜重隊が運ぶ人力の荷車も、何の支障もなく同じ速度で行動している。
――― 我々にとっては、有難いのだがな。
考えてみれば、かなり不自然であるともいえる。本来この場所は『魔の森』中層域なのだ。この隧道を発見する前、あの断崖までの道程は平時の行軍速度の三割しか出なかった。それが、どうだ、これ程の速度で『探索隊』全員が一団となって、何の危険も感じずに動けるのだ。常識が散歩に行って、迷子に成りそうだった。
軍事作戦というのは、輜重との戦いでもあるが、この探索行に於いてその問題が消えて無くなった。 物資は探索行の予定期日に必要数を全て同道させている。 重量も容積も相当にあるが、荷車と「剛力」の『技巧』を持つ輜重兵が、軽々と運んでいる。 歩兵の強歩に匹敵する速度での移動は、まさに驚異的ですらある。
――― 予定は予想外にも大幅に前倒しされ、我らは最終隔壁の前に辿り着いた。
最終隔壁を前に進軍を止める。 まだ、十分に行動できる時間帯では有った。 しかし、私の内の何かがそれを押しとどめた。いわゆる『勘』と云うモノだった。 調子に乗って先に進まば、予想外の出来事が我等の前に立ちふさがり、その障害を撥ね退ける前に、大切な人員が失われる可能性も有るのだ。
もうここは、既に危険領域なのだ。
よって、私は隔壁扉前で、皆に集合を掛けた。




