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幕間 王国の闇の右手(3)

 

 王城から帰邸する。


 叱責とも云える、強い意志(王気)を真っ向から受け、身も心も擦り切れたと思う程、疲弊していた。 お父様に王妃陛下の御存念を御話すると、酷く蒼い顔をされた後、王宮へと出向かれた。 きっと、国王陛下に御執成しを、お願いされるのね…… 我が侯爵家始まって以来の、大失態と…… 可愛がってくださったが故に、私には何も仰らなかった。 『罰』は、私だけでは無く、侯爵家が受けると…… そう、奏上されるのだろう…… 私を護るために……


 情けない…… お父様、こんな不出来な娘で、ごめんなさい。


 すこし…… 夢を見ていたのかも知れない。 わたくしだって…… 我が侯爵家の役割を全うする他に、もう一つの役割が有るのですもの。 次代を産み育てる事。 御相手が誰でも良い訳は無いの。 有能なのは勿論の事、私が生まれ育ったこの侯爵家を護って下さる方…… は、無理にしても、次期当主である私の言動を邪魔しない程度には、状況を読み考察できる方。


 難しい立場の我が侯爵家は、常に王家に忠誠を尽くさねばならない事。


 その様な殿方がこの世に存在するとは、思っていなかった。 でも、彼の方…… 北方辺境筆頭騎士爵家 御三男のあの方は…… 調べれば調べる程、実に我が侯爵家に相応しい人物であった事が、今にして理解できたのよ。 


 強く何かを思っておられるのは、何となく理解できた。 その行動も、勉学への取り組みも、貴族社会の慣習に沿う事も、その信念というか、第一義に心に据えておられる事を実現する為に、精進されておられた過程だったと…… 理解出来た。


 有能な方であったと。 もし、もっとうまくやれば…… もし、心を近しく出来るような状況だったのならば…… もし、私の狭量な矜持が邪魔をしなかったら…… 事態は良き方向に進んでいたのかも知れない。


 宰相府からの通達は、その日のうちに我が侯爵家にも届いた。


『彼の者に対する干渉は、これを厳に禁ずる。 北部王領に対する、監視任務は別担にて遂行中であるが為、暗部棟梁侯爵家はその連枝門下の最後の一人に及ぶまで、彼の者に対する諜報活動を禁ずる』


 完全に影響力を排除する為の命令。 王妃陛下から強く説諭された、『宰相府の言葉』は『陛下の意思』と同じという宣下。 つまり、あの方は…… 逢う事も無く、鉄のカーテンの向こう側に立ち去られたと云う事。 二度と再び、我が侯爵家一門の者があの人に接触する機会が永遠に失われたと云う事。


 そして、私の夫となる人は…… また、白紙に戻ったと云う事。 それに、宰相府からの通達に、北部辺境筆頭騎士爵家と云う文字は無い。 推察するに、仮婚約の事実も又、宰相府は掴んでいると。 そして、彼の方の御実家である北部辺境筆頭騎士爵家は、その仮婚約の約定を抹殺する為に(つい)えるのだと…… 言外に言われたと。 商いを家業とする筆頭騎士爵家は、商道を信奉するが故、契約に対し真摯で絶対だもの。 強要に近い契約であったとしても、遵守せねばならないと、そう在るべきなのだと。 自ら契約を反故にする事は、彼の地に於いての筆頭騎士爵家の矜持を投げ捨てるも同義だと……


 あの時の騎士爵家当主の妻女が、冷たく私を見詰めていたのは…… そう云う意味だったのね。 こちらの善意からくる、全ての条件が、あの方々にとっては、高位貴族からの強要と要らぬ縛りを設けている事に他ならなかった。 あの方達にとって、我が侯爵家は疫病神にも等しいと云う事。 そして、連綿と続いた騎士爵家を潰えさせる原因ともなった


 ――― 許される筈も、無い。


 願わくば、彼の家の御継嗣殿が、新たに叙爵された北部辺境伯様と友誼を結び、騎士爵位を与えられん事を。 さすれば、彼の地から重要な筆頭騎士爵家は…… 失われる事は無い。


 一連の騒動に関して、『特大の衝撃』とも云える事が引き起こされたのは、後日。 自身の失意と、有能なる配下、精鋭達の大量喪失と云う、今までにない危地に陥っている我が侯爵家に一人の人物が来訪した事による出来事。



 ―――――



「お嬢様、『草』が末裔が北部状況のご報告に参じております。 如何いたしましょうか?」


「背後に蠢く者は?」


「連枝一門からの蠢動では無いと思われます。 御当主様の通達を遵守するのは、亡き奥様が件以来、徹底しておりますが故に」


「そう…… 目と耳と手は?」


「御当主様が配下の者が付いております」


「おかし気な振る舞いは?」


「多少…… 王都風では無いと。 然るべき戎衣(軍装)を纏っておられます」


戎衣(軍装)? と、云うと?」


「北部国軍の高級将官の戎衣かと」


「…………いいわ、逢いましょう。 応接室に結界を敷き、御通しして」


「御意に」



 引き入れられた、北部からの使者。 見た目は本当に田舎者。 軍の高官とも云える、戎衣を纏ってはいても、其処に威厳などは皆無。 只ひたすらに、場違いとも云える雰囲気を醸していたの。 でも、それを覆す、眼光は私の知る者には存在しないモノ。 何が云いたいのか、私の入室と共に、拳を胸に当てる軍の敬礼を崩しもせず、真っ直ぐに此方を見ていた。



「それで、どのような報告ですか?」


「『報告』…… ですか。 そちらにとっては些細な事ですよ。 指揮官殿に対して、要らぬ詮索を成した為、彼の方は貴女方から手の届かぬ場所へと向かわれる。 たとえ、北部国軍に何らかの伝手が有ったとしても、そんなモノは直ぐに発見され、排除対象となる。 本当に、無駄な事をなされたものだ」


「何ですって!」


「不可侵の者に手を出された。 それが故の窮地かと。 まぁ、雑草である私にとっても、傍迷惑な事でしたしね」


「な、何を……」


「わかり切った事でしょう。 先祖が縁もゆかりも無い北部辺境へと、残置諜報員として捨て置かれた『草』だった。 下命された、『使命』を後生大事に守り続けた結果、私は彼の方の元を離れねばならなくなった。 民を愛し、故郷を愛する人なんですよ。 それが故に、民草にとっては偉大な守護者なのです。 その方の下で額に汗する事は、至上の喜びでした。 それが、繋ぎが来た結果、全てが無に帰した。 あの厳しい土地で連綿と『命』を繋ぎ『使命』を繋いだ我が家では、『草』としての役割が第一義。 今になって、なぜ、雑草に繋ぎを付けられたかッ! 傍迷惑な事、この上ない。 これで、私の還る場所は失われた。 二度と、あの方の前に伺候する事は出来ない。 (いにしえ)の、黴が生え、喰いようも無い黒パンの様な使命の為に、極上の晩餐を捨てねばならない『雑草』の気持ちなど、王都の姫君には理解しようも御座いませんからなッ!  此方を人とは思わぬ方に、忠義を捧げねばならぬのだ、言いたい事くらい言わせろ。 このクソの様な人生の最後に…… 最後に、夜空に広がる『火華』を見れた事は、幸運だったと、思うしかない」


「ぶ、無礼なっ!」


「本音を言った迄。 捨て置いた『雑草』に文句を言われる事など、想定しなかった? 甘いですね。 その怒りを以て、私を永久に送りますか? それも良いでしょう。 これで、『我が家』の『使命』は終わるのですから。 さて、その前に、永遠の暗黒に堕ちるその前に…… 昏き道行の共ずれ達の準備でもするか」


 その男の双眸に紅き光が灯る。 さっきまで、茫洋とした風貌を纏っていた筈が、今は身の毛もよだつ、怪し気な殺気を纏っているわ。 何、何が始まると云うの?


「この部屋に五名、廊下に三名、屋根裏に二名…… 邸内に一個中隊規模の人員。 家中の小間使いまでも、【隠形】を纏われますか…… にしては、甘い。 甘すぎる。 浅層域、入口の魔兎(ホーンドラビット)にすら、見破られるような【隠形】では、北辺では持って一週間。 まぁ、そんなモノでしょうね。 さて、血の雨を降らせましょうか……」


「ま、待ちなさいッ」



 此方の意図を、正確には侮っていた言葉の数々を、その男は理解していた。 それを見事に指摘さえしていたのよ。 何より、その男の背後に気配を消し、無礼者を討ち果たすべく近寄っていた執事長の首元に、男が逆手に持った衛剣が添えられている。 私には全く関知し得ない素早さで…… 


 ――― 私の言葉一つで、執事長の命は失われる……



「私はね、遊撃部隊の頃から、副官殿に付いて周囲を観測していた、索敵兵でもあるんですよ。 魔道具なくとも、それなりの距離は探知できます。 害意に付いては、それはもう敏感に。 それに、生家の成り立ちから『殺人』には躊躇(ちゅちょ)など、ないんですよ。 それだけの教育は、あの馬鹿親父から仕込まれて居てね…… 護衛任務ならば『お手の物』です。 ……相手が魔物魔獣でなくてもね。 舐め切った口は、生来の物。 気に入らねば、ヤればいい。 ただし、この邸の者達全てを道連れに逝きますがね」



 淡々と言葉を口にするその男。 緊迫した場に遣って来たのは、お父様だった。 何時もの如く、音も無くお部屋に入られると、此方を一瞥してから頭を振り、力無くソファに座る。 そして、男を見て小さく言葉を紡ぐ。



「離してやってくれ。 お前から見て未熟な老人でも、この侯爵家にとっては『代わりの居ない執事長』なのだ。 さぁ、此方に来て座って話をしよう。 ……代々の務め、ご苦労だった」


「……まだ、話の分かる方で良かった」


「これでも、数百の暗部の男達を束ねる者だ。 『草』への感謝は歴代当主の心得。 ……お前、死ぬ気だったのか?」


「最後の務めとなりますので…… 既に帰る場所は失いました。 暇乞いの書状も置いてまいりましたので」


「……職位は?」


「北部国軍、参謀本部 戦務参謀付き心得。 ……いなくても、いい漢です」


「あちらでは、そうは思わんだろうな。 追って、宰相府辺りに出向命令書なりが届けられるであろうな、そんな気がする。 暗部の長の『勘』は、よく当たるのだ」


「なっ!」


「北部国軍 総司令次席は、そう云う方だと宰相府で耳にした。 予想もされていたよ…… 『その身を害する事無かれ。 有能なる男は、然るべき地位に居なくては、その権能を振る事叶わじ……』 だそうだ。 



 執事長の首から衛剣が下りる。 剣を鞘に納め此方に歩み寄り、お父様の申し出の通りソファに座られた。 見れば、剣呑な表情を浮かべられている。 お父様の言葉に疑問が有る様なの。 お父様はもう一度小さく溜息を落とされた後、続けられる。



「北部の過酷な環境の元、北部国軍 参謀本部の参謀たる者が無能な訳はない。 人材が払底しているとはいえ、中枢の席は、それなりに優秀な者にしか与えられない。 いなければ空席にすればよいだけの事。 陛下の懐刀たる、北軍総司令官閣下が見出された…… 貴様の優秀さの担保となる。 それ程のモノが、生家の使命を忘れなかった…… そして、出奔した後、最後の務めを果たす為に王都に来た。 最後の務め果たし終えた後、生き恥を晒すつもりはさらさらなかった。 貴様自身が保持する『大切な情感』を自身で家名の為に『裏切った』事実は、ずっと心の中に残り続ける。 分かっているさ。 雑草と侮られ、蔑まれたならば、その者達に報いを受けさせようとした事もな。 その過程に於いて逝くもよし、よしんば想定よりもこちら側が弱ければ、自害して果てるも良し…… か。 貴様、その捨てたる命、今一度…… 役立ててみないか? あの方は、貴様の命を惜しまれよう。 貴様に対し、何らかの命令書が発出もされよう。 その時、貴様が儚くなっていれば、その慈愛は無に帰す。 ならば、暫し待て。 私としては、北部からの帰還者を捨て置くつもりも無い。 一つ、頼まれて呉れぬか?」


「……侯爵閣下に置かれましては、如何な算段を建てられたか?」


「……私では無い。 王妃陛下よりの『勅命』でもある。 そして、あの方の代わりに、貴様にその任に就いて貰いたい。 王太子殿下が幕閣は、いまだ揃わず。 ……北部での知見、活かして国王陛下の藩屏たるを示して欲しいと思う。 そして、それが…… あの方の望みでも有るだろうからな」


「暫く、考えさせていただきたい」


「時間はある。 北部からの命令書が届くであろうから、それまで、じっくりと考えて欲しい。 暫くは客間に逗留してくれ。 その為の用意は整えた。 邸のモノにも通達を出す。 執事長良いな」


「ぎょ、御意に」



 憂い顔のまま男は簡潔に言葉を紡ぐ。 先程迄の殺気はその身に収め、ひたすらに深く考察を巡らしている。 怒りと悲しみを理性で押さえつけるその様に…… ……すこし、好ましいと感じてしまった。 漢は小さく呟く様に言葉を紡いだ。



「承知した」



 男は、憂いに表情を曇らせてもいる。ただ、ただ、困惑を表情に浮かべていたわ。 殺気は収束し、しかし、とても硬い気配を発しつつ執事長を先導に、部屋を退出された。 田舎臭く、野暮ったいと思っていた、その男の背中は…… 強者の威風を漂わせても居た。


 あの男の激昂を抑える為に発せられた、お父様の御言葉の数々。お父様の狸振りは、久しく見なかったわ。 お父様が私を見詰める。 その視線に哀愁が宿っているのが分かった。 少し、言葉を変えれば、落胆の色。 私は…… 私は…… この侯爵家が継嗣として……


 それが…… 落胆の原因だったの? 先程の、お父様の御言葉は、本心だったの? お話の中に有った、『王妃陛下の勅命』…… となれば……


 お父様は、決断されたの? わたくしの配に…… この方…… を?





 ―――― そう云う事なの?





 王妃陛下の御言葉の数々に、無残に『矜持』を打ち砕かれていた私は、精一杯、虚勢を張っていた。 弱っている所を見せる訳には行かなかった。 だから…… だから……


 全てが瓦解した。 有り得ない程、頭の中が真っ白になった。 策謀も、権謀も、術策も…… 何もかも綺麗に吹き飛んだ…… 何もない私に残された、侯爵家の継嗣と云う矜持も…… お父様の視線により、粉砕されてしまった……



 私が馬鹿みたいじゃないの…………



 何なの、一体、何なのよ!


 これじゃ、私…… 道化もいい所よ!





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― 新着の感想 ―
好ましい、じゃねぇんだよ。平和ボケした小娘のせいで、生き甲斐を捨てる羽目になったんだが? 部下を大事に出来ない奴が後継者とか、仕事を舐めてるな。
暗部侯爵家令嬢は、「慈愛に満ちた陛下に絶対の服従を誓っている」と嘯きながら、「王家と同じだと考えろ」という王命が出された「宰相府の禁止命令(事実上の王命)」を無視して、私欲で「精鋭」を失わせた 1.…
興味深く読んでいますが、 辺境の苦闘に中央の貴族が無知なのは批判的に書かれていたように思います。 この幕間では、状況を調べるだけで家も終わるというのが腹落ちしませんでした。何を探ったのでアウトになった…
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