幕間 王国の闇の右手(1)
何なの、一体、何なのよ!
これじゃ、私…… 道化もいい所よ!
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私の婚姻が難しい事なのは分かっている。 お父様の御意向が、一族以外の者から婿を取る事なのだから。 侯爵家と云う高位に属する我が家は、王国にとって暗闇に属する事柄を遂行する、そんな役割を与えられている家なのだもの。
十分に報いられているのは、知って居る…… 理解している。
国王陛下は、偉大でお優しく、慈愛に満ちて、我等藩屏たる者の心まで救って下さる。 それが、唯一の欠点だと、宰相殿は嘯かれる。 しかし、心を持たぬ為政者など、敬える筈など無い。 故に、私は…… 私は、絶対の服従を陛下に誓っているのだ。
王太子妃が持ち込んだ私の婚姻話に、お父様は興味を持たれた。 だから、なんで辺境の一介の騎士爵家のそれも三男などと言うモノを私の配にとなるのだろう。 王太子妃と王太子の御心内は判らなかった。 貴族の爵位を度外視して、釣り合わぬモノを配となす事は、王太子妃の影たる上級女伯が例も有る事だし…… と、考えてハタと気が付いた。
そう、上級女伯が女婿は、同じ辺境騎士爵家が息子。 あちらは次男。 そして、私にと思召されたのは三男。 一体…… 何故? 問題となるのは、北部辺境域、筆頭騎士爵家と云う事なの? あの家が、そんなに価値が有ると云うの? わからない…… 本当に理解出来なかった。
――― ならば、理解出来るように調べるまで。
その為の能力と権能は、私にはあるのよ。 お父様は、私が小娘の頃から家の役割について、強く教えを垂れて下さった。 お母様が、とある事情により、傍系が差配する暗がりの行いに伴い、その命を奪われた事実から、自身の身の安全を護るために、お教え下さったのだ。
だから…… 私にとって、闇の事柄を差配する事は、息を吸って吐くようなもの。 既に、配下の精鋭たる者達を使い、問題の焦点たる北部辺境、筆頭騎士爵家に対する調査を開始したのよ。 直ぐに、報告は届くはずだった。 それだけの調査能力を持つ者達だったのだもの。
でも、結果はありきたりな報告しか無かった。
中央では、北部辺境域の情報を収集する事は難しい。 広大な北部辺境域を封土としていた侯爵閣下も、例の第二王子失陥の余波を喰らい、転封の処罰を戴いた。 他の第二王子派の者達と比べて、転封先は豊かな領ではあったけれど、それでも、新領を差配する為に、家内は騒然としていたのよ。
困難さはあるけれど、それでも優秀な我が家の者達、私の差配する者達は、先の北部領の筆頭領主たる侯爵閣下の元に手を伸ばし、彼の騎士爵家の情報を集めた。
何のことは無い、ただの辺境騎士爵家に過ぎないと、そう報告書には纏められている。 ならば、なんだ、あの王太子と王太子妃の執着は…… より、詳細な事実を知らねばならない。 精鋭中の精鋭を選りすぐり、北部辺境騎士爵家の内情を具に調べるように命じる。
当該地位に埋没した、かつての『草』にも繋ぎを付ける様に命じても居る。 あの地は、あまりにも荒れている為、継続的に『草』を飼うことも儘ならない。 死んでしまうのだ…… 一族として定着している筈の草の家系がいつの間にか廃絶している事さえあった。 今いるのは、そんな状況の中、辛うじて生き残った『草』の中でも、我が侯爵家に対する忠義心が薄い『雑草』と云うべき者達。 でも、手が無いのよ。 目も、耳も、手すらも……
『魔の森』が近い北部辺境域北端など、何時でも切り捨てられるような場所。 そこに土着する郷士を、その近辺の貴種が勝手に騎士爵として任命したに過ぎない、貴族未満の者達。 その認識が、まさに崩れ始めているのよ。
我が家の精鋭達は、単に諜報に長けた者達ではないわ。 どんな過酷な状況に於いても、生還するだけの『武』は、その体に染みついている筈なのよ。 なのに……
最初の違和感は、報告が画一的であった事。 誰の目にも、辺境の田舎貴族としか見えていなかった。 ただ、北部辺境域の経済を担う存在として認識されていると云う事だけは、新たな知見でも有った。 そうなのか……
では、財力目当てなのかとふと思う。
しかし、強大な王国の版図に於いて、その位の経済力を有する家は幾らでも有る。 そして、豪奢な暮らしを見せつける様に、王都に屋敷を構える者も少なくは無い。 きっと、そうなのだろうと、記録を漁って確認してみると……
――― 無いのだ。
件の騎士爵家の邸が、王都には。 誼を通じた商家は、大小合わせて相当数に上る。 実に様々な商品を扱っていると、驚きすらある。 北部辺境域の経済を担っていると、そう報告に有るのも頷けるが、莫大とも云える金穀を何処に消費しているのか?
普通の貴族家ならば『身』を飾り、『立身』、『栄誉』を買う。 そうで無い貴族など、居ないと認識している。 が、どうだ。 北部では、その常識が通用しない。 件の騎士爵家は、商売で得た金穀を惜しげも無く配下の傭兵たちに注ぎ込んでいると…… 慎ましやかな本邸と比べ、国軍かと思える程の組織と戦力を維持していると。
何故? 反逆を企てている?
そんな、予感がしたが、その後の調査で、その理由を知った。 北部辺境域は、私達中央の者が思う『平穏』とは、違う価値観の『平穏』を持っていた。 生きる為に…… 生き残るために。 生き残り、世代を繋ぎ、人の生存圏を護るために…… 『自然の脅威』と 隣り合わせの生活環境が、民草に至るまで屈強な戦士と成していたのよ。
それが、判明したのは、我が精鋭達の幾人から定時連絡が途絶えたから。 優秀な彼等が、定時連絡を忘れる訳はない。 その身に不幸が降りかかったと見て良いと考えた。 精鋭よ? 私が知る中で、どんな状況に於いても、危地を潜り抜けるだけの能力は持っている者達なのよ? 何故……
――― 興味がさらに湧いた。
私の婿として目された男は、そんな危険に満ちた場所で、世代を繋ぎ盤石を敷き、民草の安寧を護り続けている北部辺境筆頭騎士爵家が三男。 どんな男なのだろうと、俄然興味が湧いた。 ならば、調べるまで。 残余の配下の者達に、その男の事を調べる様に命じる。
王都では、お父様に願い、魔法学院時代の彼の行いや行動を掘り返してもらった。 婚姻の相手として、十分な資質を持っているのかと。 お父様は私が興味を示した事を慶ばれ、大いにその力を発揮された。積み上がる、考課表。 試験結果。 そして知る、その男の特異性。
体内に伯爵級の内包魔力を持ち、『技巧』と云う民草に天から授けられる特質を二つ宿す者。 『工人』『武人』。
『工人』の方は、どうでも良いわ。 目についたのは『武人』の技巧。 体術系も相当に出来る。 考課表によると、武術系の教務員達からも、一目置かれていた。 一つ一つの武器種に関しては、上級兵並みにしか使えないが、使用可能な…… つまり、実戦でも戦力になると判断される力を、試した全ての武器種に於いて呈していると。
つまり…… 万能兵と…… 実戦に於いて、苦手とする武器が無いと云う事。 どの様な戦局に於いても、身近に有る全ての武器を、自分の獲物とする事が出来る…… と。 そして、武器の特性も熟知し、どのような場所で、何が有効かが息を吸うかの如く判断し、決断できると。
模擬戦ではパッとしない成績であっても、それが、大規模戦闘に於いて、指揮官職を拝命した場合、下々の兵の使う武器種から、適切な配置を瞬時に判断できると…… あった。
これは…… 暗部にも云える事なのだけれど、とても有益な能力とも云えるわ。 学院卒業時、既に暗部の精鋭となれる可能性を秘めていた。 しかし、それだけでは、薄暗い事柄を差配する、我が侯爵家の次代たる私の配には届かない。 状況判断と、深い洞察が求められるのよ。 私の配には…… でも、それも杞憂だった。
彼の『武人』の才は、戦闘に特化したモノでは無かったのよ。 どちらかと云うと、別な方面。 全てを差配する、指揮官…… 軍総指揮官か、参謀総長向きの能力だった。 お父様から教えを受けている時に、私とお父様で行った、図上演習。 あの難しい局面を、彼は攻撃側全滅と云う、魔法学院始まって以来の結果を出したの。 その時の棋譜を手繰り寄せ…… 戦局の判断に舌を巻いた。
そして、理解に到達したの。
何故、王太子妃殿下が彼を王太子殿下の側に置きたがったのか。 暗部の取り纏めは私の仕事。 これだけの軍才は、なにも軍事行動だけに特化したモノでは無いわ。 転用すれば、政治運営にもとても有効。 王太子妃殿下が、王太子殿下の治世に於いて、足りぬ部分を補おうと、彼を招聘したがっている……
でも…… 為人は? 野蛮な辺境人ならば、傍若無人な振る舞いも考えられる。 でも、それは考課表が…… 王宮が噂話が否定する。 極めて温厚で、物静かな男であると。 自身の婚約者の不貞も、根気よく諫めて居たし、国王陛下と貴族院議会の要望で、手出し無用の断が下された後、静かに引いた…… 声を荒げる事も無く、上意の者の意を汲んだ動き…… 見えているのか、いないのか……
第二位王子殿下への処断が決した場にも居たと云う。
それでいて、当日には辺境に帰還したと云う。
藩屏たるを自認し、王国の安寧を見届けた後、自身の在るべき場所へと帰還したと…… 軍務卿家の新御継嗣殿が、地団太を踏んで悔しがったとか…… 有り得ない。 本当に、有り得なかった。 中央の貴種貴顕…… いや、低位の貴族であろうと、こんな滅多にない機会を擲つとは……
――― 馬鹿なのか?
信頼する、配下の精鋭達の目を以てして、見極めないといけない。
ジリジリと、報告が入るのを待っていた。




