――― 私の知らない私 ―――
根っからの研究者気質が、朋を捉えて離さない。 たっぷりと時間が過ぎ去る。 ポットに用意した茶が、無くなるほどには。 やがて、昏い色を瞳に浮かべた朋が、私に視線を向ける。 先程迄の朗らかで優し気な雰囲気は霧散し、幽鬼の様な陰鬱で湿った感情を撒き散らしていた。 朋は、低く肚の底から響く、囁くような声音で、言葉を綴る。
「三十六席を呼ぶ。 いいな」
「構わんが…… 何をする」
「【空間魔力固定術式】だと?! 『何を』だと?! 魔力を蓄積する『蓄魔池』と『この術式』が有れば、世界は一変する。そんな事も判らんのか馬鹿が!!」
「まぁ…… 判らんでも無いが…… 森の探索行に有益なる魔道具を……」
「おい、貴様は私の事を魔法馬鹿と云うが、貴様は『魔の森』馬鹿だな。 コレが齎す変革は、そんなモノに留まらない。 下手に外に出すと、それこそ大騒ぎになる。 王宮魔導院辺りに知られたら、貴様は…… 拘束されるぞ」
「それは、困るな」
「『困る』で、済むと思っているのかッ!! 馬鹿か貴様は!!! 三十六席を呼べ!」
応接室を警備している、隠形に特化した兵に、朋は言葉を投げつけ、直ぐに三十六席を部屋の中に呼び込む。 急き立てられるように、三十六席は入室し、挨拶もそこそこに同席させられた。 そして、投げつけるように朋は羊皮紙を彼に手渡す。 状況が判らぬ彼は、急かす様に顎をしゃくる朋に促され、羊皮紙の魔導術式に視線を落とした。
静かな時間が、私達の間に流れる。
カタカタと、テーブルの上の茶器から音が鳴りはじめる。振動が伝わっているのか。地震か?いや、震えているのは三十六席自身だった。 手に持つ羊皮紙は限界まで引っ張られ、眼球が零れ落ちそうに極限まで広げられ、落とした視線は血走っている。 顔面は蒼白となり、冷や汗が額から零れ落ちていた。 太く血管の浮く額。 今にも血を吐きそうな、具合悪そうな表情を浮かべていた。
「ご、五席…… これは……」
「【空間魔力固定術式】 ……その骨子となる魔導術式だ。 貴様の事だ、読めば理解も出来ような。そして、私の想いも予測はついている筈だ。 ……即時の『禁忌指定』を私は欲する」
「ま、正しく。 直ぐに」
「この場でな。 …………何と言うモノを、簡単に開示するか、貴様は。 これが普通の魔導士の反応だ、良く覚えて置けよ」
「良く判らんが…… そう云うモノなのか?」
傍目に見ても慌てふためく三十六席。 その手元には、【禁忌指定】の術式と強固な【隠蔽術式】が、浮かんでいた。 それほどの…… モノなのか? あの場に行けば、破断面の彼方此方に散乱している様な代物なのだがな。 古代魔法語が理解出来る者など、そうは居ないし、そこまで厳重に封じる必要が有るのだろうか? 私の心中に浮かぶ小さな疑問を、朋は過たず見抜き、その理由を口にする。
「貴様と云う漢は、いつも何処か浮世離れしているな。 いや、貴様の美点でも有るのだが、コレはいけない。 ……王宮魔導院で連綿と続けられている『魔導研究』を、この羊皮紙一枚が『無きに等しい物』とする。専門の家門の者達が代を繋いで、研鑽に明け暮れようやく辿り着けた地点が、まだ、高い頂を持つ峻厳な山岳の裾野にも至って居ないと判った場合、激烈な反応が王宮魔導院から起こるのは必至だ。 ならば、禁術指定し北部辺境伯家の閉鎖文書として扱うしかあるまい。コレは、時代が…… 追い付くのを待つしかあるまい」
「高度な古代魔導術式だとは思っていたが、それ程なのか」
「高度な術式を読める貴様だから、何かしらの思いが有って回収した? いや、貴様の事だ、単にそこに有ったからか? ……次にこのような術式を見つけたならば、まずは私に見せろ。その上で私が公開するかどうか判断する。宰相府にも内容は伏せろ。あちらは王宮魔導院と直通だ。……おい、まさかもう」
「いや、概略だけだ。 確定した正規の報告書は、これから綴る予定だ」
「ほっ。間に合ったか。 ならば、魔導術式関連の事柄については、まず王宮魔導院民生局第五席の私を通せ。 いいな」
「分かった……」
小さな私の返答の揺らぎを朋は見逃さなかった。 いや、目聡く見出していたと云う事か。 朋は、私の為人を良く理解しているのだからな、驚くべき事では無い。
「……貴様、まだ、何かを隠しているのか? ハッ!! 既に、何処かで使っているのか?!」
「い、いや、まだ、大々的にでは無い。 個人的な興味と有用性を鑑み、部下と共に解析と汎用術式に落とし込んでいる。 有用な術式は、それだけ部隊の生残性を高める。 探索隊にとっては死活問題なのだ。『蓄魔池』の延命や蓄積魔力の持ちを考えるに、『魔の森』の中層域での空になった『蓄魔池』の再充填に利用できないかと、小さな魔道具を試作した。 大容量を急速充填は出来ぬが、男爵級、子爵級ならば一晩でどうにか……」
「馬鹿野郎!! 製法書、試作品を含め、関連するモノを全て提出しろ!! まったく、これだから……」
「いや、済まない。 余りにも忙しそうにしているのでな。 こちらも探索に必要なモノを準備する事は必須なのだよ」
「まだ、配布はしていないな」
「試作だからな」
「『工人』の好奇心は、手に負えない。 おい、三十六席、コイツはこう云う漢だ。心してかかれ。 …………探索に必要なモノを準備と云ったな。 想定している設備、装備、魔道具の全てを吐け。 なんなら三十六席も付ける。 コイツには、人道という倫理観は薄い。 広域殺戮兵器だろうと、対人殺傷魔導術式だろうと、そこに魔導の神髄が有るのならば躊躇なく手を出す輩だ。 私では二の足を踏むような、物騒なモノでもコイツならば聞く耳を持ち、所見を述べるだろうよ」
「それは忝い。卿、手伝ってくれるか?」
「軍総司令、次席のお望みであれば……」
「頼む」
場所を変える必要が有った。 『砦』の中の私の研究室に。 そこには想定した状況に合致する、兵器の縮小モデルや前回の探索行で得た知見を落とし込んだ『魔道具』もある。 現場でのありあわせの素材で作り上げたモノも、研究室で実用的かつ量産可能なように調整もしていた。そう、素材からな。 一見、乱雑に積み上げられている、それら研究の成果を一瞥した朋は、大きな溜息を吐き出す。
「三十六席、玩具箱の様な部屋だと思わんか?」
「これ程までとは…… 第五席のご友人であり、共に錬金塔で研鑽されたとお聞きしておりましたが、凄まじきモノですね」
「魔導の知識、知見は云うに及ばず。 工人としても一流の職人を凌駕しつつ、目的を明確にしつつ開発意図が揺るぎもしない。 出来上がった魔道具は、単体でも有用ではあるが、複合的に使う事も出来るように配慮されている。成果物は私と共有すると云うのだ。 王宮魔導院での閉鎖性を顧みて、異質と云う他、言葉は出ない。 そうだろう?」
「確かに…… 魔導研究に於いては、その研究成果は個人に帰します。誰かと共同研究するなど王宮魔導院では夢想も同じ。 人や部署が違えば、同様の過ちや堂々巡りなど日常茶飯事ですが…… 閣下と共有されておられるのですか、ここに在るモノは……」
空間上に浮かしてある、私の魔力で綴った未定着の魔導術式を横目で見ながら、三十六席はそう口にする。 『砦』に於いて、魔導を研究するのは私一人だし、この部屋には物騒なモノも封じてあるので、基本、招いた者しか入室を許可していない。魔導の深い知識を持つ朋は別だがな。 朋には無制限の入室を許可している。
――― ここに在る全ては、共有すべきモノなのだ、本物の『天才』と。
砦の住人達は、私の意思を尊重してもくれる。 誰も、私に無断で入室しない。『砦』内に配置している警備兵には監視任務も与えていない。 皆、私の通達を守って居てくれるのだから。 それに、開発したモノはその真価を『魔の森』の中でしか発揮しない。 故に、それ程の事は無いと思うのだが……
「三十六席。 これだけの成果物がある部屋を、王都に持つとするならば貴様ならば、どう対処する?」
「部屋に重結界を張り巡らせ、警報系の監視は必須。 王宮宝物庫並みの警備は勿論の事、警備人員も要請しますね。 いや、完全に封印術式で固めてしまう方がよいか……」
「だろうな。 誰でも入ろうと思えば入室出来る。 ……私が辺境伯位を得た事を考えて、今後は他家や、王宮魔導院からの "ちょっかい" が考えられる。 それを通達一本だけで留めているのだよ、この馬鹿は。 三十六席、ここの警備、頼めるか」
「御意に。 部屋の周囲に重結界を施します。 入室できる人員を厳選し……」
「構想は後で聞く。 ……さて、何が問題となっている、朋よ」
「あ、あぁ…… こっちにあるモノだ。 意見を聞かせてくれ」
朋の『やれやれ』と云う、気分が否応なく私に伝わって来た。 三十六席はそんな私達を横目で見つつ、苦笑が頬を緩めている。 云う程、私は無頓着なのか? 彼等が云うに、私はその辺り……
――― 木偶の棒
……に、見えているのか?
――― 誠に遺憾である。 ―――
カウントダウン~~
せ~の
販売開始、三日前!!




