幕間 逢魔が時の茶会②
一瞥も与えず、王妃陛下は暗部棟梁侯爵家が令嬢に答えを迫る。 声色はあくまで優し気に。 しかし、強い言葉と抑揚のない声が、強く王妃陛下の怒りを示していた。 一片の憐憫も無く、苛烈に隠された事を暴くが如く…… 故に、答える声は細くなる。
「……あの辺境の騎士爵家は謎が多いのです。 とても…… 多い」
「『耳』と『目』を以てしても、見えませんでしたか?」
「上級女伯家は配転されたばかり、よって、元の侯爵家およびその連枝の伯爵家に人を配し事情を確認致しました。 が、其処での彼の家の評価は可もなく不可も無く…… 郷氏が家が起源の騎士爵家だったに過ぎません。 が、王太子妃殿下の御言葉ではそうでは無いと」
「コレの言うのは、『特異なる才を持つ者』と云う事でしたか」
「その…… 今から云えば侮っていたと。 そう総括出来てしまう事柄です」
「上級女伯家にも『耳』と『目』を入れた…… いえ、『手』もですね」
「はい。 何もかも解らぬでは対処方法を策定できませぬ。 私の配ともなれば、その方面の知識も知恵も必要なのです。 だから……」
「あの家の者が配となっている上級女伯家にも『探り』を入れた。 いえ、アレの兄に付いて調べ上げる為ですね」
「結果は、最初の調査とあまり変わりません。 律儀で勇猛なのは、その通りなのですが、武勇に偏った方でした。 現在は…… 軍執政官として、その才を発現されておられますが、上級女伯家が棟梁としては些か見識が狭量と……」
「よく見ていますね。 ですが、それはあくまでも王都、本領での見方であり、評価でしょうに。 愚かな事を…… そして、貴女が興味を引いたのは、それだけでは無いでしょう? 本当に知りたい事を知る為に、辺境にも…… 手を出した。かつての草も使ったのかしら」
「はい」
「結果は? そして、何に興味を感じました?」
「配下を北辺騎士爵家が支配地域に向かわせ、探らせました。 かつて使っていた『草』にも繋ぎを執り、情報を上げる様にと。 ええ、三男様の動向や為人を調べる為に。 ……送った者達は、皆…… 皆、未帰還です。 最精鋭を送り込んだのです。 しかし、成果はゼロ。 何も成し遂げられない。 情報の一篇すら持ち帰れない。 異常です。 異常だからこそ…… 興味を持ちました」
「貴女の配下の最精鋭が全員未帰還。 ……でしょうね」
落ち着いた王妃陛下の声。 ガゼボに同席する王太子妃は新たな冷や汗が背筋を伝う。暗部棟梁侯爵家の一人娘。 その娘もまた、家業に従事しているとすると、その配下は精鋭と云っても良い。 その中の選りすぐりが出向いたまま、帰還しない。 普通では考えられない事。 王都周辺でその様な事があれば、間違いなく、対象の防諜組織が彼等を捕縛した事の証左となり得る。 反逆も疑われる状況では有るのだが、王妃陛下の声にはその様な疑義の響きは全くない。 つまりは、それが常態であると、そう認識されていると云う事。 気が付いてしまえば、暗部棟梁侯爵家が行いは『愚行』と云う他…… 言いようが、無いのだ。
「王妃陛下、なぜ、その様に……」
彼女は食い下がる。 それが、如何に愚かであったかを未だ理解していない事の証左。 冷たい王妃陛下の言葉が紡がれる。
「これだから、中央王都に『心』を置く者はダメなのですよ。 報告書が全てだと、そう思いこんでいるのです。 実際にその地に於いて、その地がどの様な有様なのかを確認する事を、上級者が厭うがせいで、本質を見誤るのです。 北辺は東、西、南の辺境域とは事情が異なります。 あの地は倖薄き地。 誰もが生きていく事に真摯で膨大な努力を重ねねば成らぬ場所なのです。 ……その顔は忘れている様ね」
言葉を止め、カップを口に一息入れられる王妃陛下。 暫しの沈黙が、次の言葉がなんであるのかを必死で模索する。 少し寂し気な色を見せる王妃陛下の瞳。 誰もが既に忘れている事を、王妃陛下はその御宸襟に強く留められていると。 しかし、直ぐには思いつかない。 何をして、崇高なる王妃陛下にその様な顔をさせているのかに。 暫しの時間は、招待された二人の女性に、考える時間を与えるモノだったのだろう。 そして、答えには辿り着けなかった事を、残念に思いながら王妃陛下は、再び口を開き言葉を紡がれる。
「今代陛下が王太子殿下で有らせられた時、幾つもの戦争、紛争がありました。 西の蛮族、東の魔の森、南の跳ね返り…… その際、わたくしも戦場に『癒し手』として、同道していたと云う『事実』があります。 忘れられぬ物を幾つも見ました。 南、東、西の各辺境域は王国にとって抑える事が焦眉の急とも云える場所。 転戦に続く転戦は日常でした」
「それは……」
「既に歴史の一部に成っていますね。 だから、皆、忘れているのです。 王国の生存を掛けた、幾つもの戦闘。 長い王国史の中でも、暑い夏の日の様な、苛烈な日々でした。 王国の、人の生存圏を掛けた一連の戦は、陛下にとっても忘れ得ぬ日々でしょう。 戦乱を長引かせては成らないと強く御心に植え付けた日々であったと、わたくしは思うのです」
突き付けられた歴史の一部。 彼女達にとっては生まれる前の出来事。 しかし、それが故に、彼女等の肌感覚には無い強烈な憔悴の片鱗が王妃陛下の表情から伺い知れた。 息を止め、言葉に打ちのめされつつも、言葉の先を探る。 その事実が、北辺の騎士爵家とどのような関りが在り、さらに、反逆する事は無いと断言できる証左となるのか。 恐れ戦きつつも王太子妃は王妃陛下の次の言葉を待つ。
「未だ歴史の一部に成って居ない場所こそ、北辺。 北方の王国…… 「魔の森」の向こう側。 帝国と僭称する野蛮人たちが力を付け、何かと我が国に押し入る『強盗紛い』の事を成していたのは、知って居るでしょう? 血を分けた『息子だった者』の無様も、『彼の国』の暗部に扇動された愚かな者達が後ろに居た。その中に我が国防諜組織の者達すら居たと云う、目も当てられない事実。
国王陛下の慈悲を取り違えた愚か者達。 わたくしとしては、粛清もやむなしと考えていたのです。 が、そうは成らなかった。 大胆とも云える領地の配転は、現有の貴族家の数を減らさずに、そ奴等の力を削ぐ為の政策でもあります。 人の世を繋ぐ為には、粛清など愚策に過ぎない。 改心し王国の藩屏たる事を思い起こさせねばならなかった。 ……王太子妃と影ならば、理解も出来ましょう?」
「「……はい」」
物憂げな王妃陛下の御言葉。 発案は自身であったとしても、それに似た手を既に用意していたと云う事。 宰相府辺りが何か画策していたモノだと、そう推察できる。 王太子となった義理の息子に『成果』と云う花を持たせる為に、敢えてその案の採用を進言されたのは、王妃陛下の優しさか、はたまた宰相閣下の遠謀か。 既に背中がグッショリと汗にまみれた王太子妃、額から頬に汗が一筋落ちる。
「様々な家が配転されました。 東、西、南の辺境域の高位の者達も、元騎士爵家である家々も、暗部に属する家すらも、その中に含まれます。 が、北辺の騎士爵家からは一家も其の対象に含まれていません。 それをどう考えるのですか、二人とも?
対帝国に神経をとがらせていた? 甘い蜜が、倖薄き地には相容れなかった?
真実は、中央との交流にすら困難を感じ、王国の藩屏たるを矜持として保持している『北辺の者達』が、その様な事が出来る筈は無かったと云う事だけなのです。 『魔の森』は未だ解明できぬ未知なるモノで溢れている。 魔物魔獣の出没や襲撃も後を絶たない。 生態すらもあやふやであり、その様なモノを研究する余裕すら無い。 全て、経験則で動くしかないのです。
しかし、あの者達は健気にして、忠義厚き者達。 過酷な環境にもかかわらず、王国の藩屏たる矜持を…… 誇りとして、持ち続けているのです。 事情を紙上でしか知らぬ者達が、足を踏み入れ生きて帰れる様な場所では無いのですよ。 北辺とはそう云う場所なのです。 どのような精鋭であろうとも、それはあくまで中央、貴族社会の中で闇に紛れる蝙蝠のようなもの。 とても太刀打ち出来るような環境では無いのです」
物憂げな王妃陛下の言葉がガゼボの中に響き、夕闇の風がそれを吹き散らせて行った。 まるで、そんな言葉など、吐かれなかったかのように……
静寂と、沈黙が、暫しの間周囲を押し包む。 まるで、闇が全てを覆い隠すかのように……




