幕間 逢魔が時の茶会①
夕暮れ前の王宮。 その中でも厳重なる守りを施されている後宮、
王太子妃は王妃陛下の遅い『お茶会』への参加を求められていた。 遣いの招待状には常にない熱心な言葉が綴られ、『忙しい』を理由に断る事は憚られる。 そう、王太子妃よりも遥かに『忙しい』、王妃陛下よりの招待状。 断れるモノでは無い。
時間も『お茶会』を開催するには微妙な時間。
晩餐を共にして、言葉を交わす事を避けたと見た方が良い。 王族の晩餐は公的な意見のすり合わせの時間。 つまり、国の指針に対しての意見交換の場となる。 その場では国王陛下と王太子殿下が主であり、その配は、意見を求められる事は、甚だ少ない。 晩餐の前にそれぞれの夫と意見を合わせ、話し合っているのは、それが理由。
その晩餐の席では無く、茶会に呼ばれると云う事は、国王陛下や王太子殿下との話し合いの前に、奥向きの女性達で意見の一致を見つけるべく、話がしたいと、そう思召めされたからに相違なかった。 しかし、王太子妃は王妃の宸襟を想像する事は出来ても、直接言葉を交わすには、少々距離が有る。 王妃陛下より、何が伝えられるか…… 内容に関しては、想像が付かなかった。
茶会出席の準備を成しながら王太子妃は思いを巡らせる。
自身の婚約破棄の茶番。 王妃陛下は、その主たる人物の実母。 国の行く末を鑑み、苦渋に満ちた決断を強いられた王妃陛下。 王太子妃は、自身の努力不足を謗られるか、恨み言を言われるか、心内に重く暗い思案が浮かび上がる。 王太子妃として立った後でも、自身に対し沈黙を守り続ける王妃。 王太子妃教育の際は、あれ程親身になり、王太子妃、王妃としての心得を伝授して下さった王妃陛下では有った。 が、あの茶番後、心の距離が出来てしまい、表敬訪問する程にしか現在は交流が無い。
既に王太子妃教育も王妃教育の大半も済ませた王太子妃にとって、王妃陛下の元に通う意味は無い。 故に、この茶会の招待は久しぶりの公的な招待と云えるモノでは有った。 そう、何か個人的に自身の行いに対し『意見』を述べられる。 それこそが、この茶会の意味であり、気を引き締めなくてはならない理由でも有った。 着衣を正装に包み、準備が整った事を王宮女官より伝えられる。 軽く頷き立ち上がり、巨大な姿見の前で確認する。 王太子妃として、寸分の隙も無く仕上がった自身を確認して、王妃陛下の茶席へと歩を進める事になった。
石を飲み込んだかのような感覚が、不快さを否が応でも思い浮かばせる。 足取りは重い。
茶会にはしては、遅い時間。 既に後宮の中庭から見上げる大空は、赤みすら差していた。 後宮の中でも、国王陛下が御座所は、特に警備が厳重な事で知られる。 この中庭に関しても、幾重にも重結界が張り巡らされ、不測の事態に備えられていると聞く。 青々とした芝生はよく手入れされ、歩む足取りを阻害する事は無い。 個人的な茶会の為に設えられたガゼボが酷く遠い気がした。
慎重に間違いなく高貴に優雅に歩を進め、ガゼボの開け放たれた一角の芝生の上で、誰もが見惚れると評判のカーテシーを捧げつつ、到着の口上を奏上する。
「よく来られました、待っていたわ、さぁ、此方へ」
「御前失礼いたします。 お茶会へのお招き、誠に有難く」
「そうね、本当に久しぶりね、こうやって時間が取れるのは。 王太子妃教育は完了し、王妃教育もほぼ終わった貴女には、私に会う必要も無いモノね」
「その様な事は……」
「いいのよ。 アレの実母だもの、距離を取られても可笑しくは無いわ。 周囲の者も、忖度して出来るだけ出会わない様に予定を立てるのだもの。 気付いていたでしょ?」
「それは…… 」
「答え辛い質問は、もうやめるわ。 ただ、覚えていて欲しいのは、わたくしは『この国』の王妃たる者である事。 王家が子共はあまねくわたくしの子共であり、この国を導くべきにたる人物に育てる事が責務でも有るの。 一人は失敗したけれどね、その節は貴女にも心労を掛けたわ。 不甲斐ない王妃でごめんなさいね」
「も、勿体なく」
ズケズケとモノ言う王妃陛下。 為人は、かつての教育の際に知ってはいた。 が、それが、あくまでも上辺で取り繕われていたモノであると、今、思い知った。 国王陛下の側で、慈愛深い笑みを浮かべ、静かに佇むその姿に、儚さと可憐さを見出す者は多い。
かつての王太子妃教育でも、その後の王妃教育でもその印象は強く植え付けられてはいたが、それでも、国王陛下に物申す姿は垣間見られた。 が、そんなモノは王妃陛下の本質では無いのだ。
これ程、強烈なほどの嫌味、心深く引き抜けぬ棘の様な悔恨、 そして『王妃たる者』の芯の強さを示した言葉など、今までの王妃陛下の印象からは想像もつかなかった。 故に、冷や汗が背から零れ落ちる。 この場に呼ばれたのは、なにも、ちょっとしたお話がしたい訳では無いと云う事が、ありありと示されていたからだった。
「あぁ、もう一人、この場に招聘しているの。 多分、もう少しで来ると思うの。 時間がね…… と云うよりも、伺候する時間が決められているから。 ほら、空が茜に変わるから、刻限ね」
王妃陛下の口から紡がれた言葉。 その言葉にどれ程の意味が含まれるのか、王太子妃に伺い知る事は出来なかったが、なにやら後宮、それも王の御座所ならではの規則が有る口振りであった。 成程、空は茜に焼けている。 もう直ぐ陽が落ちるのだろう。
茶会と云うには、いささか所では無い程の違和感。 尖塔に陽が落ち、後宮中庭に影が差す。 肌寒く感じる程、空気が冷えはじめる中、王妃陛下は何事も無いように茶器を持ち上げ、喉を潤している。 いや、冷える身体を温める為か……
突然、来訪の口上を奏上する声が掛かる。 声は低い女性のモノ。 その声にどことなく聞き覚えがある王太子妃は、声の方に視線を向ける。
「良く見えられました。 お誘いを受けて貰えてうれしいわ」
「勿体なく。 御宸襟にお求めあれば、何時いかなる時にも足下に」
「あら、貴女。 そうは云っても卿が出邸の許可を出さないと聴いているわよ?」
「王妃陛下の御要望とあれば、いかな父でも無下に出来ません。 常に忠臣である事を見せ続けねば、我が侯爵家など……」
「そうね。 理解している様ね。 父君はどうかと思うのだけど、貴女はよく理解している」
「勿体なく」
「……では、何故、王太子妃の進言を受けたのです?」
王妃殿下は、彼女をガゼボに入らせぬまま、そう問い掛ける。 それは、臣下に対し儀礼的には不躾と云うべき所作。 着席も許さず問う姿は、叱責も同じ。 取りも直さず、その叱責は王太子妃にも向けられているのも同じ。 韜晦を許さぬと、言外に伝えられる女性貴族。 王太子妃が進言を受けたと、そう王妃陛下の言葉から、彼女がアレの妻として婚姻を模索した、暗部棟梁侯爵家が一人娘である事が確定した。 この場に呼ばれる…… と云う事。 伺候の刻限が決められている事。 つまり…… 彼女はその任に就いていると云う事に他ならない。 さらに王太子妃の背中に冷や汗が零れ落ちる。
「答えは? 女としての『幸せ』が、欲しかったの?」
「……興味が湧きました」
「…………そう。 それは、貴女の『お仕事』上の興味なの? 許しも無く、目と手を入れた?」
「…………ひ、広く情報を収集するは、我が家門の矜持でも有りますので、その一環として」
「そう、その差配を貴女が?」
「はい……」
「宰相府より禁じられて居たのでは?」
「宰相府と同等の部署で有ると、そう認識しております」
「あら、驕っていたのね。 宰相府は、王家と同じだと思えと、そう陛下より通達されていた筈でしょ?」
「こ、古来からの王国法ではッ!」
「残念ね、当代陛下により『不磨の大典』の書き換えは実行されているの。 四大公家、八公爵家の全家承認も受けての更新よ、知らなかったとは…… どういう事かしら? 当代様の御意向とその権能を無視すると?」
「いえッ! め、滅相も御座いません。 そ、その……」
「あぁ、不磨の大典が更新される前と云う事ね。 了解しました。 今後、その様な事は無き様に。 卿にも、よくよく伝えてね。 さて、それを踏まえた上で聴くわ、貴女の琴線に触れた情報とは? 無茶な願いを受けた理由にも成った、貴女の興味を引いた事実とは何なのかしら? 答えなさい」
冷たい王妃陛下の言葉がガゼボに響く。 極力、王宮侍女 王宮女官を排した設え。 近くに侍るは、信任厚き王宮女官長のみ。 叱責はこの場で留めるという意思の表れ。 しかし、その原因となった事実は知っておかなくてはならないと云う意思。
強烈な王気がガゼボに溢れかえる……
息をするのも意識しなくては、容易に止まる。
―――― 王太子妃は成り行きを見詰める事しかできない。




