――― 騎士爵家としての決断 ―――
探索行を、コソコソとしなくてはならない理由。
それは、厳重に言い渡された『守秘』の宣下。 つまり、国王陛下より秘匿せよと申し付かったも同じなのだ。 無論、手助けは必要だ。 このような事、一人で決める事など出来ない。 が、それを父上…… 御当主様に伝える事も難しい。
何故なら、今回と同様に何かしらの思惑あれば、父上は話さざるを得ない。 時として、それは致命に至る。 知らなければ、話す事も無く、罠に落ちる事も無いのだ。 故に長兄様にのみ、御話を通している。 兄様ならば、事実を韜晦しつつ、必要な情報は騎士爵家内に通達されると、そう確信していたからだ。 すみません、父上。
この事実を明かした結果、父上の進退は極まったも同然となる。
父上は、私の表情を読み、そして…… 納得された。
「国王陛下と宰相府の御意思は………… 『魔の森』から出る事叶わず。 と、云う事か。 少々の間ならば、王都に滞在する方法も…… と考えていたのだが、それも無理なのだな」
「はい。 それに、もう一つ。 高貴な方々が私の為に『ご用意』されておられる『妻』たる方の生家は、国王陛下も憂慮なされておられる様な御家柄…… だ、そうです」
「問題の有る、侯爵家なのか?」
「王国文官と、国軍武官の間とも言えましょうか。 朋の話によると、得体の知れぬ家門であり、王国の闇に深くかかわっている、敢えて言えば闇の当事者という家門でした」
「王室の『目』と『耳』…… いや、『闇の手』もだったか」
「御当主で有られる侯爵閣下には、仲睦まじき奥様との間に御令嬢が御一人。 男児は居られぬとの事。 さらに、奥様は既に時が意味を成さぬ場所へと…… 残念な事ですが、直系と呼べるのが、彼の御令嬢御一人なのです。 そして、奥様の直接の死因と云うのが『ご家門』の御連枝が関わる『公務』に関係した『事故』だったそうです。
侯爵閣下は自身の大切な者を、その『任務』の故に失われた。
そして奪ったモノが、同門の有力家の者。 とてもでは御座いませんが、同門より『女婿』を迎える事は、かの侯爵閣下には出来ぬ相談らしいのです。 愛娘の婿には、同門以外の男をと、熱心に探されておられたご様子。 しかし、王都の高位の貴種貴顕の当主達は、あの侯爵家の『仕事』を、十全にご存知だった。 朋は朋の御父上から直接指導を受けておいででした。『決して関わるべからず』と」
「よくそこまで調べたモノだ」
「朋と総司令官閣下の言葉に御座います。 故に、その策謀が成されるならば、私の進退は極まったも同然だったと。 故に宰相府は横車を押し、横紙を破り、事前に交渉の机をひっくり返す様にしたとの事。 国王陛下に於かれましては、かの家門は彼の家門内で完結すべしとの思召しに御座いますれば、今回の事も時を置く事無く了解されたとか。 力無き者に自由の保障は無いと、国王陛下の懐刀の一振りをこの北方辺境にと……」
「それが、北方辺境王国軍の建軍の裏話か」
「総司令官閣下が国王陛下と宰相閣下より、言葉を尽くされ説得されたそうに御座います。 北辺、『魔の森』浅層域を王領と定められたのも、その為かと。 朋に『辺境伯』と云う爵位を、御与えになったのも、その一環。 輪環の様な王都の貴族社会の柵が故に、綻べばその影響は甚大となるが故に、細心の注意を払わねばならない との事でした。 もはや、私がうんぬんと云う次元では御座いません」
父上が辺境の事情とは大いに違う王都の貴種貴顕の綱渡り的人事に、大きな溜息を落とされる。 思惑と権謀術策の『蜘蛛の巣』を構成する細く強靭な『蜘蛛の糸』に、善意と悪意と愛憎を一垂らし…… 人の思惑、人格、善性を絡めとる、目に見えぬ巨大で複雑怪奇な迷路が完成するのだと、朋は言う。 騎士爵家としての最善策は、この蜘蛛の巣のような迷路に足を踏み入れぬ事。 総司令官閣下はそう言って、含みの有る『笑み』を頬に乗せ顎髭をしごかれていた。
「継嗣よ、腹案はあるのだろう」
「色々と甘い毒に晒された父上に、事態を制御する事は難しいかと。 また『策謀の元』近くに侍る、上級女伯家が女婿たる弟が何を言っても悪意にしか取られかねない。 ならば、沈黙を通すしかない。 そうなると、畢竟…… 答えは自ずと一つしか無くなります」
「何故に、我が騎士爵家はそれ程までに、目を付けられたのだ…… 解らぬ」
父上も、母上も厳しい表情を顔に浮かべられる。 何故、北辺の辺境に位置する騎士爵家にそれ程の目を向けられたのか。 それが、良く理解出来て居られぬご様子。 ……私にしても、朋に指摘されるまでは、まさか北辺者の矜持と誉れが、これ程に危険視されるとは思わなかった。
辺境の矜持を全く知らぬ方々の、考え方をお知らせしなくてはならないのは、甚だ心苦しくも有る。 父上が疑問に答えんが為、口を開く。 重く、訥々と、言葉を紡ぐ。
「……精強なる三軍。 主力、遊撃、護衛の三部隊を擁し、国境と『魔の森』からの脅威を、矜持と誉れを以て護り、防いでいた為です。 さらに、合力も望めぬ環境の上に、周辺の騎士爵家からの『魔の森』支配領域の支配権すら受け入れた。 その三軍を擁するだけの経済力と軍事力に上級女伯様は恐怖を感じられた…… その事が、深層心理に有るのでしょう。 潜在的な王国の敵とみなして居られたと……」
「なに?」
「領地を持たぬ騎士爵家が、王国軍、一軍並みの軍事力を保持している。 逆心あれば、留める事は難しく、王国に仇成す勢力の梟首にすら目されていた。その疑心暗鬼が根源にあるのではないかと、朋は言います。 上級女伯様が『我が騎士爵家の経済力』を削ぐために、家中の者が周辺の騎士爵家群が要請に応え、これを宰相府に上奏した事を追認したのも…… 宰相府は、何かの布石の為にこれを受け入れたのも…… 権謀と術策、ここに極まったと、そう朋は評しておりました。 長兄様が耳にその話は入っておりましょう?」
「辺境伯閣下が此方にお見えになった時にな…… 一軍を以て安堵される様な広大な『魔の森』浅層域。 その全域に兵を配し、将を育むともなれば、膨大な金穀が必要となる。 辺境の悲惨な現実を知る母上は、失われる命を惜しみ、領域の安寧の為に家業に邁進され、十分な成果を叩き出された。 王国北域全域にて、母上の辣腕ぶりは響いておりますが故に、力持つ貴種貴顕に『危険視』される事もまた、納得しかないですね。 貴様は、どう思う? 私の考える事は、既に予見済みだろう?」
長兄様は私をしっかりと見詰め、そう言葉にされる。 長兄様の御考えは、私の想定した対応の一つだと推測できる。 先程ちい兄様に離縁も視野に入れて置く様に伝えられたのは、その一環。 曖昧な態度を示さば、王国からの怒りを買う。
長兄様も辺境が漢として、王国の藩屏たる『騎士爵家』の漢として、この状況を制御するには、取り得る方策は一つしかない。 上級女伯様の怒りを買う事になっても、王太子妃殿下の思惑を躱さねば、今後ずっと、辺境の我等が騎士爵家は政争の火種になり続けてしまう。
王国の藩屏たるを自認する代々の騎士爵家当主ならば憤死モノの状況となりかねない。
現状、深く王太子妃殿下に取り込まれつつあるのは父上。 次にちい兄様。 立太子の儀と御婚姻の儀に王都に出向かれたが故に、「蜘蛛の巣」の迷路に足を取られた。
故に長兄様は、『汚染』された部分を切り離す事にされたのだ。 極めて合理的な判断と言わざる得ない。 戦場にて死にかけ、心を壊しかけたのだ。
非情の判断と言うモノは、常に付きまとう騎士爵家ならでは果敢な判断と言わざるを得ない。
長兄様程、その決断を強いられて来た方は居ない。 そして、それに応えられ続けてこられたのだ。
――― 此れから下される断は、必然でも有る。




