――― 心の襞の奥深く ―――
状況説明は簡素に的確に。
それが騎士爵家遊撃部隊の方針でも有る。 一刻を争う事態に、悠長な貴族的接頭言葉を用いるのは、もはや犯罪的だとしか言えない。 辺境国軍を建軍するにあたり、この事は最初に申し上げるべき事柄で、組織の風通しを良くするためには不可欠な事柄でも有る。
よって、爵位に依る命令は騎士爵家遊撃部隊には存在しない。 上意下達は全て遊撃部隊内部での階級が優先する。 兵は下士官の、下士官は士官の、士官は指揮官の命令を過たず遂行すべきモノで、その他の階位がその内側に入り込む余地は無い。
騎士爵家遊撃部隊では、周辺地域の騎士爵家の子弟、準男爵家、男爵家の子弟も兵として参加している。 そして、一度新兵として訓練を施される。勿論、彼等には正式な貴族的階位は与えられていないが、出自を誇りとする事は言動の端々に現れる。
彼等の矜持が何に根差しているのかを新兵教育の間に厳しく見極める事にしている。 上位職務者が何の後ろ盾も無い国民や、国籍すら不明な寄る辺なき者であっても、遊撃部隊の部隊を任せられると見極められたならば、特に身構える事も無くその任に叙する。 その良い例が護衛隊射手長の彼女だ。
そんな彼女に、舐めた口をきく輩が新兵教育期間中に何人か出るのも事実だ。 しかし、彼女は独力で排除する。 『魔の森』で生き残った兵がどれ程の身体能力を有しているのかを直ぐに阿呆共の体に教え込む。 後は、その新兵の心掛け次第とも言えた。 それでも尚、態度があらたまらなければ、遊撃部隊に参加する必要も無く、新兵が下級兵に成る事も無く、放逐される。
能力うんぬんよりも、そちらの方が重要視されるのは、『魔の森』では一人では何もできないからだ。 そして、一人の兵の突飛な行動が、部隊全体の安寧を損なう事に繋がる事は自明の理。
一人の思惑だけで行動したければ、冒険者ギルドに登録し、冒険者として活躍すればよいのだ。 安定を求めて遊撃部隊に応募してきたのならば、我等が規約に従って貰う他無い。 自由が無いと吠えるのならば、自由にできる場所に逝けばよいだけの事。 代々続く、騎士爵家の方針でも有るのだからな。
これを王都から見えられた方々に理解してもらう。 その為には、森の中での作戦中の部隊の実情を確認してもらいたい。 『砦』へと引き返し、貴顕の方々とともに執務室に入った。 壁には『魔の森』浅層域の大地図。 通信室から随時通信文が届き、大地図へピンが打たれ、不必要な物は排除されて行く。
その様子を興味深く見詰めておいでだった司令官閣下は、おもむろに言葉を紡ぐ。
「即時性のある情報の集約。 この情報が正確な物で有るのかが、問題点では有るがな」
「通信室へお招きいたしましょうか?」
「通信室?」
「即時通信を担う重要な部署です。 私の個人資産から、寡婦となった者達を雇い入れその運用を任せております」
「どのような『通信』なのか。 連絡兵をそれ程多く雇用しているとは、寡聞にして知らない」
「連絡兵では即時性に欠けます。 遠方の支配領域からの早駆けでは、一日…… 下手をすれば三日前の情報となります故」
「そうだな…… 中央軍でもその問題は大いにある。 基幹通信として、信号所を設けてはいるが、信号所までは通信兵の役割でも有り、即時性と云う面では、かなりの困難を覚えているのも確か。 よって、前線への高級指揮官の投入が最善であると結論付けられているが、多くの場合、幕僚を伴う高級指揮官が進軍するのは信号所の近くまで…… これでは何も変わらぬ。 翻って、魔の森支配領域は、そうでは無いと貴殿は言い切る。 その通信室とやらを確認させて欲しい」
「御意に」
貴顕の方々と通信室に向かうと、そこは戦場と化していた。 そう、本邸の作戦執務室へ出頭する直前に、西方領域での魔物出現の予報があったからだ。
西方領域担当の指揮官より次々と状況が舞い込む。 続いて、掩護に向かった遊撃部隊機動猟兵隊第五班からの長距離索敵の結果から、詳細索敵の結果が送られて来ていた。
副官が私に伝えた通り、射手隊を増強した機動猟兵第八班の班長は急進行動で問題の地域に侵入。 浸透索敵を以て大まかな状況を掴み、西方領域担当の指揮官が前線を構築している事を鑑み、最速での対処を模索。 私達が通信室に到着した時点で、射手隊の射点配備を終えていた。
「指揮官、排除か追い返しかの判断を求めております」
「……魔物の種別は?」
「魔熊梟。 危険等級3級の上。 個体数2。 番かと思われます。 尚、現地指揮官より相当に飢えているとの情報も有り、目の色は攻撃色」
「巣でも作られたら事だな。 排除具申はあったのだろう?」
「はい。 状況を鑑み、排除相当とそう具申がございます」
「副官、アレはやれるか?」
「十分に。 機動猟兵の中でも熊系統の魔物には滅法強いので問題は御座いません。 更に射手隊を増強しております。 上手く使う事でしょう」
「よし、発令。 宛、第八班班長、発、遊撃部隊指揮官。 命:排除せよ」
「了解しました」
既に熟練とも云える通信員の妙齢の夫人にそう伝え、発信を行って貰う。 現状、通信線が交錯し正しい受信者への交信が困難になりつつあるのは、この魔道具の集中使用による弊害とも云えるが、それを人の手により捌く事によって何とか運用せしめているのが現状だ。これをどうにかする為に、現在でも様々な試行錯誤を繰り返している。 朋もそれに一枚噛んでいるのは事実だ。 故に、朋が王宮魔導院民籍局第五席の地位にいる事は、この辺境に於いても善き事なのだ。
時は既に深夜。 夜の『魔の森』で静かに進行する討伐戦闘。 状況は第八班の班長に委ねられている。 命令も発出した。 万が一の状況に陥っても、即座に情報は共有される。 現地では、管区所管の猟兵達と掩護の派遣猟兵達が密接に連絡を取り合っている筈だ。
魔導通信線を用いず、近距離用に使用する【念話】形式での通話。 【隠形】【隠密】【身体強化】を装備装具に付与しているので、互いの視覚認識は難しいとは思うが、其処は携帯している「蓄魔池」から漏れ出す魔力を兜の近距離索敵が拾っている筈。
違う命令系統に属する隊でも、連携は難しくない。
そう云う風に組織しているのだ、やって貰わねば困るのだ。不羈の民の末裔であり、どのような困難にも背後に住まう力無き者の為に命を糧として戦う気概は、辺境騎士爵家に連なる者達の矜持でも有る。 兵もまた、その気概を持つに至るは、不変の理とも云える。 倖薄く常に命の危険に晒されている場所こそが我等が故郷。 ならば、その最低な故郷を少しでも住みやすく、心安らかな場所と成すのが貴種と呼ばれる我等が矜持でもある。
“ 討伐完了 ”
それだけの報告伝が通信室に齎される。 簡潔に過ぎる伝聞では有るが、当初の発令者が私。宛が第八班班長ならば、この通信文の発信元は彼であり、宛は私である。
「よくやったと、そう伝えてくれ」
「はい」
一連の流れを見詰めていた辺境王国軍司令長官閣下は一つ頷かれる。 王領となった『魔の森』の基本的な作戦要綱をご理解願えたようだった。
並み居る参謀職の方々も小声で何やら意見交換をされている様であり、その御付の方々は表情を硬くして居られた。
何もかも、中央の王国軍とは違う。 正規兵では運用できるかどうかも分からない。 そんな雰囲気が、明らかに漂っていた。 あちらでは、職位以上に爵位で物事を考える御仁が多い。 軍務と云う非情な場面に於いて、最も決断を要する時に、貴族家の均衡を考慮に入れねばならないのだ。 それが所以で、軍の行動に不可解な決断が下される。
明らかに軍種として不向きな部隊が突撃を命じられたり、速度を重んじるべき騎兵部隊に陣地構築が命じられたり…… 戦史にそのような不都合な事情が散見される。 それさえなければ、軍はもっと効率的かつ精強に成ると云うのに。
問題を感じても、それを口にする事は許されない。 故に、私が王都にて猟官に努め、例え軍に奉職したとしても、たいしてお役に立てないと断を下した原因でも有るのだ。
さて、参謀殿、この現実に如何、御対処されますか? 英邁なる頭脳を持って、現実と現状を再構築するのならば、どのような答えを導き出されるのか、魔法学院で学びし学徒として、頗る興味が御座います。
……頬に、黒く昏い『笑み』を自覚したのは、その時だった。




