――― 虚像と実像 ―――
辺境女伯……
朋は自身が辺境女伯と呼ばれる事に違和感を、感じないのだろうか? 朋の自己認識では、男性なのだが…… 私は副官を伴い、護衛の者…… つまりは探索隊の部隊長たちと共に、大講堂に付随する一室に歩を進める。
作戦執務室。
いつもは騎士爵家全軍の指揮を執る為の執務室として使用されている部屋だった。 何か大きな出来事が有ると、自家である騎士爵家の当主がその主となり、連枝一門の主だった者が詰める場所。 緊急時には騎士爵家の脳髄となる場所でもあった。
近頃は兄上がその部屋の主となっている。
綿密に詳細に『魔の森』での事柄や、秘事として『魔の森』中層部での事柄を御話する場所となりつつあった。季節は移ろい、騎士爵家が継嗣が、当主となるべき時期に来ていると、そう家中の者達が噂する。その部屋に詰める、執務を執り行うとは、そう云う意味なのだ。
そんな部屋を使用するのは辺境伯閣下以下、要人の方々。 多分…… 辺境軍司令官閣下も同席されているだろうし、辺境伯家の執政官相当の先程の方も居られる筈だ。 気を引き締めねば成らなかった。
呼ばれた私達以外は、成すべきを行う為に既に本邸から辞している。 宵闇に伝令も飛んでいる。 呼ばれているのは、私と副官、そして護衛隊の面々だけなのだ。 つまりは遊撃部隊の元の首脳部のみとの交歓がお望みなのだろう。 朋ははたして…… 何を口にするのだろうか。
扉を四度ノックする。
召喚に応じ部屋に罷り越した事を伝える口上を述べる。 国軍の軍隊式の礼法を以て対峙する事にした。 つまりは…… そう云う事なのだ。 今後、私達は辺境伯閣下の連枝となり、辺境軍の実働兵力となる事が決せられている。 相応の対応をせねば、朋の矜持と誉れを汚してしまう可能性すらあるのだ。 慎重に慎重を期さねばならない。
「入ってくれ。 こっちも、肚を割って話したい。 人員は厳選している。 有象無象は部屋の中には入れていない」
軽やかな声が聞こえる。 朋らしい話し方であった。 先程の女性貴顕としての言葉は一体何だったのだろう? 顔見世と、随伴の者達への配慮なのだろうか? 扉を開け、皆と共に入室する。 軍令法に基づき、敬礼を朋へと送る。
「なんだ、もう国軍に成ったのか?」
「御冗談を。 貴顕となりし朋への敬意と思って頂きたく」
「おいおい…… やめて呉れよ、此処には事情を知って居る者しか連れていない」
「どういう意味なのでしょうか?」
「貴様が我が朋であり、遊撃部隊が『魔の森』を黒揃えと共に駆け回り、陛下より密命を受けて『中層の森』から『深層の森』を探索し『世界の理』を解く為に日々努力している…… 貴様達の全ての事情だ」
「……口調を戻しても構わないだろうか?」
「勿論だとも。 いつも通りで構わない。 公の場以外では、私は未だ王宮魔導院所属の第五位の魔導士だ。 性別は…… まぁ、仕方ない。 居候が主人に成ったと云う事にもなるな。 貴様の大切な故郷を奪う様な事態となった事、心より陳謝する」
「貴様のせいでは無いのだろう? 陳謝に及ばない」
「そう云うと思った。 座ってくれ。 あぁ、諸君等も楽にして欲しい。 探索隊諸氏と副官殿は朋の最も近しい者達であり、家族同様なのだ。 あの森を大人しくさせている手腕には敬意すら覚える。 軍関連の事柄に関しては、後程…… 元近衛総指揮官殿である北部辺境軍総司令官閣下から御話があるだろう。 だが、貴様が気にしているのは、なぜこのような事態となったか…… の方だろう?」
「まさしく。 色々と思う事は有るのだが、一応想像は付く」
「まぁな。 だが、王都の事情はその考察の内には入って居ないのだろ? だから説明してやる」
「有難い」
「なんの」
其処にノックの音。 口上は兄上の声音だった。 当然のように朋は兄上を執務室の中に招き入れ、並み居る貴種貴顕の前に座らせるのだ。 兄上も又、そうで有るのが当然のように振舞う。 そう、この部屋の主は兄上なのだからな。 おもむろに朋が言葉を紡ぐ。 謝罪でも有り、兄の配慮に対し心からの感謝を口にした。
「当面の間、この作戦執務室の使用を許可してくれた事、感謝申し上げる。 『砦』に仮の執務室を置くとすれば、辺境国軍の首脳部がはみ出さざるを得ない。 両面揃って、初めて機能する王領太夫の職務には、辺境伯の執務室が必要不可欠なのだ。 そこで、御継嗣殿に、当面の間と云う曖昧な期間ではあるが、辺境伯の執務室にこの場を借りたいと打診したのだ。 快く、申し出を受け入れて下さった。 これで、最初期の初動を遅滞なく遂行できる」
「兄上、誠でしょうか?」
「辺境伯閣下の言を疑うな、弟よ。 『魔の森』の支配地域全体を王領とされるとの陛下の御決断。 余りにも大きな負担にあえいでいた、我等が騎士爵家にとっても福音と云え様な。 ご協力申し上げる事に不満が有る筈も無い。 それに、此処は貴様からもたらされる 『魔の森』の情報が集約される場所でも有るのだ。 情報は有益に使うべきであり、秘匿する類のモノでは無い。 辺境では個人の思惑や栄誉、虚栄心が、郷土の災禍に直結する事は、貴様も良く知る事。 たとえ、この場に御当主が居られても、この決定に異は唱えられぬだろうな。 それにここはあくまで仮の住処。 辺境伯閣下の居城が完成するまでの間の、宿営地とも言えよう? ならば、存分に使って貰わねばな」
「兄上の言葉、有難く思います」
「なんの、辺境伯閣下の家門へ移る弟への餞でも有るのだ。 受け取ってくれ」
「はい」
兄弟の会話を黙って聴いていた貴顕の諸氏諸兄。 深く満足そうな表情を浮かべる朋。 先ずは、幸先が良いと思ってくださった様だった。 兄上も執務室に入った為か、いよいよ本題に移る。
何が王都で始まり、何が影響してこの事態に発展したのか。
……朋の口から語られる時間となった。




