――― 擾乱の前の静けさ ―――
状況が掴み切れぬまま、拠点を出発し出来るだけの速度を維持しつつ『浅層の森』を踏破する。
中層の森とは違い、穏やかな森の佇まいに、ホッと胸を撫でおろす。 巨大で対処に困る様な魔物魔獣の気配は無い。 中層域から侵入してくる、高脅威度の魔物魔獣の存在も、確認されていない為、従来の魔物魔獣の分布に異常は見られないのだ、当然と云える。
行く道を遮るものが居ない。 よしんば居たとしても、探索隊の面々に掛かれば、瞬時に排除可能だ。 道は整備されて、馬車でさえ通行可能なほどなのだ。 行軍速度は、森の中と云う状況では有り得ない程に早くなる。そうなる様に整備した。 だから、コレは通常とも云える。 番小屋の幾つかで、砦に向かって発信を行う。 自分達の位置を、砦に居る者達に知らして置く事は、あちら側の混乱を抑える事にもつながる。
勿論、探索隊の皆の身体能力の増進も有る。 理由は判らないが、中層域を征く我等の探索行は、我等の身体を鍛えてくれていたのかも知れない。 常に晒され続ける濃密な空間魔力。 強大な魔物魔獣の気配を四六時中感じられる過酷な環境。 寸刻も『完全なる安全』を保障されない環境。 そして、どのような状況にも即応できるように、常に神経を張り詰めていた事が、我等に変化を齎していたのだと…… そう信じたい。 事実、浅層の森を征く我等は、何時にも無く警戒度が低い。 街中を歩く気安さで、森を行けるのだ。
心は安んじられ、安寧に癒される。
浅層の森の木漏れ日の中、整備された道を行くなど、それこそそぞろ歩きと変わりない。 神経を張り詰める必要も無く、周囲に張り巡らせる感知魔法はそのままに、今回の探索行に付いての意見交換を交わしつつ道程を急ぐ。 各人が知り得た、あの設備…… 排水隧道に関する知見を擦り合わせ、その全貌を掴むべく情報収集に努めた。 そして得られる知見をどの様に宰相閣下へと伝えるかを考え、纏めた意見を皆の前で論ずる。 更なる、知見や観察結果がその意見を強化し、過去に於いて存在したであろう、未知の技術やその根幹となる見識すら推論として組上げる事さえ出来たのだ。
楽な道行は、そこまでの効果を齎した。 これ程有意義な事は無いと、私は思う。 猟兵長、観測長、射手長、輜重長、医療長。 それぞれが担う任務、限られてはいるが厳選した配下の者達。 皆が己の責務を十全に認識し全うした結果だと…… そう思う。
足取りが軽い為か、重装備の私達にして強行軍を熟し終える。 浅層の森の端に到着し、補給物資が積み上げられる森の端の駐屯地に到着。 そこから『砦』までは、定期巡回を組上げてある荷馬車へ皆で乗り込む。 そのくらいの余裕は存在するのだ。森の端の邑から邑を繋ぐ重要な物資運搬路は、なにも軍務のみに使用するわけでは無い。
森から産せられる様々な物品の交易路としても有効に作用する。
なにせ、魔の森との境にあるのだ。 国境線に沿う街道とも云える。 道の幅や施設などは、王国基準を大きく下回るが、辺境に於いては十分に機能する。 適切な位置に設置してある道標が、自分達がどの場所に居るのかを明確にしてくれる。 次の邑までの距離も、道標から読み取れる。 各邑にはその地を支配領域とする騎士爵家が、駐屯所を設け国境警備と成している事もある。 その彼等に対しての物資の補給路としても活躍している。
街道の整備には、幾つもの思惑と役割が与えられる。 典型的で理想的な『公共投資』だと思われる。 邑々を繋ぐ街道から南へ下る中規模街道もまた、重要な街道だった。 馬車に揺られ周囲を見るにつけ、その想いを深くする。 護りを固め、民に安寧を齎す事が出来たならば、目の前の光景も当然と云える。 畑には青々と茂った農産物の色濃い影。 麦は育ちにくいが、イモや豆ならば十分な収穫が期待できる。 それを栽培する労働力も、他領で喰い詰めた貧農が移住する事により確保できつつある。 耕作地は有るが人が足りないのだ。
いや、魔物魔獣の脅威に晒されていた場所では、危なくて棲みつけなかったと云っても良い。 それが、ここまで来た。 農地を無償で解放できるのは、他の地方とは隔絶された好条件とも云えるのだ。 僅かな土地を奪い合う様な事をせずとも、皆が喰えるだけの農産物が確保できるとなると、他領で喰えなくなった農家が移住してくるのは当たり前だとも云える。
この豊かな光景を護れるのならば、私達が行っている苦労の多い『魔の森』の哨戒も報われる。 近隣の騎士爵家に於いても、同様の光景が早く訪れる様に願うばかりだ。
―――
夕暮れ前に『砦』に到着する。篝火に火が入る前の事だった。「砦」の中も何やら騒々しい。「探索隊」として任務を遂行し砦に帰還した際とは、明らかに違う空気感。『待っていました』とばかりに遊撃部隊指揮官代理の任務に就いている副官が足早に私の元に来たのだ。
「御帰還、喜ばしく!」
「有難う。 副官、どうした?」
「御継嗣様より本邸に指揮官殿への召喚状を預かっております。 まだ御帰還に成られていないと御答えするも、何度も御使者が参られ…… 何かあったのでしょうか?」
「いや、此方が聞きたい。用事が有れば、砦にやって来る兄上が、正規の召喚状を発出して私を呼び出している。そこがどうにも気に掛かる。貴様が用意してくれた『探索隊』の各員は、私の専属護衛隊としても良いのだろ?」
「勿論そのつもりで御座います。ならば、御同道するのですね」
「『式典装備』を、要求されていると聞くが?」
「その通りに。 しかし、護衛隊の皆の分はご用意しておりません。 元より、必要のない式典装備を我らが準備する事は今まで無かったので、泡を喰っておりました。 指揮官殿からその必要はないとの、ご連絡を戴きましたが、如何なさる御積もりでしょうか?」
「第一種兵装にて本邸に向かう。アレは正式装備だし、探索装備でもない。 通常の遊撃部隊の装備だからな」
「あぁ、そういう事に。了解いたしました。 皆には?」
「既に伝達済みだ。各人の部屋に向かい装備転換中だな。 私も第一種兵装に切り替える」
「御意に。個室に侍女を向かわせます」
「侍女?」
「はい、通信室の御夫人方で、その経験が有る者が何人かおりまして、これまで何かと指揮官殿には不便を強いているので、自薦他薦を受け役割として任務に就いている。 そんな感じです」
「……無理は、させぬ様に」
「皆、お世話したいのですよ、指揮官殿。 高貴な方すらお見えになる『砦』なのです。 体裁は整えた方が良いとの判断でしょう。……なにせ、宰相閣下すら、御越しに成ったのですから」
「……それも、そうか。 では、頼む」
「承知しました」
自室に戻り、着衣を改める。 着用するのは第一種兵装。 つまりは、探索前に着用していた基本的な遊撃部隊の装備だ。 前世で云う所の鎖帷子の様な鎧下とそれを覆うように着用する胸と背中を護る軽装甲。腰回りの追加部分。腕に手甲、装甲靴を履けばそれで終わりだ。 装甲板は、人工魔鉱製の極薄い物であるから、シルエットは軽装に見えるが、これで従来の重装と同じ防御力を供えている。
あとは、標準仕様の兜を被り『護剣』を持てば、それで第一種兵装は完了する。
私室での装備交換には、侍女が付いてくれた。 普通は、侍従か従僕だと思うのだが? しかし、侍女は何の気負いも無く、粛々と手伝ってくれた。 相当に手慣れている。 と云う事は、この女性は、相応の家での職務経験が有ると云う事か。
ならば、そう云う風な職を斡旋する事も、彼女の未来に光を置く事に成るのではないのか。
手際が良く、業務に深い理解を持つ『侍女』は、どの家でも引く手あまたなのだ。 ……なにか、事情でも有ったのだろうか。 少々気になる所では有る。
――― 辺境に於いて、個人の事情は深く秘匿されて然るべきモノ。
そう、誰しもが、事情を抱え、いわく因縁をもって、生き抜いているのだからな。 配慮は……
『配慮』は、必要なのだ。




