幕間 16 その日、王都は爆発的な歓喜に包まれた。
王都の街は爆発的な歓喜に包まれていた。
王城直下の中央大広場。 王城のバルコニーが見える場所には、万に近い人々が犇めき合い、一目立太子した第一王子殿下を視ようと挙って集っている。口々に祝福の声を上げ、王城の強固な城壁さえも揺らぐような大歓声が中央大広場を埋め尽くしていた。
そんな中、『謁見の間』に於いて、正式に王国の後継者たるを確約された第一王子…… 王太子殿下がその栄誉を国民と共に、神に感謝を捧げる為に、バルコニーへと姿を表した。
天をも揺るがす、大歓声の中、王太子はその歓声にこたえる様に右手を上げる。 爽やかでもあり、そして、威厳を持った微笑みが美しいとも云える顔に浮かび上がる。 揚げた手でゆっくりと拳を握る。
此れから、王太子としての第一声を発する合図でもある。現王と同じ様な覇気を身体に纏わせた王太子。 父王と同じ豪奢な王族の式服を纏った身体から、王族特有の魔力の波紋が大広場に広がる。
自然と歓声を上げていた王国民の口は閉じる。
そうで有る事が、義務付けられたかの様に。
バルコニーに面した者達から徐々に静寂は広がり、やがて中央大広場に集う万に近い者達が王太子殿下の第一声を拝聴する態度をとる。首を若干下げ、真剣に王太子殿下の言葉を受け取るのだという、荘厳で儀式めいた空気が群衆の間に広がった。 咳一つ聞こえず、固唾を飲む民草を前に王太子殿下は太く朗々とした声で語り掛け始めた。
「王国の国民よ! 本日、私は王太子に冊立された。 第一王子として、研鑽と鍛練を積んだ日々。 多くの先達からの指導、鞭撻を受け、期待に応えるべく精進を重ねた。
先の北方帝国との戦いに参戦し、勝利したのは記憶に新しい。
が、それは、私一人の力では無い。国軍の断固とした戦う意思だけでも無い。王国の上層部の幾多の思索だけでも無い。私は思う。あの勝利は、国民が皆『等しく努力』した結果だと。戦う意思はもちろん必要だが、それを支える者がおらずば、奮戦虚しく戦場に散る。
ならば、あの勝利の最大功労者は誰だろうか。
それは、この王国を支え続ける諸君なのだ。
北の帝国は何を望んだかッ! それは、王国の豊かな国土である。 しかし、それは諸君らの日々の努力と絶え間ない研鑽で支えられているのだ。 私は誇ろう。 『魔の森』と云う、世界を覆う巨大な困難を、日々少しずつでも人の領域としてきた、君達を!
北の帝国はそれが判って居なかった。 そこに有れば奪うと云う、『浅はかさ』から神に見放され、国は亡びの道を歩む。 現に、北の帝国はその領土の三分の二が魔嘯により『森に沈んだ』のだ。
今まさに滅びの道を歩んでいると云えるだろう。
皆の中には、北の帝国に合力した北方の国々を飲み込んでしまえと思うモノも居るだろう。 しかし、果たして、それは神が許し給うだろうか? 日々『魔の森』の脅威に打ち震えながら、寸土を護るために独自の方策を以て、脅威と対峙している者達。
他国の健気な民草を蹂躙して、神の怒りを買い、森に沈むとすれば、それは、まさしく摂理に反する行い。 神の御意思への反逆と云えるだろう。 私は人だ。 人族の王族なのだ。 神に信託され、民を護るべく生まれたのだ。 ならば、その任は全うせねばならない。 それは、なにも、我が国の赤子に限った事では無いのだ。
この益体も無い、「魔の森」の脅威に晒され続ける世界の中で、人こそが『宝』だと、そう認識する。 人の限りない可能性と才の煌めきは、どのような財宝をも凌駕する。 金銀財宝も瑠璃玻璃の玉座も、人無くしては、何の意味も無いのだ。 我等が王国は、他国よりも強大だ。 それは、才豊かで、可能性に満ち満ちた諸君らが、精一杯に生きているからなのだ。
そのような国民が今ここに集っている。 私は神に感謝したい。
――― 何をか。
それは、諸君等を世界に満ちる『禍』から護る大任を、神より受けし事をだ。 私の全身全霊を以て、諸君らに誓おう。 王太子として、この国の未来に光を置かん事を!
――― 王国万歳! ――― 」
シンと静まり返っていた群衆は、徐々に熱気を帯び、訴えかける様に語る王太子殿下の言葉に酔う。
王太子殿下の王国万歳の声に、中央大広場に集まった群衆は歓喜の声を上げる。 王国万歳の声が群衆の口から叫び迸り、王都を揺るがす大音声となった。
にこやかに、満足気にその様子を睥睨する王太子殿下。 高く掲げた拳を下ろし、マントを翻しながら颯爽とバルコニーを後にする。 熱気の冷めやらぬ群衆の歓喜の声を聴きながら……
バルコニーから室内に入ると、先程迄の爽やかな笑顔が消失する。 冷徹で峻厳な表情が浮かび上がっていた。 周囲の傍付も、そのあまりの変わりように何も言えず、ただただ息を飲むばかりだった。 そんな中、五日後には王都大聖堂にて王太子殿下の妻となる公女がそっと近寄る。 仄暗い表情の王太子殿下は、彼女の姿を認めると、若干だが表情に明るさが浮かぶ。
「君か…… とんだ道化だな私は。 全ては用意された物なのだ。 なにもかも」
「それでも、その役目を理解し、遣り抜く殿下は素晴らしいと思います」
「素晴らしい? 何処に褒めるべき点が有るのだろうか。 陛下に…… 宰相に、用意された筋書の通りに事を運んだまでだ。 貴族共は陛下が、民は私が扇動せよと…… 決して私が率先していたわけでは無い。 信ずるを言葉にした訳でも無い」
「その事を『自覚』なさっている。 それが、素晴らしいと云っているのですよ、殿下。 どこぞの馬鹿者は、自身の役割や責務を自覚せず、愚かな茶番を演じたでしょ? そんな愚かな者とは、比べようも御座いませんわ。 自身の『役割』を自覚し、挙国一致を極限にまで推し進める。 高位貴族を含む貴顕の者達は陛下に恭順の意を示し、民草は殿下に未来を視る。 良い事では御座いませんか。 役割全うしてこその王族。 民を率い、国を守り、以て王国の未来に光を置く礎となるのです」
「心にもない言葉を吐くのは忸怩たるものを覚える。 が、役割となれば、それも又、私の責務だ。 共に進もう。 そなたが側にいてくれるだけで、心が救われる」
「そう言って頂けると、冥利に尽きますわ。 貴方と共に王国の未来に光を置けるのだと。 ただ……」
「ただ?」
「未だ、殿下の幕閣は少なく、力持つ重臣は限りが有ります。 殿下に忠言を口にする者も居りません。 殿下の表情を伺い、唯々諾々と殿下の御意思を実行する者しか…… 未来に光を置くならば、自身の目で見、耳で聴き、明晰な頭脳を持って道を見出す者が居なくてはなりません。 残念な事に、軍務卿が御継嗣は宰相府に……」
「宰相補として、研鑽に努めている。 いずれ、我が片腕となるであろう?」
「しかし、それはあくまで職務上の事。 殿下の御宸襟近くには、おりますまい。 あの方…… 少々腹黒い所が御座いましてよ? 利害反する時は、遠慮会釈なくそっぽを向くでしょう。 健気さと律義さとの対極に居るような方…… あの方は、優秀な頭脳を持たれておられますが、距離を置いての間柄となる事は間違いないでしょう。 腹心をと申し上げております。 あの肚黒子狐に負けぬ、健気で律儀な者を御側に」
「……当てが無い」
「わたくしが…… ご推挙しても?」
「君がかい?」
「はい。 小臣では御座いますが、その頭脳はあの肚黒子狐にも勝るとも劣りません。 研鑽と鍛練は常に在り、胆力も兼ね備えておりますのよ」
「ほう…… 君がそれ程の評価をしているモノなのか。 何処かの高位貴族の子弟か?」
「今は未だ…… ですが、その様に計らう様にしておりますの」
「それは楽しみだ。 ……未来に光を。 君と私で、王国の未来に光を」
「熱烈な『愛の言葉』ですこと。 承知いたしました」
囁くような声で交わされる、王太子殿下と公女の会話。 剣呑な雰囲気を醸す王太子の側にも寄れなかった彼の側近達にはついぞその言葉は届かなかった。
が、それも良かったのかも知れない。
献身を捧げている王太子とその妃に、高くは評価されていないという事実を知れば、これから迎えようとしている者への嫉妬が生じる。 日の目を見なかった者達が、突然、陽の当たる場所に躍り出た為に、彼等の全能感は最高潮に達しているのだ。 その事すら公女は読んでいる。 故にダメなのだと、評価を下している。
多少の失望感と、側近の拡充を目指した公女の想い。 王太子殿下の治世には、まだまだ障壁は多いのだと嘆息を吐く。 遣らねばならない。 有能な者をもっと、もっと、王太子殿下の側に上げねばならない。 王侯貴族の階位的柵は、第二王子の愚行で弱まっている現在、燻っていた才能を見出す機会でも有るのだ。 そう、心に誓う公女。 そして、その最たる者の顔が心に浮かぶ。
あの才は、王太子殿下の側でこそ光り輝くのだと、そう信じていた。
―――― § ――――
祝宴は続く。 国外の重要人物達がこの祝祭に乗じ、この国との国交を確かなモノとする為に、王都の彼方此方での会合に臨んでいた。
王城に於いても、外交案件絡みの会合は重ねられる。
祝祭とも云える、慶びの場の裏側では虚々実々の駆け引きが行われ、その舞台でも王太子殿下は見事にその役割を果たし責務を全うせしめた。 王国北側の連合に対して優位なる国交を結ぶ事も、大海原の向こう側に位置する島嶼国家との交易にも、西側の蛮族に備える為に、王国に恭順の意を顕わした蛮地の者達とも、東方『魔の森』と『黒の森』の更なる開墾と国土の拡大さえも、僅かな会合の間に取り纏めたのだった。
勿論、その陰には外務寮や国務寮、宰相府の面々の暗躍があった事は間違いない。 だが、王太子殿下の存在こそが、最後の一片となって、絵が完成するのだ。
悪辣とも狡猾とも云える権謀術策の中、爽やかな王太子殿下の声は通る。
その口から語られる、美辞麗句と美しい理想の『未来絵図』。 その裏側にある、悪辣とも云える王国上層部の意思をも覆い隠してしまう、彼の『存在』と『言葉』が、難しいとされていた各勢力との『合意』を引き出すに至る。 それがたとえ十全に設えられた予定調和だったとしても、彼の存在こそが絵を完成させる重要な要因でも有ったのだ。
そして、最後の一片。 王国の未来を賭した王太子殿下の『婚姻式』が、厳かに王都大聖堂で執り行われる。
各国の国王、大使、諸地域の代表者、王国の重鎮達が見守る、王都大聖堂の『聖壇の間』。
重厚な聖歌が唄い奏でられる中、深紅の絨毯の上を公女は進む。周囲を圧倒するかの『美』。 さながら地上に舞い降りた天使の様だと、外国の大使の私的な日記に綴られる事となる。
磨き抜かれた美貌に、大公家と王家の威信をかけた婚礼衣装。 長いベールと、ドレープをたっぷりに取った衣装は見る者に『王者の配』の在り様を見る。
静々と深紅の絨毯を父大公と歩む公女。 その表情はベールの向こう側に有り、参列者からは良く見えてはいない。 が、其処には、倖せに綻ぶ顔が有るのだと確信を持つに至る。
王国聖堂教会の聖壇の間。 婚姻式が行われる聖なる場所には、教皇猊下と婚姻を交わす二人の三人しか入れぬ、神への宣誓をする為に設けられた隔離された『宣誓の間』に入る事となる。 父大公にエスコートされた公女の手は、父である大公から 夫となる王太子に。
厳かで、荘厳な讃美歌と音楽が響く大聖堂『聖壇の間』を二人は進む。 深紅の絨毯の終わる場所。 王太子殿下にエスコートされた公女は、殿下に従い『宣誓の間』に入室する。 『宣誓の間』の『聖壇』の前に教皇猊下が佇んでいる。 その前に二人して歩を進め…… 聖壇の前に立つ。
「神が二人の婚姻を祝福する。 互いの名を知る事によって、この婚姻を魂の結びと成す」
巨大な聖典戸籍を開き、神より与えられた王太子殿下と公女の名を読み上げる教皇猊下。 神の前にて互いの名を交わす事で、魂の結びつきを誓約するのだ。 名を呼ばれ、互いに相手の名を口にする。 『魂結びの儀』とも呼ばれる婚姻式の式次第。 交わされる言葉により、この誓約は結びとなり、誓約となる。
「私は誓う、貴女と共に歩む事を。 この国を光へと導く責務を共に。 貴女と共に歩んで行きたいと、私は望む」
「殿下、わたくしは御誓い申し上げます。 この『命』、魂と肉体とが分かつその時まで、いついつまでも、何処までも、わたくしは殿下と常に共に在る事を」
誓約は成った。 眩い光輪が二人の間に落ち、『宣誓の間』に溢れ、そして天空に立ち上る一柱の光柱に変化する。 神が認めし『魂の結び』。 欺瞞と虚偽に満ち満ちた貴族社会の中で、王太子殿下と妃殿下の間には真摯な祈りが有った証左となった。 姿は見えぬ二人の間に、確固とした誓約が結ばれた事を聖堂に集う者達も見て聴いて、そして、感じる事が出来たのだ。
――― 此処に、王国の新たな未来が始まる。
光へと導く若獅子と、その傍に立つ雌獅子。 王国史に燦然と輝く、黄金期の到来であった。 大聖堂の鐘が大きく打ち鳴らされる。
幾重にも、
幾重にも、
祝福の鐘の音が聖堂の尖塔から響き渡っていった。
『建前と本音』。 民を扇動するは、王族の嗜み。 そこに茶番を見ても、茶番と判らぬ様にやり切らねばならない。 なぜなら、滅びの足音は常に背に有るからだ。
王太子の苦悩を、第三者視点を添えて、御贈り致します。
楽しんで頂ければ、幸いです。