――― 自然の脅威 思惑の深淵 ―――
夜も深まり、辺りは静寂に包まれる。
寝台に身体を横たえながら、手には中層域で判明している場所の地図を持ちつつ、探索路の想定もまた同時にしていた。 長い夜だった。 眠る事もまた、仕事なのだと自分自身に言い聞かせ、魔法灯火を絞る。 薄暗がりに覆われる指揮官の私室…… 中層域の騒めきに耳を澄ませ乍ら、何時しか眠りに落ちていた。
――――― § § § ―――――
中層域の魔力は濃い。 そんな中でも、いつも同じように行軍できるようになった。 あれ程悩まされていた『魔力過多症』の症状は一切出ていない。 受動型の魔法術式が上手く機能している。 配下の兵達も、以前と比べ行動に陰りは無く精強さを保っていた。
まずは、例の多層構造物が確認できる小高い場所へと進路を取る。 前回は濃い魔力濃度の為、兵達の魔力過多症状が酷く長時間の滞在は不可能だったが、それが解消されている。 小高い場所に立ち、腰の遠眼鏡で対象を確認する。 射手班の班長、猟兵の班長、一番年嵩の観測手も居た。 四人で多層構造物を確認する。
「どう思う」
「人の手によるもの…… でしょうか」
観測手が応える。 アレを見れば、誰でもそう応えるだろう。 女性の声が別の言葉を紡ぎ出す。 射手班班長の彼女だ。
「アノ造りは、王国の物では有りません。 他国の建造物にも類似しているモノは有りませんでした」
「と、言うと?」
「時間の有る時に、他国を渡る商人たちに聞きました。 あれ程の高さの、あれ程の多層構造物を作り上げる事は不可能だと、そう云って笑われました」
「何かを見せたのか?」
「絵図を。 落書きの程度のモノで、見たとは言わず『御伽噺の挿絵』として。 その様なモノが、他国には有るのかと」
「成程…… 守秘義務を守りつつ、情報を引き出すか。 良いな、それは、良い」
「有難く」
遠眼鏡を覗きながら、会話は続く。 あの多層構造物に近づくための方策を練らねばならない。 崖下の方に遠眼鏡を向ける。 鬱蒼とした森が延々と続いているのが伺える。 猟兵班長が言葉を紡ぐ。
「進路取りは、何時もの滲透哨戒で行けそうですが、一つ問題が。 あそこです…… 此処からあの構造物迄の距離の三分の一ほどの所。 見えましたか?」
「あぁ…… 此処からでも判る崖が在るな」
「多分…… 崩落渓谷が横たわっていると思われます」
「渓谷の差し渡し 250乃至300ヤルドか……」
「おおよそは。 精測は出来ませんが、此処から崖が見えるという事は、その位は有ると思われます」
「探索に当たり、行軍には大きな障害となる」
「長距離索敵と通常索敵を交互に実施したところによると…… あちら側に大きな紅い輝点が散見されます。 中層域の魔物の中でも強力な魔物と考えられますので、避けて通るほかないでしょう。 この人数では接触戦における被害は予測できません。 一つ、善き事も有ります」
「何だろうか?」
「大きな紅き輝点は、あの割れ目から向こう側に集中しております。 こちら側はまだ穏やかな方です。 気を付けて行けば、接触することは無いと思われます。 また、接触しても如何にか対抗できるかと思います」
「猟兵の君が言うのだ、正しいのだろう。 ただし、探索行では極力戦闘は控える積りだ」
「御言葉しかと」
成程、言われてみればその通りだ。 強力な魔物や魔獣の分布も、この高台の上からならばおおよそは判る。 『索敵魔道具』の探知距離を最大にする釦を押し込み、広く魔の森中層域を見る。 猟兵班長の言葉は正しく、崩落渓谷の向こう側とこちら側では生息する魔物の脅威度が二、三段違う。 渓谷の向こう側の脅威度が跳ね上がると云っても良い。 あの渓谷を超えたとしても、探索には相当苦労するのが予測される。 別に討伐に来ている訳では無いのだ。 『中層の森』の知見を得る為の探索行なのだからな。
「よし、まずはあの崩落渓谷迄の探索路を模索しよう。 行動は滲透哨戒となす。 皆、隠密行動を旨とし、戦闘は極力避けよ。 自衛と防衛以外の戦闘はコレを禁ずる」
「「「ハッ!」」」
これまでの準備段階で、帝国の進撃路から西側の森の探索は進んでいた。 どの辺りにどの程度の魔物魔獣が縄張りを持っているのかも、おおよその所は判っている。 比較的行軍に適した進軍路も当たりは付いている。
少しずつその道を伸ばして行けば、崩落渓谷のこちら側には、案外早く付けるかもしれない。 辿る森の中の『獣道』を、浸透哨戒と索敵滲透を以て辿り行軍する。 時折、行く先が正確な方位である事を確認する為、巨木に登る事もある。 その道の一人者とも云える猟兵が帯同してくれている。 『森林走破』の技巧を有するその者は、するすると大木を登る。 その様子を根元から見上げながら、大したものだと感嘆を覚える。
征く道に対して、正しい方向に向かっている事で、探索隊としての行動は遅滞なく進められた。 深い中層の森は、只でさえ空間魔力量が濃い。 しかし、その中でも自由に動き回れるのは、朋の作り上げた魔道具のお陰である。 ただし、問題も有るのだ。 肌に密着して着込まねば成らぬ特性上、汗をかくと張り付くのだ。
少々頂けない。
理論的には、魔道具と肌の間に薄く汗を吸う下着やシャツを着る事は可能なはず。 ただ、受動術式での術式発動の為、出来れば肌に密着した方が誤作動の確率は減る。 それは判っているのだが、少々不快なのだ。
長距離を歩き回り、様々な知見を得る為の探索行。 そして、濃い空間魔力量の中という状況では、不快さはある意味対価とも云えるのかも知れない。 湿潤な森の中で、汗を額から落としつつ、隠密行動での進軍はかなり疲れもする。 出来れば、安全な場所を見つけ、一息入れたい所だった。
深い森の樹々から零れ落ちていた木漏れ日が突如光の幕となる。 森が切れたのだ。 目の前に巨大な断崖が浮かび上がった。 吸い込まれそうな青空の下、下方を望む事すら恐れを抱くような深い渓谷。 遠眼鏡で精査したところ、予測した通り差し渡し285.3ヤルド。 崩落渓谷の底は見えない。 霧に霞んでいて、轟轟たる水の流れる音が遠くに聞こえる。
「この分では、下がって上がるのは至難と思われます」
「確かに。 下るには、崖が険しすぎる。 滑落が容易に想像出来る上、下方に至るにつれかなり濡れていくだろうから、滑る事は容易に理解できる。 それにこの音だ。 相当なる急流が有ると見て間違いないな」
「地橋を探すか、渓谷が閉じている所まで向かうか…… でしょうか」
「どちらも望み薄だな」
「……思案のしどころですな。 善き事と云えば、下方の激流と崖の上からの落水で、この辺りの空間魔力濃度はそれ程でもない所でしょうか」
「猟兵長、良い所に気が付いたな。 観測手長、この辺りの精密索敵を実施。 魔物、魔獣の当たりを付けてくれ」
「了解」
私も自身の『索敵魔道具』を使用して周囲の探視を開始した。 全体的に紅く染まる視界は、空間魔力が濃い証左である事は確か。 ただし猟兵長の言葉通り、断崖の周辺は魔力量が周辺よりも薄い。 そして、特筆すべきなのは紅い輝点の少なさ。 つまり、強力な魔物魔獣が断崖近くには寄ってきてはいないという事だ。
――― 何故だ?
魔物や魔獣は捕食の為に徘徊をするモノではある。 そして、その行動は予測を付ける事は難しい。 『縄張り』と言う生活圏は持っているらしいのだが、逸脱する行動を取る魔物魔獣も多い。
良く見られるのは、大型の魔獣や体内に高密度の魔石を持った魔物魔獣の骸を死肉漁りしている様だった。
ん? 死肉漁り? アイツ等…… 何を喰っていたんだ?




