――― 時は満ちる ―――
我が騎士爵家の『魔の森』に対応する為に必要な予算。 既に、莫大な額に達してはいる。 それを上手く纏めておられたのが母上だった。 騎士爵家の差配する『商い』での儲けの、殆どをそれに流さざるを得ないのは、至極真っ当な事。 今回の魔石買取と言う考えは、『魔の森』から我等辺境の騎士爵家が受け取る事が出来る『益』を、真っ当に受け取るというだけの事なのだ。
そう、物品の流れ、金銭の流れは従来と変わらず、利益の【 取り分 】だけが変更になる。
それだけを当て込んでいたとは、言えない事実もある。 なにせ、何時討伐が有り、何時十分な品質を持つ魔石が入手できるか判らぬのだから。 従来は、臨時の収入と言う形で『寄り親』家の懐を肥やしていたにすぎないのだ。 それを、実際に狩った者達に渡すだけなのだ。
なにも上級女伯家の懐を痛ますことは無いのだと、そう云い放ち強引に認めさせたとかなんとか……
ちい兄様、” やる人 ” だとは思っていたけれど、そこまで力を付けられたのか。 ある意味、幼き頃からの母上の薫陶を、表出されただけなのか。 それを受けて、北部辺境騎士爵家各家が秘蔵していた魔石も放出する事になったのだ。 相当数集まった魔石を前に、上級女伯家の財務官が悲鳴を上げた。 兄上様の良い(黒い)笑顔が記憶に残った。
―――― § ――――
着々と森の整備は進みつつある。 副官は拡大した遊撃部隊の長官となり、その辣腕を振るっている。 古強者と称せられるほどに、実績を積んだ実戦指揮官が居るのだ。 他領の兵達も又、我が騎士爵家の訓練に参加し、装備装具を受領。
基礎が出来ているので、本当の新兵よりも随分早く実戦に投入出来る。 そうしても問題は無い。 そして、彼等が持つ潜在的能力はここで花開き、『浅層の森』の安寧は保たれるに至るのだ。 その陰で、森の整備は着々と進めてもいる。 我が騎士爵家の支配領域と同じように番小屋の整備とそれを繋ぐ森の道の開削を進めている最中でもある。
後顧の憂いは此れで一応の決着を見る。 よって、私は橋頭堡への前進を決める事が可能となったのだ。 任せられるところは任せ、汗をかくべき場所で汗をかく。 兄上も父上も、その要所は心得られておられるのだ。 私はその差配に従う迄。 粛々と部隊の編成は更新され、戦え護れる組織へと生まれ変わっていった。
様々な人々の提案と努力と研鑽の結果、ようやく準備は整った。
騎士爵家の内情だけが全てでは無いのだ。 此れからの探索に於いて、十分な休息を取れる拠点の整備も又、成さねば成らぬ事柄でもあったのだ。 そして、それは現状望みうる最高の結果を私に供してくれた。 いや、作り上げたと云っても良い。 そう、騎士爵家に於ける私の影響範囲の総力を結集したと云っても良いのだ。 装備、装具は言うまでも無く、人員も輜重も全てが整えられた。
『橋頭堡』の強化も図られたのだ。
長期に渡る滞在も視野に入れた事により、更なる拡大と通信能力の強化も提案され兄上の了承の元で実行された。 金穀が掛かる事は承知の上。 しかし、幾つかの魔道具の権利を騎士爵家に譲渡する事により、その費用を賄う事になった。
色々と新基軸を試したく思ったのもある。 朋から託された新型の魔道具も、その有効性ゆえに投入した。 人では無く拠点強化の為に幾つか変更した部分も有ったが、おおむね間違いの無いモノが出来たと自負する。
『橋頭堡』は岩塊を繰り抜いて作り上げた拠点。 その点においては強固である事は間違いない。 魔獣、魔物の襲撃にも十分なる対応も可能。 だが、空間魔力量の多さだけは如何ともしがたい。 長期間の滞在には全く向かない。 その事実は、以前より兵達からも指摘があった。 魔力酔いの症状が、砦や本邸の訓練施設に居る時より、緩和されないのだ。 空間魔力量の多さが問題なのだと認識できる。
今後、橋頭堡は中層域探索に於いてとても重要な拠点となる。 さらに、長期間の作戦が予測される事もある。 よって、何らかの対策を取らねばならない事は明白だった。 そこで目を付けたのが、朋が作り上げた新型の魔道具。 例の身体に密着する薄い全身タイツの様なモノ。 身体の動きに追従する為に、伸縮性が重要視されていた為、特殊で稀少な材料が必要だった。
考えは単純なモノだ。
その繊維と魔法術式を拡大して、部屋の内側に所定の位置関係で貼れば、部屋の中の魔力濃度が一定且つ砦や街での空間魔力濃度と等しくなるのではないかと。 伸縮性は繊維自体では無く織り方でもある程度は担保される。 魔法術式に関しては私がどうにかする。 直接、術式を書き込むのであれば、それでよいのだが、橋頭堡の大きさを考えるならば、大量に必要となる。
先ずは、繊維側。
糸自体に伸縮性を求めなければ、同様の性質を持つ他の部分でも可能だ。 つまり、あの特異点たる魔蝮の胴体の抜け殻を使用した。 後は全て製法書に則り作る。 ちょっと、硬いがそれなりのモノを作り上げられたと思う。 織師には苦労を掛けた。
次に魔法術式の染め抜き。
否が応でも時間が掛かる事は理解していた。 出来れば簡素化したく色々と考えた。 そこで、一つ思い出した事があった。 薄い金属皮膜を準備して、前世で云うシルクスクリーン印刷で量産する事だ。 拾った雑誌の広告に、その様な業者が居る事を私は知っていた。 そして、細かくその工程が記載されていたのだ。
それを思い出した。
インクは朋の作ったモノを使用して、魔力遮断塗料は私の開発したモノを使う。 まぁ、室内が暗くならない様に、黒では無く『魔力遮断塗料』の色を抜いたのだが、純白とは成らなかった。 淡い黄色っぽくなってしまったが、真っ白よりも目に優しい。 前世で云う所のアイボリーホワイトと言うやつか。
試作品を作り、橋頭堡に送り工作兵により拠点内壁の『壁紙』として使用した。 『結果』は上々と報告された。 これで目途は立った。 急ぎ量産し、作り上げた全量を以て、橋頭堡内部の主要施設と拠点宿泊施設の壁を覆い尽くした。 効果は思った以上だった。 橋頭堡内部の空間魔力量が『砦』周辺と同等に成った事を確認できた。
――― 人の問題も重要だった。
私が居ない間、遊撃部隊そのものを運用する者が必要だった。 兄上は街から動けない。 これは、兄上が護衛部隊の専任指揮官であり、騎士爵家の御継嗣である事から動かせない。 そこで白羽の矢が立ったのが、私の副官を務める者。 彼は先日の緊急事態に於いても、十分に遊撃部隊を纏めてくれていた。
最初は固辞していたが、私と兄上の二人掛かりで説得した。 やっとの事では有るが、十分な支援を約束する事と引き換えに、副官は遊撃部隊指揮官代理としての任務を引き受けてくれた。 これで一安心と言うものである。
中層域の探索に関しては、とにかく時間が必要となる。 一度の出撃に優に一月は必要となるのだ。 兵の消耗も大きい。 これまでの輪番運用間隔では対処しきれない。 よって、遊撃部隊から近衛隊は完全に切り離される事になった。 この編成は、副官を伴った会合で兄上にも相談済みなのだ。 そして、兄上は快く承諾し任命して下さった。
任務の重さを良くご存知の兄上だから。
” 生還を確立する為の方策として、善き策である ” と、そうも仰って下さった。 人員に関して、主力からの大幅増員も裁可された。 今後の事も鑑みて、順次人員の所属を主力から遊撃に移動し、近い内に統合すると仰った。 例の件が本決まりになった事を受け、騎士爵家の軍組織改編を行うとの思召し。 『後顧の憂い』は、兄上が担って下さると仰って下さったのだ。
全ては、私の手を自由に動かす為の思惑。 ならば、やらねば。 遣らねば、辺境の騎士爵家の漢としての矜持が立たない。 砦に於いて、中層域探索の任に就く。 選抜された近衛隊を前に、『橋頭堡』へ拠点を移す事を宣言した。
出立時の朝。 私は皆の前に立つ。 そして、宣言する。
「遊撃部隊の支援が決せられた。 背中は任せられる事となった。 少数精鋭たる君達と私で構成される『探索隊』は、拠点を『橋頭堡』へと移す。 これまで以上に緊張が続く任務となるであろう事は、想像に難くない。 が、平常心を以て事に当たる事を期待する」
「「「応」」」
「『橋頭堡』に向かい、進発する」
荷馬車に分乗し私と護衛隊は、遊撃部隊の輜重隊により拠点へと向かう。 荷馬車での移動も、随分と手慣れたモノと成っていた。 此処が北辺の浅層の森の中とは、他の地域の者達ならば信じられぬだろう。 それ程に、安全を確保したのだ。
偏に、我等が騎士爵家の不断の努力の結晶と感慨にふける。
此処まで準備が整えられた事を神に感謝申し上げよう。
奇しくも進発した日は、第一王子殿下の立太子の日。 晴れやかな祝賀の日に進発できたことを誇りに思う。 そして、御婚姻もあるのだ。 国を挙げての慶事なのだ。 私達の道行にも、『加護』が有らん事を祈るばかりだ。 あぁ、国を挙げての『慶事の祈り』に、神が大いなる加護を与えて下さるのならば、そのほんの少しでも……
――― 倖薄き辺境へ頂けるのならばな。




