――― 探索の行き詰まり ―――
橋頭堡に到着したのは、夜半前。
月が大きく天空に掛かっていた。 滝の周辺は、巨木も無く空が見える。 さらにエスタリアンの彼女が操る『ワイバーン』が、着地が容易な様に、簡便な『滑走路』と言うべき広場すら設けているのだ。 森の中にしては、空が広いのも十分な理由だ。 更に言えば、『番小屋』から『橋頭堡』へと拡張してある事も又理由の一環だ。 煌々たる月明かりの元、私達は私達の安全な塒に還って来たのだ。
精神的に疲弊しきった探索行。 この探索路を執る事は、兵達の士気にかかわる。 自分達が何を成し、その結果どれほど多くの命が失われたかを叩きつけられたようなモノだ。 今も隊の士気が如実に落ちている事は誰の目にも明らかだった。
これでは森の探索を続ける事は出来ない。 帝国軍侵攻路を逆に遡る探索は…… 放棄した方がいいと判断した。
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『橋頭堡』には、簡易的だが風呂も有る。 交代で身を清め、着衣を改める。 中層の森の入口という、知らぬ者から見れば極めて危険な場所であるが、危険は極力排除してあるのだ。 魔蟲除けの香も焚いている。
【呼子残響機】も配置し、周辺に強力な魔獣や魔物が出現しても、遠距離からその存在を感知できるようにしている。 また、『橋頭堡』の殆ど全ては岩塊を繰り抜いた洞穴とも言える場所に作り上げている。
ロックワームの様な地中を進む魔物であっても、なかなか進めない岩塊の中にな。 その上、土魔法の使い手により、洞穴内の壁面は鋼鉄並みに固められている事も有る。 緊急時の掩体壕としても十分に機能する程、強固に固めたのだ。 故に、『橋頭堡』内では兵達も訓練場に居る時くらいには寛げるというもの。
風呂で身を清め、温かい食事を取る事が出来ると云うだけで、荒野や『魔の森』の中での野営とは一味も二味も違ってくる。 緊張の連続である、『魔の森』の探索行に於いて、この拠点を持てたことは何よりも重要な事だと思うのだ。 もし、此処が存在せず、森の端から毎回探索行を始めるとしたら、探索距離が延びれば伸びる程に消耗が重なり、当然探索力は伸び悩む。 それを見越し、十分な休養が取れるようにと整備したのだ。
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中層の森とは、緊張を強いる場所なのだ、初回である今回、思い知った。 帝国軍の残滓だけでは無い。 索敵魔道具に幾度も強き輝点が浮かび上がるのだ。 その強度と明度から、中型の魔物と思われる反応。 浅層の森では一年に一度か二度程しかお目に掛かれない様な反応であり、その様な魔物や魔獣が出たとなれば、騎士爵家の主力部隊が総勢で対処するだろう程のモノだ。
それがまるで、角兎程の頻度で出没するのだ。 危険極まりない。 警報が発せられるたびに、発見される事を避けるために動き回らねば成らないのだ。 手練れとは言え、何度も何度も遭遇すると、相当に疲労も溜まる。 疲労が溜まれば、注意力も落ちる。 いずれ見落としが生まれて、不意を突かれる……
――― 悪循環でしかないのだ。
よって、余力の有る内に帰投する事は最初の方針で決まっていた。 少々逸脱していたのは、目の前の惨状に心を痛めたからだ。 前へ向かう意思と同じくらい、安全を心掛けねば、要らぬ消耗をしてしまう。 消耗とは失う命の事だ。 その様な事は認められない。 断固として認めては成らないのだ。
――― 立哨以外は寝静まった深夜。
簡易な執務室の中で、小さな魔法灯火の光の下、翌日の探索行程を考えていた。 確かに、原生林を歩くよりも帝国軍が侵攻した道を逆走する方が距離は稼げる。 しかし、それは本当に『中層の森』の探索と云えるのだろうか?
アイツ等だって馬鹿では無い。 本当に危険な場所を避け、十分な安全を確保できないルートを選定するとは思えない。 虎の子の精鋭二個旅団を投入するのだから、最も安全なルートを取らざるを得ないのだ。 と言う事は、あの道は『中層の森』の中でも、魔物魔獣の影が薄いと思われる場所。
川沿いに進むという事は、空間魔力が薄いと云う事にも繋がるのだ。 当然、危険な道を避けようとすれば、『中層の森』の踏破は極力短距離が望ましい。 つまり、あのままあの道を辿っても、早々に分水嶺に到達し中層域から帝国領域の『浅層の森』に到達してしまう可能性が高いだろう…… 探索行の意味が無くなる。
ツラツラと、そんな事を考えつつ、今日一日で判明した測地結果を記した地図を見続けていた。 起点は『橋頭堡』。 北へと続く、北から流れる川の傍を道の両側200ヤルド程を網羅した地図。 目印に成る様なモノと、魔物魔獣の出現が報じられた場所と方角。 食料となりそうな植物魔獣の有無…… 情報は集約され、一枚の地図に落とされている。
「こっちの道は…… 余り、探索の価値は無いな」
小さく呟く。 元来わたしは独り言を言う性質では無い。 前世から引き継いでいる性格の故だ。 考えは全て頭の中で行い、言葉にはしない。 ……しない筈なのに、この時ばかりは疲れからかつい口に出てしまった。
「隊長…… お悩みですか?」
「ん? あぁ、班長か。 どうした、眠れないのか? 疲れている筈なのだが?」
「はい。 ……いいえ、その、目が覚めまして厠に行こうかと思いまして。 そうしたら、此方から明かりが見えましたもので……」
「そうか。 いや、済まない」
「いいえ。 あのっ! あの…… お茶でも如何ですか?」
気を使ってくれているのか。 指揮官が悩む様子を見せる事は、兵に要らぬ不安を与えてしまう。 魔法学院 騎士科でも教諭達が口を極めて教授してくれた事なのにな。 なんて事だ…… 自身の至らなさを、また見せつけられてしまう。 まだまだだな…… 私は。
「そうだな。 考えを纏める為にも、一杯頂こうか」
「はいッ!」
何やら嬉しそうに茶器を用意し、茶の準備を始める射手の彼女。 普段は軍服と強固に固めた防具姿しか見ていないが、流石に休む時ともなれば、鎧下姿となるのか。 強固な守りを作り上げた『橋頭堡』の中だからだろうか。 『砦』で見る彼女とは違う姿だな。 やがて温かく柔らかな香りのする茶が私の前に差し出される。
「通信士のおば様に教えて貰いました。 もう深夜になりますから、こちらを。 『よく眠れるようになるから』と、頂いた茶葉です」
「『橋頭堡』に持って来ていたのか?」
「はい。 探索行は緊張の連続ですので、せめて眠れるようにとおば様方が…… 持たせてくださいました」
「そうか。 『砦』でも勉学は続けているのか」
「はい。 なんの教育も受けていなかった私ですが、訓練場で読み書きを習い、『砦』でもおば様方に教えを受けております」
「そうか。 善き師に就く事は、自身の知見を広げる事にもつながるからな。 善き事を聞いた」
「騎士爵家の皆様が御示しに成る、我等兵への慈しみに感謝しております」
「軍務を担う兵は、相応の教育を受けねば指揮官の意思が伝わらない。 命令書が読めぬ者は、容易に危地に陥るのだからな。 戦訓を告げても、理解する下地が無ければ無神論者に神官殿が教えを説くのと同じだ。 良く判らないばかりか大切な事柄を、無駄にしてしまう。 良く学び、良く鍛練し、もって故郷の安寧を護る者と成って欲しい」
「はい。 仰せのままに」
一口茶を啜る。 爽やかな香りと、柔らかな味が鼻孔を擽り、喉に滑り落ちる。 濁る思考が、刹那の時間、透き通る。 今後の探索路に関しての暗示の様な欠片が、不意に脳裏に浮かび上がる。 きっかけは…… 忙しさに紛れてしまった、私の興味の対象。 それを誘発したのは、茶を入れてくれた、射撃班の班長である彼女の顔。 その事が……
――― 悩む心を、少し軽くしてくれた。