――― 『指針』は、愛情と共に ―――
一通りの報告は済ませた。 余り表に出せない『討伐報告』なのだ。 善きように兄上は、正規の報告書を綴られる。 余りの危機の大きさに、単純に表に出せば大騒ぎになる事は必至。 つまりは、秘匿され、事は矮小化される顛末となるだろう。 その方が都合がよいのだ。 知る者は『事情を知る者達』のみ。 遊撃部隊の戦闘力が、王国の物知らぬ貴族の方々にとって魅力的に映らなければ、それで良いのだ。
ぼんやりと、執務室に掲げてある『魔の森』の大地図に視線を向ける兄上。 良く通る静かな声で私に問われた。
「で、どうするのだ、これから」
「はい。 国王陛下の『勅命』たる宰相閣下の秘匿命令を実行する事を目指します。 先ずは『中層の森』の探索に着手します。 あの濃密な魔力をどうするかが問題なのですが、橋頭保は得ました」
「滝上の『番小屋』か。 今の所、最深部に在る拠点でもあるからな。 あそこの拡張を最優先にするのか?」
「はい。 輜重隊が『浅層の森』を不安なく行動できるように森の小道の整備を進めます。 直線で結ぶだけでなく、数本経路を繋げるように…… 危機回避を主眼として開削するつもりでも有ります」
「既存の小道の拡幅か?」
「少なくとも、馬車一台が通れるように」
『魔の森』の中で、なにか行動を起こそうとする。 それには膨大な物資の備蓄が必要なのだ。 護衛部隊の指揮官でもある兄上は、その事を熟知されている。 如何に強大な勢力を誇る軍勢も、兵站が整わねば『烏合の衆』となりかねない。
最深部の『番小屋』の拡充は、森の深部探索には必要不可欠であり、その為には膨大な資材と物資の搬入は必須ともいえる。 それを支えるには兵站路の整備は避けて通れない。 つまりは、そう云う事なのだ。 一つ一つ積み重ねねば、目的は達成できないのだ。
「成程な。 整備には主力と守備の工兵と輜重を使え。 その様に発令して置く。 遊撃が助力を求めていると云えば、合力に不安はない。 皆、お前の装備が如何に『自身の生残性』を高めたかを知っているからな」
「有難い事です。 今後は朋も魔道具の開発に絡んできます。 対人戦闘以外ならば、武器や防具の開発の助力も期待できますから」
「そうか。 友誼は大切にしなくてはならないが、相手は貴顕の御令息だ。 気を付けろ」
「理解しております。 魔術馬鹿では有りますが、紛う事無き高位貴族の御子息ですので」
「判っているならば、それでよい。 使命の達成は…… 幾代後に成るか…… 遠く、そして、難しい御役目だ。 『重き荷』を与えられたな」
「はい。 騎士爵家にも負担が掛かります。 申し訳なく……」
「この国の危機を救った事を秘匿する代償なのだ。 お前にとっても騎士爵家にとっても仕方のない事。 思うに、弟の上級伯家への婿入りも又…… その線に乗った思惑の果てかも知れんな」
「御意に……」
そうなのだよ。 本当に、そうとしか思えないのだよ。 先に次兄様の御婚姻が決まっていたとはいえ、その方が実にしっくりくるのだ。 何時から思惑が始まっていたのか。 先手、先手と考えられる。王国貴種の方々は、一体…… 何時から何を考えておられたのだろうか?
王都の貴顕の方々には、何が見えていたのだろう。
そして、何が決定打になり、次兄様の婿入りが決せられたのか…… 次兄様の戦功は、前代未聞なるモノであったのは、それは間違いないのだが…… 騎士爵家の男児が上級伯家に婿入りと云うのは、甚だ貴族の常識から逸脱しているのだからな。
宰相閣下の肚が見えないのだから仕方ない。 そう云えば、軍務卿家の方々がいらしていた筈なのだが…… そちらの方は大丈夫だったのだろう。 書類上とはいえ、次兄様は軍務卿家に養子に入られた事になっているのだが? 少々気に成り、兄上に問うてみた。
「軍務卿家は次兄様の婿入りと、軍務卿家への養子受け入れについてどう思われていたのでしょうか?」
「……よくわからん。 軍務卿は身内に有能な軍人が揃う事に、慶びを感じられている。 御継嗣の近衛参謀殿は妻女共々、もろ手を挙げて賛成しておられた様だ。 上級女伯様や大公閣下夫妻ともにこやかに語られておられたからな。 引っ掛かっているのは、多分軍務卿の御妻女ともう一人の御令息。 確か…… 王国軍第二軍の参謀職に有ったと思ったが……」
「第二軍首脳部は先の戦役で帝国軍の奇襲を受け壊滅しておりましたね、そう云えば。 生き残られたか」
「そうだったな。 その汚名の雪辱の機会も失われ、代わりに弟が帝国本領軍の司令部を奇襲。 コレを殲滅した…… だったか。 それは思う所もあるな。 だから、あの昏い視線だったのか。 と言う事は、軍務卿の奥方は……」
「噂では聞いております。 双子なのに溺愛しているのは片方の息子だけ。 ……兄上、他山の石とせねば成りません。 愛情は双方共に注がねば、ああなります」
「判った。 妻にもそういう。 アレを見れば危機感も覚えるであろうしな」
「御婚姻式で暴れる様な不作法は成されなかった事は善き事なのでしょう」
「軍務卿と御継嗣の目が有るからな。 既に色々と動かれておられるようだ。 此方に飛び火するような事は無かろうと思う。 その為に大公閣下ご夫妻が御臨席に成ったという事だと思う。 この婚姻は国王陛下の御意思でも有るのだと云わんばかりだからな」
「確かに。 ……その通りですね。 我等が騎士爵家は、知らぬところで大いに注目されている……」
「あぁ、弟…… いや上級女伯が配として、目立っているのだ。 何かしらの『韜晦』を目的としてな」
ジッと私を見詰めて来られる兄上。 私の事かッ!! 私なのか!! 重大な事柄だと思う。 それ程までに、国王陛下 及び 宰相閣下は、私の任務を秘匿し目を逸らせたいとの『思召し』なのだ。 エスタリアンとの交流は、それ程に…… 『慎重』に成らねば成らない事柄と言う事なのだ。
――― 理解した。
「…………兄上は、エスタリアンの娘と面識はありましたよね」
「あぁ、帝国軍から奪取し此方で収容した時だがな。 あの四十名の子共達を見て、私も秘匿を考えた。 口には出せなかったが、今は口に出さずに良かったと思う。 私ではその後の展開を読み切る事は出来なかった。 所詮は辺境騎士爵家の継嗣に過ぎないのだ。 中央やまして諸外国の状況など読めない。 だから、お前に一任したのだ」
「そうでしたか。 私にも手に余りました。 宰相閣下に丸投げしたようなモノです。 ただし、あちらの意向はきちんと伝えました。その上でのご判断なのでしょう。 『まだ時では無い』 そして…… 『もう始まっている』 でしたね」
「中央政治の機微は判らん。 辺境のこの地を守るだけで精一杯の私だ。 『別命』は、お前に任せるよ。 私から云える事は唯一つだ」
「何なりと」
「死ぬな。 少なくとも私より先には」
「努力いたします」
「お前は…… そういう所だぞッ! 何故、『はい』と素直に云えん」
「簡単にお約束できるような事柄では御座いませんので、ご容赦ください」
「……お前も精一杯の返答と言う訳か。 判った。 森の探索に期待する」
「御意に」
兄上との会話は、いつも愛情に溢れているのだ。 私の身を気遣い、その上で『使命』の重さをよくご存知なのだ。 だからこそ、騎士爵家の男児として期待には応えたく思うのだ。 険しく困難な道だと知っていたとしても尚、私がその道を歩む最大の理由なのだ。
こうして、指針は決まった。 先ずは最奥の『番小屋』の拡張。 その為の『浅層の森』の小道の拡幅と安全対策。 これ無くして、中層の森への道は険しく遠い。 ならば、やるしかあるまい。 私の執務室に掲げる森の大地図に必要な事柄を赤字で入れる。 兄上もしっかりとその地図を見詰められていた。 遠く遥かな道程。 成すべき事は多く、生涯を賭けた使命とも言えるのだ。
気を張らねばならない…… これからも、弛まぬ努力を強いられるのだ。 へこたれ負けそうになる心をどうにか奮い立たせ……
――― 困難な道を打通する方策を模索するのだ。




