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異世界転移したら同級生がいた

作者: 読み専




 高校からの帰り道。

 普段乗っているバスを逃してしまって、待ち時間の30分でどうせだから探検でもしようかな、という軽い思いつきで、私は目に付いた道をフラフラと宛もなく歩いていた。

 可愛らしい外観の雑貨屋さんや雰囲気の良さそうなカフェを見つけて次の機会に入ってみようと決意したり、激安価格の自販機を発見したり、紅葉の穴場スポットと言えそうな公園を見つけたり、一通り冒険心が満足して、そろそろバス停に戻ろうかと踵を返したその時。


ふわり


 と、踏み出した1歩目が何故か空を切り、あったはずの地面を通り越して、私は真っ暗な空間へ落ちていった。





 落ちている途中に恐怖のあまり気を失ってしまったのか、次に目を覚ました時には見知らぬベッドの上だった。


「ここ、は……?」


 上半身を起こして辺りを見回してみるが、内装や窓の外を含め、本当に一切の見覚えがない。

 現代日本でまず見ることがない中世風の洋館を思わせる装飾に、ここに来たきっかけであろう謎の空間への落下も相まって、最近流行りらしい『異世界転移』の文字が脳裏をチラついた。

 多分、転生でないのは確かだ。

 さっき喋った時に聞こえた声は自分のものだったし、視界の端に見える長くなってきた前髪は普段通りに黒いから。

 服装は、ここに寝かせてくれた人の配慮なのか制服から寝間着のようなものに着替えさせられていて、少し離れたところにあるテーブルの上に綺麗に畳まれた制服が見える。



コンコン


「入るわね」


 一通りベッドの上から部屋を観察していたその時、不意に扉がノックされて女の人が入ってきた。

 格好は、舞踏会とセットでイメージするものよりは飾りの少ないドレスで、外出しない時の屋内用に誂えたものに見える。髪や瞳は意外にも地球に有り得る金髪碧眼で、たった一人分のサンプルだが2次元でしか見ないカラフルな地毛の人はいないのかもしれないと思った。

 ただ、取り敢えず、声の聞き覚えも顔の見覚えもない、見知らぬ人であることは確かだ。


「……あら? 目が覚めたのね、良かったわ」


 ベッドの上でどうしたらいいのかと硬直してしまった私に、私の親よりはやや若々しい外見をした見知らぬ女の人は、想像以上に優しげな声でそう言った。


「あなた、異世界からの客人(まれびと)でしょう? 我が家の庭に横たわっているのを、たまたま庭でアフタヌーンティーを楽しもうと思って外に出た私が見つけて客間に運び込んだのよ。お洋服はうちのメイド……女性の使用人に変えさせたから、そこは安心してね。

 それで、体調の方は大丈夫かしら?」


 柔らかな顔つきの女の人が話す事をまだ混乱が消えない頭で聞き、


「大丈夫、です」


 と、ぎこちないながらに半ば反射で答えた。


「そう。でも、何かあったらすぐに教えてちょうだいね。

 ちなみに、貴女のお名前を聞いてもいいかしら?」


「真由、です」


 フルネームだと山下真由。ただ、右も左も分からない異世界でフルネームを教えるのは少し怖くて、苗字は言わなかった。


「マユちゃんね。何も知らない場所で大変でしょうけど、この世界での生活は私が保証するから安心して……と言っても、すぐには無理よね。

 この国とこの世界について少し説明するから、聞いてくれるかしら?」


 その問いかけに、私はひとまず首を縦に振った。




 そうして彼女が話してくれたのは、異世界から人が落ちてくるという現象が、年に1回ほどの頻度でこの世界の何処かで起こるという事。2年連続で同じ国に落ちてくる事は無く、落ちる場所は基本的に人里に限られるそうだ。

 世界を越える時に通った暗い空間に何か不思議な力が満ちているのか、その残滓を纏う異世界人が落ちてきた場所の周辺ではささやかな幸運(子宝に恵まれたり、作物の育ちが良くなったり)を得やすくなるらしい。

 そしてその土地の領主が、もたらされた幸運の礼として異世界人を保護する、という決まりがこの国にはあった。


 決まりができる以前の権力者たちが異世界人に奴隷以下の扱いをしていた時代もあったらしいが、豊作が幻だったかのように不作に悩まされるようになったり、害獣や害虫が異様なくらい大量に発生して甚大な被害が出たりと、最終的には一国が滅びる事すらあったそうで、その結果世界中の国に『異世界人は丁重に扱う』という暗黙の了解ができあがったと言われている。

 その暗黙の了解の守り方が、この国では『異世界人の現れた土地の領主が異世界人を保護する』という決まりとして現れているのだとか。



「そういう事だから、あなたはここの領主夫人である私が責任を持って保護するの。世界が違えば常識も違うでしょうし、不便な想いをさせてしまう事もあるでしょうけれど、教えてくれたらなるべく解決できるように頑張るわ」


 これからよろしくね、と差し出された手を握り返した私は、握手の文化は一緒なんだ、なんて少しズレたことを考えていた。




 その握手をした日から早3日。

 少しずつ異世界生活に慣れ始めた私は、ある問題に直面していた。


「暇っ!!」


 かつてどこかの偉い人は多分きっと言っていた。『退屈は人を殺す』と。


 私を保護してくれた女の人──メアリ・アンダーソン子爵夫人は、それはもう優しく私に接してくれて、郷愁に涙しているところを見つかった時は泣き止むまで黙ってそばに居てくれた。

 その優しさに触れた私は、自分でも驚くくらい簡単にメアリさんに懐いた。包容力が凄まじくて、たった3日という短い期間しか一緒にいないのに『第2の母』と私の中で認定されてしまっている。


 そんなメアリさんだが、子爵夫人という立場もあるので四六時中私と一緒に居てくれるわけじゃない。というか、初めの2日間がたまたま休みの日だっただけで、普段は普通にお忙しい人だ。


 異世界転移の特典に含まれているのか、言葉が通じるのはもちろんの事、読み書きもこの世界の専門用語でさえ無ければ問題無い。

 ただ、『他所の貴族にお披露目』とかいう展開も待っていない私は、ただこの屋敷に居候しているだけの穀潰しに過ぎない。


 異世界人は保護してもらっている貴族の領地でならば働くことだってできるらしいが、まだ未成年の私に、常識が通じるか怪しい場所に来て3日という短期間で保護者の庇護下から飛び立つ勇気なんて無いし。

 贅沢な悩みだと罵られても文句は言えないが、こうしてメアリさんと離れたこの日、私はやるべき事もネット環境もない場所での退屈を如何に潰したら良いのかと頭を悩ませていた。

 定期的に異世界から人間が落ちてくるこの世界に、現代日本のJKが持てる知識程度で無双できる環境なんてのも無いし。


「これはもう、やるしかないのか。『ここで働かせてください』を」


 あの聖母の如きメアリさんに限って「どうして私がお前なんかに仕事をやらなきゃいけないんだい!?」と怒鳴りつけてくることは無いだろう。

 「そんな事しなくていいのよ。そうだわ、一緒にアフタヌーンティーでもいかがかしら?」って遠回しに断られる可能性はあるけど。




「お仕事? もちろんいいわよ。少し着いて来てくれるかしら」



 夕食も終わって解散の雰囲気が流れ始めた時、


「何もしないでいるのは心苦しいのでどうかこの屋敷でお仕事をください」


 と申し出た私に対するメアリさんの返答は、実にあっさりとしたものだった。


 話を逸らすでもなく、申し訳なさそうに断られるでもなく、本当に二つ返事で許可されてしまった。

 もちろん嬉しい事なのだけど、あまりにスムーズ過ぎて一瞬ポカンとしてしまったのは私が悪いわけじゃないと声を大にして……はやり過ぎかな。中くらいのやや小さめにして言いたい。

 なんて、心の中で誰とも分からない相手に言い訳している内に、メアリさんは目的の場所に着いたらしく足を止めた。


「この部屋なのだけど……そうね。やっぱり見てもらった方が早いと思うから、とりあえず一緒に入りましょうか」


「分かりました。……失礼します」


 人の気配はしなかったけど、何となくそう言ってからメアリさんに続いて案内された部屋の中に入る。

 ちなみに、このお屋敷と向き合って立った時に、左手側にくる2階の端っこから3番目の部屋が私の借りている客間で、今メアリさんに案内されたのは1番端っこの部屋だった。ここが職場になるのだとしたら、階層すら移動する必要の無い短過ぎる通勤距離は有難いのか……それとも、公私が分けづらくて嫌になるのか。

 まだバイトすら未体験という温室育ち(校則遵守ちゃん)の私には分からない。


 部屋の中は結構綺麗で、入口近くの棚を見た限りでは埃もなくて手入れが行き届いている印象を受ける。


「この部屋、私の息子の部屋なのだけど……あの、後で説明しますから、そこまで重く受け止めないでちょうだいね?

 私の息子はね、今ちょっと意識が無いというか、しばらく目覚めない眠りについているというか……半年くらい前から、1番近い言い方で『昏睡状態』っていうのになってるのよね」


 ちょっとよく分からない言い回しでだいぶ重そうな話をされて、部屋を見回していた私は再び硬直を余儀なくされた。

 ギギ、と音がしそうなくらいぎこちない動作でメアリさんに視線を戻し、『後で説明します』という言葉が果たされるのを待つ。

 話しているメアリさんの表情に深刻そうな色はなく、私の知る『昏睡状態』という言葉との釣り合いが取れないのが余計に不安を煽ってくる。


「多分そうした方がいいと思うから、まだあなたに言っていなかったこの世界の常識について今から話すわね」


 私の不安をあえて無視して、メアリさんが私にこの部屋のソファへ座るように手で促しながら話し始めた。


「この世界に生まれた人間には、性格とか味覚とか生活リズムとか、色々な意味で相性が良い相手が絶対に一人存在するように神様が取り計らってくださっているの。

 "運命" とか "魂の伴侶" とか "半身" とか、神様が決めなさった相手の呼び方は地域差があるみたいだけど、今からする話の間は "半身" で統一させてもらうわね。

 その "半身" なのだけど、出会えるかどうかは完全に運に任せるしかないわ。出会えた2人は大抵が結婚するらしいけれど、出会うまでに結婚してる場合だってあるから、まあそのあたりもマチマチね。辻馬車の交通網が発達していない所も多いから、世界的に見ても "半身" と結婚している割合は半々に満たないくらいなんじゃないかしら」


 異世界あるあるの『番』みたいなやつが、この世界にもあるって事だろうか。

 番と言うと獣人とセットのイメージが強いけど、一応この世界に獣人を始めとした亜人と呼べそうな存在はいないと聞いている。魔法があるらしいだけに異種族の存在にも期待していたから、それを知った時はちょっと残念だった。


「それで、この国を見守ってくださっている神様が言うには、息子の "半身" がちょっとした手違いでこの世界に生まれなかったんですって」


 ちなみにだけど、この世界で神って実体化してるらしい。私は会ったことないから、どんな姿なのかとか、どこが普通の人間と違うのかとか、何も知らないけど。

 ただ、各国に一柱いる守護神の中でも、この国の神様は結構フレンドリーだし優しい人なのだそうだ。


「他の人はたとえ低くても "半身" と出会える可能性があるのに、息子にだけそれが無いのは不公平だからって事で、神様から特別に "半身" が生まれた世界に息子が2年だけ行く許可が降りたの。

 『2年以内ならいつでもこの世界に帰れるし、そもそも行かなくてもいい』とも仰ってくださって、いつでも帰れるのなら、と息子は最大2年間を異なる世界で過ごすことを決意した。半年前にね」


 ミスを認めた上に、被害者の意思を尊重しつつも代替案出してくれるとか、ここの神ガチで理想の上司じゃん。話を聞く限り、 "半身" って別に無くても死にはしないから揉み消すことだって容易だったろうにさ。

 ……いやでも、半年前に異世界転移したって言うんなら、なんでここに息子さんの体があるの? 私の時は体ごと穴に落ちたみたいにして転移したのに。


「『転移』と一口に言っても、あなたの場合と息子の場合は完全に違っていて、一方通行にならないように体はこちらの世界に残したまま。体は向こうの世界で神様が用意してくださって、息子の精神だとか魂だとかをその体に移したんですって。

 住む場所だったり、向こうの世界で生きていくのに必要なものや知識や身分だったりも、何から何まで神様は整えてくださったのだそうよ」


 言われてみれば確かに、私の場合は帰れなくなったのだから、同じ転移の方法では自由に行き来できるはずがないのか。

 それにしても、転移後のフォローまでバッチリとか、本当に理想の上司じゃないですか。私、1年くらいここで働かせてもらいながら常識学んだ後は、この国の教会に雇ってもらおうかな。絶対有給取っても怒られない神職場だと思うの。


「向こうの世界で暮らしている間の息子の体なのだけどね、神様がこれまた色々してくださって、何も飲み食いしなくても大丈夫な上に、ずっと姿勢を変えなくても床擦れにならないんですって。

 何なら完全に放置でも大丈夫、とまで言われたけど、さすがにそれは良心が咎めるでしょう? だから毎日部屋の掃除とシーツや布団カバーの交換をしているの。服の交換は本人が嫌がったから、息子が目覚めて勝手に着替える形にしているわ」


 あなたには明日からそれを任せたいわ、とここで事情の説明から私の仕事の話に戻った。


「それから、自由に世界を行き来できるようになってるって言ったでしょ? 向こうの世界で息子が寝た時にみる夢、みたいな感じでそれが叶うようになっているから、ここで寝ている息子が急に目覚めることもあると思うの。そうなったら私に教えて貰えると助かるわ。その時に改めて、息子へあなたの紹介もさせてちょうだい」


 つまり、『お試し介護師コース』とでも言えそうなくらいにヌルい介護モドキが、明日からの私の仕事になるらしい。


「分かりました。余った時間は何をしたらいいですか?」


「そうねぇ……空いた時間は基本自由で、マナーや歴史の教科書と問題集を用意するから、それをやるのはどうかしら?」


 意識がない人間の世話とはいえ、せいぜい2時間もあれば終わってしまうような仕事量だ。半日は暇を持て余す羽目になってもおかしくないと思ったが、確かに知らない文化に慣れる事も考えるとちょうど良いのかもしれない。何から何までメアリさんの好意に甘えきりである事に罪悪感はあれど、この好意を断っては野垂れ死に一直線なので出世払いで恩返しするしかない。

 ……ああでも、私がこの領地に転移しただけで恩恵がもたらされているから、この厚遇なのだったっけ。


「そうそう、言い忘れていたのだけど、洗濯物は正午の鐘が鳴るまでに洗濯場に持って行ってちょうだいね。替えのシーツとかはベッド脇に置いているのだけど、洗濯場に行った時に補充分を受け取れるわ。ここまでは大丈夫?」


 再び始まった仕事内容の話に意識を思考の海から引き上げ、相槌を打ちながら言われた事を頭の中に留めておく。


「……じゃあ、今日は一旦戻りましょうか。明日からお仕事よろしくね。何かわからないことがあったら、その都度使用人に言伝をしてくれたら私に届くようになっているから、覚えておいて」


「分かりました。明日からよろしくお願いします!」


 私は元気に返事をして、その後のメアリさんの「明日に備えて早めに寝ましょうね」という言葉に従って直ぐに自室に戻った。

 それから、既に湯が溜められていたお風呂(客室に併設されてる個人用。しかも猫足バスタブ! ロマン!)に浸かって、ドライヤーのような魔法の道具で髪を乾かし、遠足の前日のような高揚感を抱きながら眠りについた。


 今日の夢は、失恋したと嘆く兄が金欠の私に高級アイスを買って慰めろと迫ってくるものだった。

 懐かしさと夢の中の懐の寒さで二度泣かされた。






ーーーーー






 翌日、早めに寝た事もあって目覚めは良好で、天気もまさに初勤務日和と言って差支えのない晴天だった。


 食堂でメアリさんと一緒に用意してもらった朝食を食べ、お茶会に参加するというメアリさんを見送って、昨日案内された息子さんのお部屋に向かう。


コンコン


「失礼しまーす……」


 一応ノックをして、声もかけて、何となく音を立てないように気をつけながら部屋に入る。部屋の主がそう簡単に目覚めないと知らされていても、無断で私的な空間に入るのはどうも気が咎めた。


 しかし、今日からこの部屋で掃除をする事が私の仕事になったのだから、やりづらいというだけで作業に移らない訳にもいかない。少々申し訳なく思いながらも、部屋のベッドに近づいてみる。

 昨日はベッドから離れたところに立っていたために見えなかったメアリさんの息子さんの顔が、少しずつ見え始めた。


「……あれ?」


 私と息子さんはつい最近まで、文字通り住む世界が違った。だから、面識は無くて当たり前のはず……なのに。


「ルイくん……? いやでも、どうしてここに?」


 転移前に通っていた高校の、最近まで外国で暮らしていたというクラスメイトのルイ・アンダーソンくん。

 4分の1しか日本人の血が入っていないらしくてパッと見だと留学生にしか見えないのに、見た目とのギャップで脳が混乱するくらい日本語が上手で、普段はクラスの男子と楽しそうに話してる。


 メアリさんの息子さんは、そのルイくんにものすごく似ていた。


「他人の空似、だよね? そもそも、日本人からすると外国人の顔なんて皆同じように見えちゃうものだし……」


 そう呟いて疑念を誤魔化そうとするけど、ルイくんの特徴的な3つ並んだ泣きぼくろが一致しているのに気づいてしまった。

 それに、メアリさんとルイくんで、ファミリーネームが一致している。そもそも『アンダーソン』はありふれたファミリーネームらしいけど、ここまで偶然が重なると、疑うなと言う方が無理があるように思う。


「ルイくん、なの?」


 確実に聞こえる声量で問いかけてみても、目の前の彼はピクリとも動かない。本人から話を聞かないことには、『ルイくんはメアリさんの息子さんと同一人物だ』という仮説は事実にならない。

 仮説が正しかろうと間違っていようと、私の置かれた境遇が極端に変わるわけじゃないのも確かだ。


 だから今は、もらった仕事をきちんとこなして、少しでも早くこの世界に慣れる事を優先するべきなのだと思う。


 今日の夢は、クラスメイトの男子たちが休み時間にサッカーで遊んでいるのを、教室の窓から眺めるものだった。

 ルイくんが蹴ったボールが何故か私の方に飛んできて、「当たるっ!!」ってビビって目を閉じたら目が覚めた。






ーーーーー






 メアリさんから仕事を貰ってから1週間、つまり私が異世界転移してから10日が経過した。

 ベッドに人が寝たままの状態でのシーツ交換だけはまだ難しくてスムーズにはいかないけど、部屋の掃除だとかマナーの勉強だとかはかなり慣れてきた。


 そして、異世界生活11日目の今日。

 メアリさんと一緒に朝食を摂った後、珍しくメアリさんから話しかけられた。


「あのねマユちゃん、急遽息子に用ができたって領地の旦那様から連絡があって……と言っても親戚の結婚式に出席させたいってだけの話らしいのだけど、息子を起こさないといけなくなってしまったの。

 申し訳ないのだけど、どうにかしてマユちゃんの手で起こしてもらえないかしら」


 跡取り息子さんともなれば、ご当主様から急に呼び出されるのも何となくイメージできるし、社交に忙しいメアリさんが私に息子さんを起こすように言うのも分かる。だから、私は素直にその仕事を請け負うことにした。


「分かりました。でもあの、『どうにかして』って具体的にはどうしたらいいんでしょうか?」


 しかし、問題は起こす方法だ。

 耳元で大騒ぎするだけで起きてくれるなら嬉しいが、眠りの種類が特殊すぎるから最適解が想像できない。

 御伽噺なら、思いが通じていようがいまいがキスのひとつでハッピーエンドまで片付く。が、私はこの屋敷で面倒を見てもらっている身だから、下手なスキャンダルだとか騒動は避けたい。あと、ファーストキスが寝込みを襲うものだなんて乙女としてアウトだろう。


「そうねぇ……。前はね、神様から教わった場所にあったあの子の日記を読み聞かせてみたんだけど、『もう二度とやらないでくれ!』って起きた後に怒られちゃったのよねぇ」


 ……お、鬼だ。このほんわか笑顔でなんて恐ろしい事を。

 てか神様、思春期の子供に嫌われる親みたいな事するじゃん。上司としては神でも親としては『なんか嫌』なタイプだったのか。やっぱり教会勤めは考え直した方が良さそうだ。


「まあ、きっとなにか驚くようなことしたら起きるんじゃないかしら。指先をまち針で突っついたり、鼻をつまむくらいならしても大丈夫よ。細かいことはお任せするから、できれば今日中にお願いね」


 こうして、かなり大雑把な指示を残してメアリさんはお茶会に出かけてしまった。


 えぇ、私結局何したらいいんですか……?





 そして私は今、掃除とシーツ替え等を終わらせた部屋の、息子さんが眠るベッドの前で仁王立ちしていた。

 片手にオタマ、もう片方の手にフライパンを持って。

 そう、漫画でしか見たことがない朝のお母さんスタイルである。超古典的な高校生くらいの子供の起こし方を、今から試そうというのだ。

 ちなみに、これは廃棄予定だというものを許可を貰ってから借りてきた。


「……せーのっ!」


 なんとなくの掛け声の後、小手調べ程度の力で持っていたオタマとフライパンを打ち合わせる。お屋敷のあちこちで仕事をしている人達の邪魔にならなくて、でも間近で聞いたら五月蝿い、くらいの音量を目指した。

 コワァン、みたいな音がして、ワァンワァンという反響が部屋に残る。

 ……息子さんが起きる気配は無い。


「小さかったか。じゃあもういっちょ!」


 今度は、ゴワァン! って感じの音が鳴って、コワァワァワァヮァ……って反響が鼓膜を揺らした。

 ……が、起きない。


「まあ、ただの物音で起きてたら大変だよね」


 そもそも、仕事初日に私が結構騒いでいたのに起きてなかったし。


「じゃあ次は、鼻でもつまんでみる?」


 いびきに移行して終わりな気もするけど、一応。


「……んがっ?」


 予想通り、息子さんは鼻呼吸を諦めて口呼吸を始めてしまった。


「ならば痛覚!」


 シャキーン! って感じで、侍女さんから借りた可愛らしいマチ針を取り出す。からの、足の裏ツンツン。

 蹴られるかもだけど、手よりも重大な事故が少ないかなって。

 ほら、足の方が顔から距離が遠いし。


 しかし起きない。どうにも起きない。


 物理的に起こせそうなのは大抵試した気がするけど、後何がある? 純粋に語り掛けてみる?

 じゃあちょいと、お耳元失礼しまっせ。


「……すみませーん。あなた様のお父様がお呼びですよー。大切なご用事があるそうなんですけどー、今日中に、どうにか起きていただけませんかー?」


 遠い場所にいる人へ話しかけるような気分で、なんとなく間延びした話し方をしてみる。これでダメならあとは精神論系でいくしかない。

 定番ならやっぱりキスのひとつでもぶちかますしかなさそうだけど、どうだろう。寝込み襲ってる感が強くてできればやりたくないけど、どうだろう。


「……起きないぃ!」


 キーッと叫んでしまいたいのをどうにか抑えて、キスしかないのか!? やっぱり御伽噺なんです!? 真実の愛ってキスしたら生えてくるんすか!? と、脳内で喚き散らす。タメ語と敬語が入り交じってるこの感じで、私の追い込まれ様をどうか察してほしい。


「せめて、せめて間接&ほっぺでも許してっっ!」


 最後の抵抗として、息子さんの右頬にティッシュを敷いてから顔を寄せる。

 あまりのやりづらさに1度硬直したが、


「ええい、女だって度胸!!」


 と気合を入れて、目をきつく瞑った状態で再び急降下。



 ……が、しかし。



「……さっきから何なんだよっ!!」


「ぃたあっ?!!」


 なんというバッドやタイミングで起きてしまった息子さんと、盛大におでこをごっつんこ。ついでに唇にもなんか柔らかめの感触があったけど、そっちを気にしていられない。

 本当に、痛いのなんの。


 2人して、急すぎる痛みにベッドの上を転がり回る事になってしまった。

 特に私、衝突の直前に目を開けてしまっていて、息子さんの髪の毛が目に入って目が開けられない。マジでおでこも目も超痛い。衝突後に追撃を防ごうと顔に当てた手が、全然外せそうにない。

 多分だけど、息子さんから私の顔はほとんど見えてないんじゃなかろうか。


「っお前! さっきからずっと五月蝿いし足チクチクするし、マジでやめろ!!

 こちとらせっかく異世界に行って出会えた最愛の "伴侶" が先週の放課後から行方不明で! 毎朝訃報が届くんじゃないかと気が気じゃないし、高校なんて放って捜索隊に混ざりたくてたまんないのを堪えて、放課後から真夜中まで手がかりを探し回ってるってのに!!」


 これでくだらない用事だったら、俺はお前と両親を絶対に許さないからな!!!


 なんて力強く宣言されてしまって、ようやく開けられた瞼を手のひらの下でパチパチする。

 声を張っているけど、どことなく聞き覚えがあるし、先週行方不明になったJKとか身に覚えしかないし、ホクロの位置も含めて外見は驚くほどそっくりだったし……。


 目元の涙を指で拭って、そっと顔に当てたままだった手を外す。


「もしかして、ルイくん?」


「……ぇ、まさか、山下さん…………?」


 そのまさかです。


「あっ、じゃあ、さっきの感触って……。

 や、柔らかかった…………」


 顔を真っ赤にして鼻の頭に手を当てるルイくん。

 ……もしかしなくても、私の唇そこに当たってた!?






ーーーーー






「……って事で、少なくとも1年間はここで生活させてもらおうと思ってるんだよね」


 お互いのパニックが落ち着いた頃を見計らって、かくかくしかじか……のノリで、私がいわゆる『異世界からの客人』とか呼ばれる存在になったらしい事を説明して、何故か黙りこくっているルイくんを見る。

 ベッドに人一人分の隙間を開けて腰掛けてて座高にそこまで大きな差がないのが、ルイくんの足の長さを表してるみたいで妙に短足のコンプレックスを刺激されるけど、気にしすぎるだけ負けなんだろうな。


「……ルイくん? おーい」


 あんまりにも反応が鈍いので、目の前で手を振ってみる。

 お、焦点合った。


「ごめん、ちょっとなんか……色々驚きすぎてフリーズしちゃってた」


「まあ、何となくこの寝てる人ルイくんっぽいなーって思ってた私でも今結構びっくりしてるし、なんの心構えもなく異世界でクラスメイトに会うなんて珍事件が起こったんだから、脳が処理落ちしちゃうのも仕方ないよ」


 慰めのつもりで、ルイくんの肩を手でポンポンする。


「あ、ごめん、クラスメイトの感じが抜けなくってつい……。こっちの世界で貴族家の次期当主様なんだから、こんな馴れ馴れしい感じじゃダメだったよね」


 その直後にハッとして謝ったけど、……あれ、また処理落ちしてる?


「いやっ、全然!」


 かと思ったら大きめの声で否定されて、ちょっとびっくりしてしまう。


「っあ、ご、ごめん、大きい声出して……。でもあの、別に貴族だからとかで遠慮しなくたっていいから。あっちの世界では、クラスメイト、だし………」


 ルイくんの顔が赤い。元々が色白な人だから、結構赤が目立ってる。


「右も左も分かんない場所で不安だったから、そう言ってくれるのすっごい嬉しい。ありがとう」


「う、うん……」


 思ったことを伝えてみたらもっと赤くなってて、なんだか面白くなってきたかも。


「そういえばだけど、『少なくとも1年間は』ってことは、1年後にはここを出て行くつもりなの? 次に行く場所とか決まってたりする?」


「ううん。でも、いつまでもお世話になりっぱなしだと申し訳ないから、ある程度こっちに慣れたら住み込みで働ける場所探そうかなって思ってるとこ」


「そうなんだ……」


「それにほら、ここルイくんのお家ってわかったし、クラスメイトに養ってもらう感じがして余計に気が引けるじゃん?」


 恋愛感情につけ込むヒモより、よっぽどタチ悪い感じするよね。と思っての発言だったけど、


「そんなの気にしなくっていいよ! 山下さんが客人としてこの領に来てくれたってだけで十分すぎるくらいの恩恵があるし、それに、山下さん1人を余裕で養えるくらいにはこの領も安定して栄えてる。ずっと居てくれたって全然いいから」


 なんて言ってもらえて、安心したような……ルイくんが悪い女の人に騙される未来と、私がルイくんに甘え切って堕落する未来が想像されて逆に不安になったような。

 でもまあ、


「……ありがとう」


 嬉しさがちょっとだけ勝っちゃったから、お説教臭いことは言わないで、潔くお礼を言っておくことにした。



「じゃあ、今度はこっちから聞かせてもらいたいんだけど、」


「なに?」


 私を引き留めようと言い募った時の興奮で、まだちょっとだけ火照ってる頬をパタパタと手で仰ぎながら、ルイくんがこちらを見る。


「『先週の放課後から行方不明』になった最愛の "伴侶"

って、誰のこと?」


 『先週の放課後から行方不明』って、身に覚えしかないキャッチコピーの、ルイくんと同じ高校に通ってる()()() "伴侶" さん。


 寝起きで口走った事にツッコまれるとは思っていなかったらしいルイくんの顔は、いちごみたいに真っ赤になった。




 いちごの花言葉は、


「あなたは私を喜ばせる」

「幸福な家庭」

「尊重と愛情」

「先見の明」


 と、かなり縁起のいいヤツが揃ってるので、新婚さんとか子供産まれましたよ、っていうご家庭にプレゼントとして贈るといい感じ……らしいです。ご参考までに。

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