3-2
「あら、大変だねぇ」
タングル先生の家に辿りついた私たちを迎えたのは、ニコニコと楽しげなアグネスさんだった。
兄に私の行き先を教えたのはきっとアグネスさん!しかも絶対揉めるってわかっていてだ。
アグネスさんはこういう所がたまにある。
「どういう事か説明してもらいたい」
兄が生真面目にタングル先生とアグネスさんに聞いて、このニ週間で起きた事をアグネスさん主導で説明した。
「事情はわかりました。それなら、こちらではなく我が家に滞在してもらいましょう」
「それはいいね」
アグネスさんはうんうんと頷いたのだけど、ジョン《仮》は不服そうに声を上げる。
「私は良くないですよ。ここにいたいです」
するとアグネスさんがとんでもないことを言い出した。
「ジャリム殿下。そろそろ帰国の準備をいたしましょう。私も気が済みましたし」
「は?」
「え?」
「ジャリム?」
兄、私、ジョン《仮》が次々に驚いた声を上げる。
殿下??
え?
っていうか、アグネスさんは記憶喪失の男の正体を知っていたの?
タングル先生を見ると、どうやら知っていたらしい様子。
「どこかで見たことがあると思ったら。そうだ。殿下。失礼いたしました」
兄は切替が早くて、直ぐに床に膝をついて頭を下げた。
わ、私も!
その隣に同じようにして、膝をつく。
「二人ともやめてください!」
ジョン《仮》いや、ジャリム殿下は慌ててそう言う。
いや、やめられないでしょう?だって王子。しかも隣国。
その後、話し合いがなされて、ジャリム殿下はリーソン家ではなくて、王宮へ行くことになった。記憶が元に戻ってない殿下は、ものすごい残念そうにしていたけど、仕方ない。
忘れないから、君のこと。
そう言われてしまったけど、忘れてほしい。
アグネスさんから聞いたら、どうやらジャリム殿下には既に妻も子どもいるらしい。
お、恐ろしい。
なんていうか、何もしらなくてホイホイ誘いに乗ったりしたら、私は浮気相手になってしまう。
殿下の浮気相手、妾よね?
っていうか、これってざまあのテンプレじゃないの?
記憶喪失の男に惚れて結婚したら、実は妻子がして記憶を取り戻した男には邪険にされ、本妻にはざまあされるという。
よかったあ。間違いが起きなくて。
アグネスさん、余計はことをしてくれたわ。
でも、なんか惑わされなくてよかった。
かっこよかったけど、距離置いていたから。
「ローラ。ジャリム殿下のこと、好きだったか?」
ジャリム殿下を王宮に送った帰り、兄デルヴィンが戻ってきた。
なんか夕食に誘われて、二人でオススメのお店で食べている。
肉料理が有名なお店で、結構高めの料金なので緊張している。
そんな中、兄に突然聞かれて、一瞬、意味がわからなかった。
「やっぱり好きだったのか?」
ぼそっと言われて、私は慌てて反論する。
「兄上。何を言っているんですか!そんなわけないじゃないですか。恐ろしい」
「恐ろしい?」
そう恐ろしいのだ。
ざまあは怖い。
私はまだ十六歳なのに、三回もざまあなシチュエーションが近づいてきた。
これからも、なんか前途多難。
まあ、男に近づかず、立派な薬師になろうっと。
「なあ。ローラ。私のことどう思っている?」
「えっと、最近シスコン気味の兄?」
「シスコン?」
「妹大好きって言う意味です」
そうか、シスコンは通じないよね。
「まあ、ローラのことは好きだけど。妹って意味じゃない」
「え?」
何か、兄が言い出した。
「私の婚約者になってくれないか?」
「嫌です」
「即答!?私のことが嫌いなのか?そうだよな。態度が悪かったし」
「そうじゃないです。確かに兄上は最初私のことが大嫌いみたいだったですが、過ぎたことです。私は婚約が怖いのです」
「怖い?」
「婚約といえば破棄。婚約破棄といえばざまあ。恐ろしい」
「ざまあ?」
そうか、ざまあも通じない。
「えっと、私はこんな外見ですよね」
今日も私はローブを羽織ってる。
念の為個室をとってもらったけど、店員に姿を見られるのが怖い。
「この外見のため、色々勘違いされるのが怖いのです」
「確かに、私もそうだった。だが、何があっても私がローラを守る」
うーん。
兄上は頼りになりそうだけど。
無理かな。
「無理です」
「そうか、今はいい。私は諦めない。父上たちも応援してくれてるんだ」
「え?お父様たちも知っているのですか?」
「ああ、父上たちだけじゃなくて、他にも」
「え??」
うああ。
なんか恥ずかしい。
えっと。そういえば兄と話していると生暖かい視線で見られることがあったなあ。
「アグネスさんも応援してくれてる。今回のことも私に踏ん切りをつかせるつもりだったらしい。ジャリム殿下と楽しそうにしているローラを見たら、もう黙っていることはやめたんだ。目の前で奪われるのは嫌だ」
う、嬉しいけど。
嬉しいけど。
「あ、あの。串の盛り合わせをお持ちしました」
扉が軽く叩かれて、店員さんの声がしてほっとしてしまった。
「あの、入ってください」
兄は不服そうだったけど、それを無視する。
居た堪れないから。
「さあ、食べましょう」
「ああ」
そういう話は、ちょっと今したくない。
逃げるように食べ始めた私を一瞥した後、兄も食べ始める。
この後、惚れ薬を飲ませて婚約者を奪おうとしたとか、夫を誘惑したとか、そんな疑いをかけられたけど、兄デルヴィンがその度に助けてくれた。
それで、トラブルに巻き込まれないようにと、ついに婚約者になってしまった。貴族学園の時にもらった指輪は返したのだけど、それを再び贈られた。
そうして私はあの学園生活で指輪をもらった意味をやっと理解した。
婚約者になって、もしかしてお店にデルヴィンのファンが押しかけてくるかもしれないとヒヤヒヤしたけど、そんなことはなかった。
二年後、私は十八歳になった。
デルヴィンは爵位を譲られ、男爵になった。
私は薬師として一人前に認められ、薬師の登録も済ませた。
どこかの田舎でこっそり薬師として生活をしようと思ったのだけど、デルヴィンに見つかってしまい、そのままリーソン家に連れて行かれた。
流れるように結婚になって、私は泣き出してしまった。
だって、怖いもの。
何かありそうで。
「ローラ。私を信じてくれ。君のことは絶対守るし、社交の場には出なくていいから」
お父様たちにも泣かれて、私たちはこっそり結婚式を上げた。もちろん、結婚の届は王宮に出してある。私は男爵夫人でもあるけど、タングル先生のお店を引き継いだ薬師でもある。
社交の場には絶対に出ない。
それでもデルヴィンはいいと言ってくれてる。
ざまあの恐怖はまだ根強いけど、デルヴィンは惜しまない愛情を私に注いでくれる。
アバズレなんて罵る人はいない。
平和な日常。
ざまあルートは呪いのように何度も現れたけど、私はデルヴィンの助けもあって全てを振り切った。
不貞の娘として生まれ直した私は、スタートの時点で詰んでいたけど、幸せを掴むことができたと思う。