α-057 シルコムドルセ
「さて、女将さん。厨房を貸していただけないか? 代金は支払う」
ゼノビアが女将との交渉に入る。人の物を借りるのに、許可を取るのは当たり前だ。その程度の常識がある世界で良かったと、つくづく思う。
「ああ! もちろん良いとも! 銀貨5枚で良いよ。水は使いすぎないでおくれ」
あっさり許可が降りる。この女将さんの性格、好きだ。
「恩に着る。それと、食材をいくらか買い取りたいのだが……」
この時間だと、店もやって無さそうだしな。やってたとしても、外に出るのは億劫なのだろう。
「何が欲しいんだい?」
「トリティコムの粉と甘汁。それと鳥卵を貰えるか?」
「トリティコム? 聞かない名だねぇ……他はあるけど、どうする?」
あれ、トリティコムって生地の材料じゃなかったっけ?
無ければシルコムドルセが作れないんじゃ……
「む? あぁ、第二の方では雪小麦だったか。それの粉、もしくは挽き割りした物が欲しいんだ」
あ、トリティコムって小麦のことね。つまり、シルコムドルセの材料は……
小麦粉、卵、砂糖水かな? う〜ん、シンプルイズベスト。
「何だい、トリティコムって雪小麦の事かい。腐るほどあるよ! 粗悪品だけどね」
「粗悪品の方がありがたい。シルコムドルセは貧困食だからな。そんな物に高級な素材を使うわけにいかん」
ははぁなるほど。悪い小麦の味を誤魔化すために、砂糖水に漬けたと。前の世界の香辛料にたいやね。
「なぁ、お嬢ちゃん。レシピを教えてくれないかい? そうすりゃ、厨房の代金はナシ! 素材代も2割ほど負けてやるが」
と、素敵な取引を持ちかける女将さん。聞いたことのない、しかも腐るほどある小麦粉を消費できるレシピ。
シルコムドルセはめちゃくちゃ甘いが、確かに美味いしな。良い商談だろう。女将さんの目がガチだし。
「おお! それは願っても無い! 是非にそうしてくれ!」
「良いねぇお嬢ちゃん! さ! 早速作ろうじゃないか!」
女将とゼノビアがガッシと握手。俺は蚊帳の外。
それと、握手を知ってるって事は、この女将さんは仙人族か?
「あ、クラビス。鍋に甘汁を入れて煮詰めてくれ」
「あっはい」
という事で、俺はパシリ。厨房から鍋を探し出し、甘汁とか言う液体をぶち込む。コンロは魔導石を用いた魔力式。
ツマミを回すだけで加熱が始まる様子は、まさにIH。
こっちの世界の方が、明らかに文明が進んでいる気がしてならない。
「まずは、トリティコムの粉と水を2:1程でこねる。今回は、保存用途に使う方が多いので……まぁ、5:2だな」
雑くね? いや、まぁ、ゼノビアはちゃんと作ってたし……飯まずでも無かったので別に良いんだけど。
お菓子だよねコレ。レシピが雑ぅ……
一抹の不安を覚えつつ、俺は鍋を木ベラでグルグル。
あ、そうそう。甘汁をちょっと味見してみたんだが、とっても美味しかったです。ハチミツのような甘さの中に、レモンのような酸味があって……うん、俺コレ好き。
「で、次にこねる。水は少しずつ加えて、まとまるまでこねる」
木のボウルでこねているようだが、なんか、音がすごい。
力任せにギッタンバッコン。どんだけ硬いんだ、その生地。
「まとまったら、整形する。大きさは……このくらいだ」
ゼノビアがOKマークをつくり、女将さんに見せる。
……俺が食ったやつ、それの2回りは大きかったんだけど? もしかして、残りの体積は全てコレか?
目の前にある、濃縮中の甘汁。ちょっと舐めてみたのだが、もう既に甘い。ハチミツを直で舐めたぐらいの甘さだ。
あと、レモンの風味が強くなった。マジでなんなんだこの液体。
「あれ、発酵はさせないのか?」
流石に、こんな液体であそこまで膨らんでるとは考えたくない。どうか発酵による膨張であってくれ———
「発酵? 何だそれは。このまま焼き固めて、バインディアに出す分を煮込めば完成だが?」
マジすか。いや、よく考えたら発酵しねぇわ。ここ、極寒の地だわ。
それ以前に、この世界に菌類がいるのかどうか……少なくとも、病原体はいないらしい。ソルとか、食中毒を知らなかったもんな。
「ふむふむ。甘汁を煮詰める時間を度外視すれば、それなりに早く作れるねぇ。焼き時間はどのくらいだい?」
「焦げない程度だな。私は鼻が良いからわかるからなぁ……正確な時間は分からん」
雑ぅ……ビックリだよ! どんな菓子だ! パティシエに謝れ!
「ゼノビア、レシピとかは口頭でしか教えられて無いのか?」
どうせ紙に書いて教えられただろうし、レシピがあるなら手っ取り早い。
というか、ゼノビアのこねる速度とか諸々が早すぎて分からん。作業始めてから15分未満だぞ? 今。
「そんな物は無い。私は見て学んだし、レシピのある料理の方が少ないと思うが?」
えぇ……技術は進んでるのに、文化が停滞してませんかね? 文字があるのに有効活用しないとは……いや、読み書きできる人が少ないのかな?
「さいですか。あー、それで女将さん。もう少しで完成みたいだけど、問題無いのか?」
「バッチリさ! それに、お嬢ちゃん。まだ粉を余らせてるのを見るに、追加で作るんだろう?」
見ると、ゼノビアの足元にはトリティコムの粉の入った大袋。
「もちろんだ! あと2〜3回は作る。まぁ、食べるのは私とバインディアとクラビスぐらいだろうが」
「俺、そんなに大食いじゃねぇよ?」
「バインディアが食べるんだ。アレは、シルコムドルセと精気だけで生きてるらしいぞ?」
どんな偏食家だよ! まぁ、ビタミンを除けば摂取は出来てるのか?
……いや待て。もしや、この甘汁にビタミンが含まれ——
《甘汁:甘味草の汁で、大量に入手が可能。スッキリした甘さが特徴であり、若干の薬効成分が含まれている。栄養価も高く、同じ重さの野菜と同等のビタミンを含む。
食物繊維、無機質、塩類も溶け込んでおり、過剰に摂取しなければ、これだけで生きる事も可能》
含まれとるー!!! ビタミンどころか、その他(蛋白質を除く)栄養素まで全部含んどるー!!!
どんな飲料だ! 欲しい! しかも大量に入手可能って……神か!? 是非とも現代社会のサラリーマンに売りつけたい。
「なるほど。バインディアがこれだけ食って生きてる答えが分かった」
「ほう?」
どうやらゼノビアも知らないようだ。ならば、教えてやるしかあるまい!
「栄養価が高いからだ」
と、自信満々に答える俺。
「いや、それは私も知っている。というか、保存食は大抵がそうだが?」
「…………………」
「さあ、急いで続きを作るぞ」
特に気にも留めず、ゼノビアは黙々と作業に取り掛かる。
女将さんが苦笑しながら背中を叩いてくれた。
はぁ……




