継ぎ接ぎだらけの元王子様
しとしとと雨が降る暗い昼間。
じっとりと濡れた羽は重くて飛べやしない。
横で辺りを警戒するかのようにレイピアを構えたままの僕と色以外はそっくりの彼も同じのようだ。
真っ黒に塗りつぶされた鴉色の羽。
僕の白い羽根とは対照的な不吉の象徴。
彼も僕も同じ、半分ヒトの血を引く魔族、妖魔と呼ばれる存在だった
目の前には僕らよりもふた周りほど背の高い少年。
少年から青年へと移り変わる途中の彼の声はまだほんの少しだけ高い。
こちらはれっきとした人間で、服が汚れるのも構わずぬかるみをしっかりと踏みしめていた。
赤いマントを翻し、ずれてしまった銀の冠を白くほっそりとした手で直している。
豊かな森を閉じ込めたかのような深い緑の瞳。
後ろで束ねた絹糸の髪は淡い金色で、こんな天気だというのにさらりと指の間を流れ落ちた。
彼の名はエルト、この国のかつての王子で現皇帝だ。
公平をこよなく愛し、貧富の差をよしとしない。
従わない者はことごとく排除するその冷酷さから国始まって以来の悪帝、リーヴィラの堕天使とも呼ばれるその姿はなるほど堕ちたとはいえ天使と例えられるのも頷けるほど美しい容姿をしていた。
髪と同じ色の長い睫毛に通った鼻筋、淡く色づいた唇、優しげな顔立ち、きっと知らない人が見ればエルフ族の少女と見紛うだろう。
彼は僕らの主。齢15で国を背負う哀れな子。
先を歩いていたエルト様が立ち止まり足で地面を擦ると音もなくしゃがみ込んだ。
側に立つ黒い羽を持つ妖魔に目配せをすると僕は自分のレイピアを引き抜く。
黒い妖魔が代わりに僕のいた場所へ足を向け、
僕はしゃがんだまま動かない主の側へと向かう。
幸い今のところは主を狙う不埒者はいないようだ。
エルト様の手がぬかるんだ地面に沈んだ枝を掘り起こして元通りに立てる。
ただの枝だったそれは小さくて粗末な十字へと姿を変えた。
ここはあの日すすり泣くエルト様と一緒に何人かのヒトを埋めた場所。
目立つと壊されてしまうから、名前すらも書かず今よりも小さかったエルト様は枝を拾って小さな十字架を立てた。
埋めたヒトたちはエルト様の かぞく、だった。
僕らにとっては忠誠を誓った王家の人間だった。
ここ、リーヴィラ国では数年前、大きな革命があった。
なぜかは僕らにも分からない。
王家に使えてはや数百年になるが王家の人間は僕らに対等に接してくれていて故郷のような扱いなどされたことは無く、代々素晴らしい君主が治める平和な国だったのだけれど。
黒い妖魔がいうには薄汚いニンゲンどもが欲を出したらしい、とのことだが詳しいことは何も分からない。
ただ1つ分かるのは、革命のあと生きている王族はエルト様ただひとりということだけだ。
エルト様が大層可愛がっていた弟のロフェルト様も革命で無惨に殺されてしまった。
僕らが駆けつけた時には血に塗れたロフェルト様を抱きしめて声もなく涙をこぼすエルト様の姿があった。
屈託のない笑顔で僕らに挨拶をしてくれていたはずのロフェルト様は冷たく、ところどころ黒く焼け焦げていて、すでに息絶えた後なのだと見てわかった。
この傷なら命を落としたのが先でしょう、焼かれたのは死んでからだ、せめて苦しまず逝けたのならよかった、と自分に言い聞かせるように呟いたエルト様の悲しげな声音は今も忘れることが出来ない。
力なく座り込む主を狙ってニンゲンどもは懲りもせずにやってきた。黒い妖魔にエルト様を抱き抱えるように告げて、僕は下卑た笑みを浮かべてやってきたニンゲンどもを全て焼き払う。声を殺して泣く主を連れ、死体の中から王族の体だけを集めて窓の外へと飛び立った。
思い返しているうちにエルト様の用事は終わったようだ。また来ますからね、と虚空に告げるのが聞こえる。
さて、そろそろ頃合いか。
僕はちらりと目を向け声を掛けようとして
「エルト様?」
突然崩れ落ちたエルト様を咄嗟に支えていた。
僕の声で異変を察した黒い妖魔も近寄ってくる。
羽はやはり濡れて重いのかスィーと地面を滑るように飛んできた。
まぁ本気を出せば飛べなくはないのだろうがそこまで距離も離れてなかったしそれが妥当だろう。
どこか痛むのかと主の顔を覗き込んでみれば苦しげに息をして僕の袖をひしっと握った。
ヒトの体はよく分からない、がこれはどうやら病気、とやらで苦しいのではなく何かショックを受けた時の反応だろう。
「エルト様、苦しいのですか」
分かりきってはいるが一応そう訊ねると
浅く速い呼吸を繰り返しながら、かえって息が詰まったのか苦しげに目を瞑って答える。これはやはり強いショックを受けた時の反応で間違いなさそうだ。
「…8、確か3から預かった薬があるだろう」
8と呼ばれた僕は懐を探って小さなボトルを取り出した。
中にはどろりとした得体の知れない液体。
「4、すみません。エルト様をお願いできますか」
無言で頷いた黒い妖魔…4がエルト様の体を支え揺らさないようにそっとその場にしゃがみこむ。雨が強まっている、早く済ませなければ
「少々失礼します、口を開けて…」
さすがに手袋のままではまずいだろう、と片手だけ手袋を外した手で傷つけないように口に指を入れ、思うように動かないらしい口を開かせる。
懐から小さな瓶を取り出し、飲みこめているのを確認しながら中の液体を少しずつ流し込んだ。中身は人造AI…No.3がつくった薬らしい。
こういう様子が見られたら飲ませろと渡された物だ。
酷い色合いで味も酷いものだが効果は保証されているようで、あまりの不味さにえずきながらも少しずつ普段の呼吸に戻っていく。閉じられていた瞼も開いて、澄んだ翠の瞳が現れた。
強ばっていた手もうまく開くようになったようでもう大丈夫だというように口に入れてた手を外された。
「ロフェルト…お母様、お父様……」
エルト様の声がぽつりと静かな暗がりへと響く。なるほど今日の空はあの時とよく似ている、恐らく思い出してしまったのだろう。
顔を覆って静かに泣くエルト様はひどく弱々しくて、ニンゲンどもが呼ぶ悪名を冠する皇帝には程遠い。
「エルト様、もうすぐで会えますよ。計画は順調です。ですからどうか顔を上げて…」
嘘だった。ロフェルト様の復活にはまだまだデータが足りないとNo.3のため息を聞いたのはつい今朝のことだ。
本来聖職者しか許されぬ行為。相応の覚悟はしていた。かなりのニンゲンを屠っては材料として提供したが、聖職者であるロフェルト様を復活させるには高い魔力、それもロフェルト様と似た要素を持つニンゲンが必要だが肝心のそれが足りていないと。
魔力の高い家系は調べ尽くして真っ先に提供したがそれだけでは足りないのだろう、でもどうやらこの世界で高い魔力を持つニンゲンは貴重らしく滅多に見つからない。いっそ飼って育てればいいのかもしれないが残された時間は多くはない。
あのAIも報酬代わりの虚無の酒を啜りながらなんとかこの量での復元を考える、と言ってはいたがもうしばらくかかりそうな様子だった。
「…ほんとですか、8」
エルト様は捨てられた猫のような目でこちらを見つめている。揺れる瞳は今にも溶けてしまいそうで、僕はまた少し嘘を重ねた
「ええ、3から聞きました。もうそろそろ材料が集め終わりそうだ、と。そしたらすぐにでも復元の準備に取り掛かると言っていましたよ」
「……そう、ですか。ふふ、それは、よかった…」
エルト様がおもむろに身動ぎをし罰が悪そうな顔でするりと僕の腕から抜け出し立ち上がる。
「…ふふ、失礼、お見苦しいところを。
さぁ帰りましょうか。あぁせっかくの綺麗な羽が台無しになってしまいましたね。早く拭かなければ…それから熱くないようでしたら僕の魔法でお手伝い致しましょうか、大丈夫、炎系の扱いには慣れているので燃やしはしませんよ」
儚く笑う僕らの主は美しい。
落ちる雨音、静かな世界。
願わくばこの幼気な主が壊れた世界で夢を見続けていられますように。
いもしない神に祈り気休めのまじないを唱えては目を伏せる。
叶いもしない願いなど持たない方がいい、一時の優しさなど心を乾かすだけだ。いっそここでその命を奪った方が幸せなのかもしれない。
「さて、いきましょう8、4。ロフェルトを取り戻した暁には美味しいご飯でお祝いしましょうね」
しかし。
どこか遠くを見つめたまま僕らの名を呼ぶこのヒトに、どうしてそんな酷なことが出来ようか。少しばかりの夢くらい見ていたってバチは当たらないだろう。
ああどうか神がいるのなら
この世界に柔らかな嘘の雨を降らせてはくれないか。