不妊のはじまり
思い返せば、私の不妊との戦いは、中学生の時から始まっていたのかもしれない。
中学生になってすぐ、生理が始まった。しかし、生理周期がバラバラで、3ヶ月から半年生理が来ないことなんて、ザラだった。当時は、毎月生理が来なくてラッキーくらいにしか思っていなかった。そのまま時は流れ20歳になった。この頃から、周りの子達は毎月生理が来るのに、自分だけ生理が不規則な事に不安を覚え始めた。
私は勇気を出して、近くの総合病院の婦人科に受診した。婦人科なのに、若いチャラチャラしてそうなイケメンな先生で、すごく緊張した。そこで、衝撃の先生の一言。
「典型的な多嚢胞性卵巣症候群ですね。」
私は、何のことか全くわからなかったが、何か異常があるということはすぐ分かった。そのチャラチャラのイケメン先生は、多嚢胞性卵巣症候群とは、排卵障害の一種で、卵胞の成⻑が途中で止まってしまい、多くの⼩さな卵胞が卵巣内にとどまってしまう病気であることを絵を書いて、私に説明してくれた。
「治療を希望するならピルを飲んでもらいます。まあ、全く排卵してない訳じゃなさそうだし、このまま様子を見てもいいとは思います。どうしますか?」と聞かれ、その当初はピルを飲むと、飲み忘れた時に副作用が辛いという噂を聞いたことがあった。何より、内容も内容であったので、男のイケメンの先生と話すのが恥ずかしくなり、あまり深く考えずにこのまま様子を見る事にしてしまった。今となっては、この時治療をしていたら、こんな辛い不妊治療をしなくてもよかったのではないかと後悔している。
また、私は海外旅行が大好きで、多嚢胞性卵巣症候群の診断を受けてすぐ、台湾へ友達と旅行に行った。旅行先で、中正紀念堂の足つぼロードと言われている健康歩道へ行った。靴を脱いで歩くと足つぼを刺激してくれるというスポットだ。私と友達は、靴下で歩いた。友達は、痛い痛いと言いながらも足つぼロードを歩いていく。一方私は、踵が痛すぎて、数歩で限界だった。その時は、友達とゲラゲラ笑っていたが、後々、踵が痛いということは、生殖器に問題があるということを知った。私は怖くなった。将来、子供ができないのではないかと不安を抱き始めたのはこの時からだった。