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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒糖味の暴力

作者: やんま

 暗い家の中に響く、冷蔵庫の低い音が耳障りだった。彼の空腹は留まるところを知らない。今あるだけでは飽き足らずもっと寄越せと虫を唸らせ、依然として何かを飲み込もうという気でいるのだ。点けたテレビを適当なチャンネルでとめ、音を大きくし聞こえてくるニュースに耳を任せながら腕をさする。脱いだままになっていた上着を羽織り、キャスターの声に負け大人しくなった冷蔵庫からゼリーを取り出して椅子に座った。

『――女の子の「やめて」「入れて」などといった叫び声を聞いた近所の男性が110番通報したとのことです』

 全身にむずむずとした不快感が走り、頭の中を霧が覆ってゆく。机の上に置かれた皿の底に、愚鈍そうな顔をした熊のキャラクターが見えた気がした。人の不幸を好んで食べる、悪辣な熊だ。だがそれは実際のところ、自分のことであった。視線を正面に戻すと、昔食べた昆虫ゼリーの味が、黒糖の気持ち悪いくらいの甘さが頭を過る。腹が減っている気がして、気分がそわそわする。俺は立ち上がって、部屋の中を意味もなく歩き回った。やがて収まらないと知ると、壁に思い切り頭を叩きつけた。何度も何度も、何度も。すると脳内を覆っていた深い霧は影を潜めたが、それはやがて喪失感に変わった。自分の息が荒くなっていることに気付く。深呼吸をして、目を瞑る。……少し歩こうと、家を出た。


 外の風は冷たく、心地良い。頬や耳は直接冷気に触れてひりひりと痛むが、その痛みも悪くなかった。どこまでも続きそうなほどまっすぐ伸びる道。その脇に立つ街頭がぼんやりとオレンジに光って俺を照らす。わざと何にも焦点を合わせず、よろけるように歩いた。すれ違う人の視線をなんとなく感じたが、どうせ関わることもないので気にならなかった。信号に捕まる。こわばっていた体中の力を抜き、寒さを全身で感じる。少しの間その快感に身を任せていたが、勝手に身震いが起こる。自分の体すらままならないことに苛立ちを覚えていると、1台の車が走ってきた。それは今まで道を往来していたものとは全く異質なもので、淡いピンクの車体に、真ん丸いライト。その2つの目が俺を睨み、心臓を掴む。()()()()()だ。

 必死で逃げた。あの車が行ったのとは反対方向へ。追ってきても分からないようになるべく不規則に道を曲がって。むずむずする。そわそわする。頭の中を再び霧が覆い、暴れだしたくなる。胸が苦しい。そのうち息もできなくなって、魚のように口をぱくぱくとさせるが、呼吸の仕方を思い出せない。誰か、誰か俺を殴ってくれ。そうすればすっきりする。誰か……。

 道の向こう側に女が見えた。髪は肩ほどまでで、眼鏡をかけていた。吸い寄せられるように近付き、手を伸ばす。お願いだ、殴ってくれ。頭を、この霧を、どうにかしてくれ。助けて。だが女は怯えていた。どうしてだ、殴るのはそっちのはずだろう。何を怯えることがある。さあ殴ってくれ、お願いだから。それでも女は一向にそんな動きを見せない。むずむずする。ストレス発散だと思えばいいんだ。ほら。ほら。

 霧がすべてを覆った。俺は女を蹴った。倒れた女は唖然とした顔でこちらを見上げている。どうして助けてくれないんだ。泣きたいのは俺の方だ。一発殴るだけで良かったのに。そうすればこんなことせずにすんだのに。俺は女を蹴り続けた。なんでこんなことになったんだ。こんなのは望んでた人生じゃない。そもそも人生など望んだろうか。どうして産んだ。どうしてちゃんと育ててくれない。女の顔は恐怖で引き攣り、涙と唾液と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。苦しそうに喘ぎ、時折口をぱくぱくと開き、しばらくすると嗚咽するように小さな声と共に深く息を吐き出した。可哀想だ。でも、俺を助けてくれなかったお前が悪い。俺の目にも涙が溜まり、世界が歪む。むずむずする。むずむずする。むずむずする……。女の背中を殴った。拳が痛み、少し霧が晴れる。なんとか逃げようとする女の上に乗って抑え、また殴る。指先がじんと痺れた。じたばたと暴れる足が俺の背中に当たる。痛い。また少し晴れる。立ち上がった途端、女が叫ぶ。その声を掻き消すように俺も叫んだ。むずむずする。女は諦めたのかあまり動かなくなり、ただ胎児のように丸くなって息を荒げ、時々びくんとしゃっくりをするだけになった。もう、終わりなのか。全身から力を抜き、女を見下ろした。そこにいたのは確かに、子供の頃の俺だった。

極めて個人的な感情の動きについて書かれているので"私小説"にチェックを入れましたが、出来事はフィクションです。

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