プロローグ
そうだ、猫の話をしよう。
僕がこいつの可愛さに気が付いたのは昔、人と待ち合わせをしていた時のことだった。僕の目の前を一匹の猫が歩いていたのだ。そいつはそのまま通り過ぎていくのかと思いきや、僕のちょうど目の前で止まり、
コロン
そんな擬音が実際に聞こえてきそうな位見事にその場に寝転がり、自分の腹をこちらに見せてきた。そのまま体を伸ばしてみたり、右へ左へゴロゴロと寝返りをうったりしていた。
こんなものを見せられた僕は堪らなかった。胸がキュッと締め付けられ、内心、その可愛らしさに悶えていた。
とどめに奴は、後ろ足を使って自分の顔を掻きはじめた。
それが僕にはド・ストライクだった。可愛すぎた。周りに人がいないのをいいことに、僕はそのとき、口元の筋肉が緩んでにやけ顔になっていたのを感じていた。相当のアホ面だったと思う。
あのときの感動は忘れられないよ。
しかし、猫はただ可愛いだけの生き物ではないのだぞ。
あれは僕の子供時代、夏休みのラジオ体操に参加していたときのことだ。一匹の猫とその目の前には地面に落ちたセミがいた。猫は、まだ生きていて羽をばたつかせるセミを、前足を使い地面に押さえつけた。そして、ゆっくりと顔を近づけていった。
しかし、一向にセミを食べる気配はない。むしろその動きは、もがいている様を観察するかのようだった。
セミが弱ってくると前足による拘束を解き、ちょんちょんと触りはじめた。僕にはそれが、セミの反応をみて、楽しんでいるようにしか見えなかった。
猫の愛くるしい姿に隠された残酷な一面を見た瞬間だった。
だがしかし、このことによって、僕の猫への愛がなくなることはなかった。そもそも、この程度のことで猫が嫌いになるなら猫好きとはいわない。何かを愛するというのは、そいつの長所も短所も、綺麗なところもあれば汚いところもあると理解してのことだろう。そもそも本物の愛っていうのは——
「おいコバヤシ、一人で延々と喋りすぎだ。相手もちょっと引いてるじゃないか」
ミラが呼びかけた声で、はっ!と我に返り、僕は正気に戻った。確かに、目の前で僕と机を挟んで、椅子に座って話を聞いていた少女は、どこか困ったような顔をしていた。
「ああ、ごめんごめん。話すのに熱中しちゃってさ。何か聞きたいことはある?」
「ええっと……それじゃあ、おじさん、『ラジオ体操』って何デス?」
「おじ……ラジオ体操っていうのは、お兄さんの生まれた世か……国の健康長寿の儀式みたいなものだね。音楽に合わせて体を動かすんだ」
「へぇー」と大袈裟に面白そうな素振りで相槌を打ってくれる。可愛い。
「私の家では犬を飼っているのデス。名前はサーベラっていうのデス」
ああ、僕は犬派の少女に、ずっと猫の素晴らしさを説こうとしていたのか。悪いことをしたな。
既に日は傾き、西側の窓からは日の光が店内に差し込んでいた。結構長いこと話に付き合ってもらっていたようだ。
「今日はこれくらいでいいよ。ありがとう、お兄さんの話聞いてくれて。これ、お仕事の報酬ね」
「わぁ、ありがとうございますデス」
「じゃあな、ユイちゃん」
「はい、さようならデス、お姉さん。それと、猫好きおじさんも」
ユイちゃんは手を振りながら店を後にした。結局、僕へのおじさん呼びが撤回されることは叶わないまま。一応二十代なんだけどなぁ。
「これが世間の評価だ。現実を受け入れなよおじさん」
くっ、何も言い返せない。まるで僕の考えていることがわかっているかのように煽ってきやがる。しかも、自分はお姉さん呼びされたからってすごいドヤ顔だ。
「それに、お金を払ってまで女の子に話を聞いてもらいたいだなんて、恥ずかしくないの?」
ちよっと、ミラさん。今日はえらく毒舌じゃないか? 何か嫌なことでもあったのかい?
「あのときは、他にあの子に出来そうなことが思いつかなかったから仕方なく……」
僕だって今回みたいな状況じゃなかったらこんなことはしないよ。
「まぁね。まさか、この店の記念すべき最初の仕事の依頼が『何か仕事をください』になるとはね」
なんだか頭痛が痛くなってくるような依頼だったな。仕事が欲しいのはこっちの方だよ。
「うちは『何でも屋』だからね。しかし、仕事をしたのにお金が無くなっていくとは、これ如何に?」
「あれは私が稼いだお金なんだけどね?」
ああ、前途多難だな。
はじめて連載を書いてしまいました。一応、書きだめをしているため、ストックがある内は毎日投稿していこうと思います。