1945年8月14日
古屯付近の軍道で、早朝からソ連軍と、軍道上の師走陣地守備隊が、激しい戦闘が行われていた。
日本軍側が切り札として用意した、速射砲は思うようにソ連戦車を撃破する事は出来なかったが、激しい抵抗に驚いたソ連軍も、前進する事が出来ず、戦線はこう着状態となっていた。
直利は、播戸少尉の許可を貰い、ソ連軍に遊撃を仕掛けるべく生き残った部下達と森を進み、ソ連兵の近くまで迫っていた。
ソ連兵が目視できる森の中に手榴弾を使った罠と地雷を、なるべく離して設置してから、森の奥まで下がり、借りて来た擲弾筒に手榴弾を入れ発射した。
手榴弾は、前線から1キロ以上離れた丘の麓で、安心しきっていた後方部隊のど真ん中で炸裂し、ソ連兵達は、それぞれが適当な物陰に隠れ、あらぬ方向へ銃撃していた。
「ろ助の糞野郎共、混乱して発射方向さえ解ってねーようだな」
擲弾筒から手榴弾を発射する事で、ソ連軍がこちらに向かって来る事を想定し、罠を作ったのだが、ソ連軍は、右往左往するだけで、どこから攻撃されたのか、解っていないようであった。
直利達は、発射位置を知らせる為に、再度擲弾筒に手榴弾を入れ発射し、周辺の枯れ葉を燃やし煙を出し、大サービスで銃撃もしてやった。
ようやく発射方向を特定したソ連兵が、ゆっくり森に入ってくると、設置した罠が爆発し混乱に拍車がかかった。
混乱したソ連兵に拍車を掛けるように、四方八方から機銃掃射を浴びせる。
直利達は罪悪感と、ささやかな充足感とが交錯して気持ちは斑だった。
「ここはもういい場所を変えるぞ」
この後も広範囲に場所を変え、罠の設置と擲弾筒による手榴弾攻撃を繰り返した。
最前線で激しい抵抗にあい、後方に下がっても日本軍の奇襲にさらされて、ソ連兵の疲労とストレスはピークに達し士気も低下していた為、日没後も、軍道上の師走陣地守備隊の戦闘は続き、日本軍は多大な被害を出しながらも、圧倒的な戦力を持つソ連軍の進軍を食い止める事が出来ていた。
直利達が八方山陣地へ戻ると、播戸少尉が出迎える
「上から見てたよ。面白い事やってくれるじゃねーか、夜は俺達も少数に別れ夜襲に行く事にしたよ」
「それはいいな、でも突撃なんて馬鹿な真似はするなよ。」
「解ってるよ。敵さんを眠らせる事無く精神的に追い詰めてやるだけだ」
「そこまで解ってるなら言う事はない、生きて戻れよ!」
播戸達も、暗闇の中小さな銃撃戦を繰り返し、戦果はお世辞に誇れる結果ではなかったが、日本側に被害は無く、夜通し銃撃音を聞かされたソ連兵は精神的に追い詰められていた。
また、激しい攻撃に、瀕死の師走陣地守備隊にも聞こえる後方の銃撃戦は、彼らの士気も上げていたのである。




