1945年8月11日
深夜日付が変わった頃、半田集落手前の谷で、橋が爆破され小規模な戦闘が始まっていた。
「少尉殿、戦闘が始まりました。夜襲のチャンスではありませんか?」
「まだ小競り合いが始まったところだ、半田の岡田隊長もじりじり時間稼ぎをしているだけだ」
半田守備隊が、半田川に作った対戦車障害物のおかげで、川を越えたのは軽車両と歩兵だけであり、ソ連兵は、道路を囲む森からの散発的な攻撃に怯え、前進する事が出来ていなかった。
「朝までは持つと思うが、問題は陽が昇ってからだな・・・岡田さん頼みますよ」
陽が昇ってからは、ソ連軍も道路に埋められた地雷を撤去しながら、前進し昼には峠を越えていた。
峠から半田方面を見下ろす恰好となったソ連軍は、無数にある塹壕を警戒し、航空機支援を求め爆撃が行われた。
半田守備隊は、帝国陸軍3個小隊と国境警察隊で編成され、塹壕の中で爆撃に耐えていた。
爆撃後に進軍してくるソ連軍に対し、半田守備隊は塹壕の中から機関銃で攻撃し、一定数撃ったあとは別の塹壕へ移動していた。
同じ塹壕で、攻撃し続けていると戦車砲でふっとばされる為の行動だが、ソ連側からすると、塹壕を潰しても潰しても別の塹壕から攻撃されるので、実際の兵力以上の脅威を感じていた
それでも塹壕を、ひとつひとつ潰して行き、進軍を続けるソ連軍に対し潰された塹壕で息を潜めていた兵士が、地雷を抱え戦車の下に潜り込み自爆攻撃を仕掛ける。
残念ながら自爆攻撃で、戦車を破壊することは出来ていないが、キャタピラーの故障やオイル漏れなどで、一時的に戦闘力を奪う事は出来ていた。
ソ連軍は、自爆攻撃での戦車の被害よりも、それによる士気の低下に悩まさせながらも、日が暮れる頃には半田集落に到達していた。
日中をなんとか持ちこたえた半田守備隊も、残った僅かな兵力で夜間の塹壕戦を戦っている
そんな中直利は、小隊に作戦を説明していた
「岡田さんが、日中持ち答えてくれたおかげで、俺達に今大チャンスが目の前にある!」
「敵の最前線は、未だに岡田さんの部隊と塹壕戦を戦っている。しかしその後方の谷には、その数十倍の数の兵士が駐留している。」
「俺達はそこへ突撃するぞ!」
「「「おーー!」」」
「重機関銃の新居と相川は、俺達が突撃し混戦となったら、構わず重機関銃をぶっ放してくれ」
「それでは少尉殿達を撃ってしまいます。」
「その時はその時だ気にするな!確率的にいえば敵二、三百人撃ったら、俺達の誰かに弾があたる程度だ! 遠慮はするなよ!」
「承知いたしました!」
「岡田さんの真似だが、一定時間掃射したら、場所を移り再度機関銃で掃射するんだ。最後に頃合いを見て、重機関銃を捨て南の山頂へ移動しろ! 俺達も生き残ったらそこへ行く」