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夏休みが始まらない  作者: 人形 静香
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第一章

稚拙な文章ですがどうぞよろしく

 部屋に置き忘れた例の白いイヤホン。いまごろどうしているのだろうか。摂氏三十度を超える部屋の中で、あの安いアコースッティックギターと一緒にガラス戸から降り注ぐ蝉時雨をもろに浴びて、うなだれているに違いない。

 仕方がないので、蝉の声を聴きながら、自転車の変速を一番重くして籠に教科書のいっぱい詰まったカバンを入れこの学校に続く道を下っていく。

 青春の風は僕たちの間を駆け抜けて、時間と共に去っていく。無邪気に遊びまわっていた小学生時代はとっくの昔に終わりを告げ、高校受験に追われた中学時代も一年ちょっと前に幕を閉じた。

 好きな子にも告白できなかったそんな中学時代だったが、それさえも今ではいい思い出だ。

 僕は可愛い彼女を作ることはできなかったけど、鬱陶しい親友が何人かできた。趣味が合うというか、馬が合うというか、ともかく四六時中一緒にいた。

 ほとんど全員が違う高校に進学していたのにもかかわらず、そいつらと一緒につるんでいた高校二年の夏。僕たちは青春の神様に最後の抵抗をすべく、みんなの自転車で海に向かうというどうしようもない計画を立てた。


 僕の進学したこの公立高校は、行きは自転車だと家から近い。なぜなら、学校の裏の坂の上に僕の家があるからだ。その代り帰りは言うまでもない。

 学校の周りは田園風景が広がっていて、北側には古民家が、南側には住宅地と団地が広がっている。正門の前には農業用水が流れていて、この季節は夜になるとゲンジボタルが瞬いている。まるで平安時代からの旧交を温めているようだ。水嵩も低いので最近は、地元の小学生がアメリカザリガニをとっているところを下校中によく見かけるようになった。

 道を一つ越えた大通りは、交通量が多いが、この辺りは静かだ。かといって田舎というわけでもない。

 出身中学とおなじ学区なので、同じ中学の卒業生が生徒の大半を占めている。僕らの代も6割が同じ中学卒で、バス通学者なんて全然いない。

 校内は二足制なので、駐輪場から正反対の場所に靴箱が整列している。この距離を歩いていると目の前から知り合いが声をかけてくる。毎朝のルーティーンだ。

 僕が登校する時間は、他の生徒より比較的早い。だが、生徒指導の岡本だけは他の先生もいない中、正門にたっている。さながら番犬のように。

 岡本先生は国語を担当していて、陸上部の顧問をしている。今は四十代だが若いころ、その界隈ではそれなりに名が知れていて、高校時代は全国大会にまで出場したらしい。競技は砲丸投げだ。ここの生徒の何人かは県大会までは出ているが、それ以上の成績はない。

 二年三組の教室までは中庭の渡り廊下を抜けた先にある階段で三階まで上がらないといけない。

 そこまでの間には、古い体育館があって早朝からバスケ部が床をならしている。別にこれといった成績もないのだが、ないからこそこうして朝から練習をしているのだろう。それもほとんど毎日同じことの繰り返しだ。

 顧問の石川が高校時代のときバスケ部だったので無理やり押し付けられたのだと嘆いていた。若い新任の教師だから、あまり意見が通らないからだろうか。

 石川の担当は英語で授業自体は本当に退屈なのだが、別に嫌いではない。

 プラスチックのプレートに「2-3」と書かれた教室はこの校舎の東側の角にある。角部屋だからといってこれといった利点はないが、窓からグラウンドと体育会系の部活の部室が見える。

 僕の席は窓側の一番後ろだ。窓側の一番後ろは、成績が下がる可能性が高いが特等席だと僕は思う。

 席に着くと、斜め掛けのカバンを下して教科書を机の中に時間割に合わせて入れた。いつもならここで例の白いイヤホンを取り出して音楽を聴くのだが、今日はあいにく、それはできそうにない。

 筆箱を枕にして少し寝ることにした。あまりやることがないし。明後日から学校は休み、夏休みだ。


 騒がしい話声と、予鈴のせいで目覚めた脳が勝手に目を開けた。喉が乾いていて、すこし水を飲みたかったが水道水の気分じゃない。頭が少し痛いが、それは、いつの間にかこの固い机を枕にしていたからだろう。

 あたりを見回すと、筆箱は僕のカバンの上に置かれていた。お土産にもらったストラップが揺れていて、少し昇った太陽の光を反射させた。さっきより太陽が大きく感じた。まだ、目は醒めていないみたいだった。空が少し濡れていて、校庭の草木が濡れていた。雨が降ったらしい。

 本鈴がなって、がやがやと同じ夏服の制服が動き回る映像が目に映った。

 担任の山本が木製の教室のドアをたいそうな音を立てて開けながら「日直!」といったかと思えば、ロングヘア―の女子生徒が「きりーつ」といかにもダルそうな声で応え、その声に同調するようにだらだらと立ち上がり「れーい」の声に一斉に倣った。

 朝のSHLが始まった。上の空で担任の話を聞き流し、汚い黒板に張り付けられたプリントを目で追っていると、目の前のショートカットが揺れてこちらを向いた。

「おはよー」

 ああ、またこいつか。と思った。陸上部の明田だ。月曜にもかかわらず異様にハイテンションで、だれかれ構わず平等に話しかけている。

「あ―――、おはよ。」

 彼女は、陸上部の次期部長だと名高い。交差点の角にある「らーメン村松」のバリカタ豚骨醤油麺みたいな艶のある髪をぱさぱさと揺らしながら走っているのを見た。顧問の岡本と話しているのもたまに見かける。

 あまり関係ないが「らーメン村松」は、僕の知っている限り最高にうまいラーメン屋だ。

「朝から、テンション低いねー」

「お前が高いだけだろ。」

 この会話の裏では、ずっと担任が話し続けているのだが、そんなことに気を留めず彼女は続ける。僕自身も担任の声はラヂヲのノイズ音程度で、言葉を聞き取る気は失せている。

「澤田が言っていたんだけど、あんた。軽音部入るの、やめたんだって? 」

あー。恐ろしくどうでもいい話だ。本当にしょうもない。澤田は、中学時代からの知り合いで、下手なドラムを自慢げに叩くのが鼻につく男だ。

「あー、そうだな。」

 第一そんなのは一年ちょっと前の話だ。どうでもいい。なんで今なのだ。

「へー。そうだったんだね。」

「それで、何なの」

「なんで入んなかったの? 」

「肌が合わなかったんだよ。生ぬるい邦楽に。」

 正確な理由はそれだけじゃない。軽音部はこの学校で一番部員数が多い部活だ。それで、入学当初の僕は、こんなところに入る奴は大衆主義の豚だと悟った。

 それと、新入生歓迎会の演奏が聞くに堪えなかった。生ぬるいゲインのかかった偽レスポールギターも、目立たない赤いフェンダーのベースも、単調なヤマハのドラムも、気持ちの悪いボーカルも。すべてが、ただの自傷行為に見えて、独りよがりな音楽をする奴らだなぁと思った。

 かくいうわけで、僕は軽音部には入らなかったのだ。別になんの後悔もない。 

そこ、ちゃんと話聞け。山本がこちらを睨んでそう言ったので、この話は続けることができなくなった。

 教壇に目をやると、最前列で机に突っ伏していびきをかいているやつがいる。周りの女子生徒からは失笑を買っている。山本は完全に 見て見ぬふりをしている。

あいつの名前は、佐藤勇作。

 後ろの席の男子生徒に小突かれ、起きた勇作は寝ぼけ眼で小さな穴がたくさん開いた天井をただぼんやりと眺めていた。

 SHLの時間は15分。チャイムが鳴って、生徒たちが口々に話し始めた。


 愛が全てだと唄った眼鏡をかけたおじさんは殺された。

 人は、それぞれ自分の人生を脚色する。色をつけて、音楽をならして。みんなが、みんな自分のことを正義のヒーローだとか、悲劇のヒロインだと思っている。他人の映画では、喜劇の脇役かもしれないのに。

 女はみんなドラマクイーンで、男はみんなパラノイアな世界を生きている。ネットやテレビのニュースでは毎日誰かが死んでいて、誰かの家族は永遠に心からの笑顔を失う。政治家は、自分の懐を肥やすことしか考えず、画一化された無責任な正義を振り回して、嘘で塗り固められた拡声器の電源を入れる。犬や猫は人間の思うまま作られ、思うままガス室に送られる。世界大戦のユダヤ人と一緒で。

 でも、当事者以外の人間は芸能人のゴシップで一喜一憂して、安全地帯からヤジを飛ばしてエンターテイメントを楽しむ。

 世の中の人なんて誰もが不幸で誰もが幸福だ。一瞬の写真を風景と時間から切り取って感嘆するのは、芸術家の仕事だ。

 考えるだけで無駄な時間が加速していくだけだ。今を生きていればいい。

 だから、僕はロックを聴いて、ロックを奏でる。FUZZで歪んだ音の中にチョーキングのたびに世の中の矛盾や僕の中の憤りが溶けて沈んで消えてなくなっていくような錯覚を僕に与えてくれる。

 授業中のささやき声よりも、ボリュームを全開にしたロックの神様の歌声のほうが僕に安らぎと、癒しを与えてくれる。胸の中の熱いものが口まで上がってそれが四方八方に飛び散るみたいな爽快感と一緒に。

 ロックの神様が女の子だったらあんな感じ。学生の自主作成映画の土手を走るヒロインみたいな純粋な心を持っている筈だ。


 夏の匂いがそこかしこに漂っていて、蝉の声は止んだり、急に鳴いたりしている。

 勉強は嫌いじゃないが、嫌いな教科はある。それは、数学。僕の一週間の時間割では、月曜日にその嫌いな数学の授業が二度も入っている。これは、朝の登校時に雨が降っていることよりも僕を憂鬱にさせる。

 黒板に次々と書かれるアルファベットが並んだ数式をただ淡々とノートに写すだけで僕の数学の授業は終わる。五十分の授業が二時間でも三時間でも体感時間が長くなっていって、いつの間にか沈んでいた。

 黒板消しから生まれたチョークの粉塵は、教室の蛍光灯に照らされて、ゆらゆらと教卓の後ろで揺れ動いている。

 写しかけのわけのわからない数式も、床に落ちたきりになっている百均の消しゴムも、僕が時間から離脱していたことを安易に提示している。

 教室の前のほうでは、女子生徒が数学の先生を囲んで何か話をしている。この距離では、盛り上がっていることはわかるが、会話の文脈までは聞き取れない。数学を担当しているこの教師は、高学歴で若く個性的であるため、生徒からは人気があり、芸能人の名前をもじったニックネームが付けられているのだが、忘れてしまった。

 三時限目が終わり、四時限目の体育に向けて男子生徒が着替えを始めていた。

 木製のドアをあけて、廊下に出た。そこには、朝の雨がまだ残っていてあちこちに足跡や傘の引きずった跡が残っていた。

 階段を上り空き教室が多く、人通りの少ない四階に向かった。なんとなく屋上に行きたかった。そこは、クラブ長会議と補習でしか使われない会議室と、四つの空き教室が西東に並んでいて、西側の廊下の突き当りは、屋上へ上がる扉があり、その扉は安全性のため施錠されている。

 しかし、去年の文化祭をサボってここで遊んでいた僕は、この扉が老朽化で外れやすいことを知っている。

 ドラマや漫画でよくある屋上での昼食は、フィクションであると思っていたが、僕の文化祭でダンスを踊りたくないという気持ちと、好奇心のおかげで、実現された。

 重い鉄製のドアを持ち上げて、鍵を外し開けると、そこには今では廃部になってしまった地学部の部室があった。一番初めに来たときは、正面の扉が閉まっていたのだが、幸運にも窓の鍵が壊れていたので、窓から手を伸ばして、扉の鍵を開け中に入った。

 でも、今は正面のドアから中に入ることができる。僕はなんとなくこの部室が好きだ。壁のいたるところに落書きがあってこの学校の長い歴史を感じる。中には二十年、三十年も前のものがあって、自分一人がタイムスリップしたかのように思える。

 僕自身もそこの壁に何か書こうと考えたこともあったが、やめた。この部室で青春を過ごしたものでしか書いてはならないような、そんな気がしたからだ。

 廃部になって何年たったか知らないが、僕らが今生きる時間の流れから逸脱して、ここだけの時間の流れを生み出しているこの部室は、修学旅行でみたどんな文化財よりも価値があるような気がする。

 部室の裏には梯子がかかっていて、屋上に登れるようになっている。ここからだと学校のシンボル的なあの大きな三分ずれた時計が、すぐそこにある。

 僕はまだこの梯子を上っていない。それも、なんとなくだ。


 そのとき上から声が聞こえた。僕の名前を呼んでいた。聞き覚えのある声だった。

 そこにいたのは、髪を伸ばしたあの娘だった。小麦色に肌が焼けていて、黒髪と夏服が風に揺れていた。雨上がりの匂いを含んだ風に。

 なにをやっているのかと、僕は彼女に尋ねた。この場所は僕しか知らないはずなのに、こんなことがあるのかと思った。汗が僕の背中を伝っていくのを感じた。

 彼女は僕の問いには答えずに梯子を伝って僕の前まで歩いてきた。先に沈黙を破ったのは蝉の鳴き声で、さっきの何倍も大きい声だった。

「夏だね。」

 そういって階段を駆け下りて行ってしまった。

 夏だな。僕もそう感じていた。

 


どうしょうもなく純情な今日は

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